君の彼女でよかったとよ。

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「甘露寺くんは、もともと福岡の人なん?」  私達は横並びに坂を下って駅へと向かう……もちろん、その並びは弥生が真ん中だ。 「ううん、生まれも育ちも東京。今年の3月に引っ越してきたんだ♪」 「へぇ♬ なんか恰好よかね!」 「そんなことないよ(笑)。福岡も、お洒落で素敵な街だと思うよ♪」 「わ!? 嬉しかぁ♬……ね、栞!」 「ぅ、うん」 「中牟田さん、脚はだいぶ良いの?」 「!? あんた……君に言われたくなか!」 「あ、ごめん……ちなみに甘露寺です」 「いいや、私は君のこと、【君】って呼ぶけん、それでいいと!」 「ちょっと、栞っ!?」  弥生が小声で(たしな)める……わかってる。甘露寺かなたに対して、こんなにも敵意を露わにするなんて、私はどうかしてる。  だけどあんな凄いものを見せられた私は、心が壊れてしまいそうになっていた。  例え私が事故に遭わなかったとしても、絶対に辿り着く事のできない高みに、彼はいる。  こんな底辺で腐っている私のことを馬鹿にするかのような、あの素晴らしいプレー。  テニスが好きで好きで、楽しくて楽しくて仕方がないといった、あの様子。  それにまた、この爽やかな笑顔も腹立たしかった。 「……なんか実は、栞もテニス凄いらしいとよ♬」 「弥生!?」 「そうなんだ!? じゃ、怪我が治ったら、今度みんなで一緒にやろうよ!」 「それよかね! 私やったことないけん、甘露寺くん教えてね♬」 「うん!」 「……」  場の雰囲気を変えようと話題を探していた弥生が彼に話し掛け、彼もまた空気を読んで明るく振る舞う。  そしてここから二人が会話に花を咲かせ始めたので、私は黙って歩くことにした――。 「じゃ、また明日ね♪」 「バイバーイ♬」 「……」  そうして駅に着いた私達は、ホームの違う電車へと手を振り乗り込んで、それぞれの駅で降りる。  私は駅前に出ると、歩きながら道を挟んだ向こう側にあるテニスショップへ鼻先を持ち上げ中を確認した。  するとそこには、ちょうど接客中のお父さんの姿があった。 「近所にテニスショップがあると、ガット張る時に便利でいいよね♪」 「別に張らんし……」  何処で降りるのか聞いていなかった訳だけれども、甘露寺かなたが、やや後ろから話し掛けてきた。  さっき振動していたスマホを確認する…… 〈仲良く帰らんといけんよ〉  弥生からの、母親のようなLINEだった。 「どうして?」 「テニスはせんけん、別にいいと」 「やめちゃったの?」 「君には、関係なかろ!?」 「……うん。でも、できるんなら、やった方がいいんじゃないかなって……思って」  甘露寺かなたの最後の方の言葉は尻すぼみとなって聞こえていなかったのだが、私は人の心にズカズカ土足で上がり込んでくる、この男が許せなくなった―― 「は!? ちょっと上手いからって、なに様なん!? 私がどんなに努力したっちゃ、君みたいにはできんよ! それに見てん!? こげな脚じゃ、やり直したって惨めなだけやろ!? 骨が二本も折れて見えよったとよ! 変な方に向いてて、バリきしょかったとよ! 傷痕もしっかり残っとうとよ! スカート、もう穿()けんとよっ!!」  私は立ち止まり振り返って、心の中にこびり付いていた暗いドロッとした感情をここで一気に爆発させた。  甘露寺かなたに詰め寄り、右脚にしてあるサポーターを乱雑に外して、靴下もきっちりと下げて、整いようのない、(ただ)れたその醜い脚をしっかりと持ち上げ傷痕を見せつけた……それはまるで、全く無関係の彼に、全部残らず私の悔しさや悲しさ、そして辛さを押し付けるようとする気持ちが、そこにはあった。  どう? 私、女の子なのに、こんな傷を背負ってこれから生きていかなくちゃいけないんだよ。  どう? 君より絶対に努力してきたという自信があるのに、君に比べたら、素人みたいなものなんだよ。  どう? そんなちっぽけな努力ですら、神様から嘲笑われたようなものなんだよ……と。    ――そんな気持ちが込められていた。 「あの……ごめん」  甘露寺かなたは、しっかりと私に合せさせられていた目を落として俯き、切なげにそう言った。 「なんが〈ごめん〉ね!? 私の気持ちなんか知りもせんと、ズケズケくち出してきたのは、君やないね!!」 「……」 「そもそも なんなん!? 自分が上手いのば、自慢したいだけなんやろ!? 私なんか、努力して努力して頑張って頑張って……そうしてやっとここまで()とったとに、突然、大怪我ばさせられて傷痕も残って……これから先、ずっとずっと恥ずかしい思いばせんといかんくて……なんもかんも嫌になって、今もどうしたらいいのか、いっちょんわからんくて……」  私は気付けば、大粒の涙を零していた。  通りすがりの人達が、チラリと私達を横目に映す。  甘露寺かなたに対して、本当に怒っているわけじゃない。  私はただ、胸の内にあるこの気持ちを受け留めて欲しかっただけなんだ。  私はこの時、そのことに はっきりと気が付いた。 「……僕のこの白髪ね、病気のせいなんだ」 「……ぇ?」 「簡単にいうと血液の癌に罹って、今は大丈夫なんだけど、どうなるかはっきりしないんだ」  甘露寺かなたが悲しげに私を見て微笑む。 「どういう……こと?」  私は突然の告白に動揺した。 「再発の恐れもあって、無理できないんだ」 「それって……」 「うん。思いっきり何かをすることができなくて、常に様子をみなくちゃいけない……だから体育の授業も内容によっては見学(苦笑)。それに定期的な受診も必要で、こっちに来る時には、東京の先生から病院も紹介されて、今はその先生にお世話になってるんだ」 「これから先……ずっと?」 「受診は必要になると思う」 「テニス、思いっきりできんと?」 「今後の状況次第。いつになるのかは、わからない」 「……」  私は頬を伝わる雫をそのままに、彼を見つめる。 「女の子にとって、傷って大変なことだと思うから、僕の話じゃ役に立たないと思うけど……僕はこの白髪には慣れたよ(笑)。でも、本当は普通に黒がいい。だけど、生きていられるなら、僕にとって我慢する価値があるものなんだ。白髪ぐらいなら、どうってことないしね……(笑)」 「……」 「まずは、溜め込まないで吐き出したいよね♪」  彼はそう言いながら、優しく微笑む。  その微笑みは、私を慰めると同時に、自分の中にある、私と同じような何かを慰めているような気がした。 「……ありがとう」  私には、それしか彼に伝えられる言葉が見つからなかった。  だって、私は一番不幸な人間だと、ついさっきまで思っていたのだから。  なのに目の前の彼の方が、私より不幸かもしれないなんて、考えてもみなかった……。  なんだか私は、自分がとっても駄目な人間のような気がした。  ……だけど、だけどやっぱり、私は私で辛い。  それに、彼は彼で絶対に辛いはず。 「……」  そんなことが私の頭の中を駆け廻り、暫くの沈黙が流れたあと、私達はまた、静かに歩き出した。
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