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文芸部は、この9月末に入稿を控え、もう、2週間もない。 10名足らずの部員で年に4回、部誌を発行しているけれど、10月末の学園祭に照準を合わせて皆、大作を仕上げて来る。部室のあるA棟の2階から渡り廊下をC棟へ、その3階にある図書室から4階の自習室、時には表紙や装丁の相談に乗って貰うため写真部の部室へと、俺もサイズの合わない上履きに足の指を丸め、日々目まぐるしく活動していた。 「よぉ、海晴、進捗状況は?今年はどんなものを書くんだ?」 最近、花苑女子学園の上級生と付き合い出したとかで浮かれ調子の朝井が、階段で追い越しざまに俺の尻をポンと叩いて駆け上がる。振り返った締まりのないニヤけ面ったら……、 「あからさまに、お花畑なヤツはイラッとくるな」 「そうだろうそうだろう、嫉妬していいぜ。海晴にもイイコいないか聞いてやろうか?」 「いらね、面倒くさい」 「お前、いつもそうだよなぁ?それ、ルックスいいヤツの自慢入っちゃってるから」 「そんなつもりはねぇよ」 ビシッと指差されても、俺は童貞を貫くしかないんだ。 高校生になって未だ大きな発作は起きていないけれど、セーブセーブで60%の生活をしていても、その60%の中に女の子とのSexは含まれていない。『清い交際』をして何人もシラけさせた俺のトラウマなんてコイツは想像もしないんだろう。と言って?リミッター外してセッセと励んでみろ。この歳で腹上死なんて絶対に御免だ……。 「海晴はカノジョ欲しいとか思わないの?今からそんな枯れててどーすんだよ。女子が『触らせて♡』とか言いそうなサラッサラの髪を襟足に零してさぁ。それ、ショコラカラーつーの?柔和な顔して長身で?頭は残念でもルックスは申し分ないじゃん。お前みたいなのが憂い顔で夕日でも眺めてみ?耳を澄ませば女子の溜息がそこら中で聞こえるよ」 なまじ、言葉を扱うヤツの言い種は小っ恥ずかしい。 「頭、残念言うな」 「この前の物理、42点だったじゃん」 「見んなよ!」 死(4)に(2)点とって、冷たい汗が背中を伝ったのを思い出した。 「幸せ(4)に(2)ってな。海晴も良い恋しろよ……って事でオレは今回、ラブストーリーを書く!」 左手で『4』右手で『2』を作って見せる脳ミソ蝶々な朝井の指は、向かい合っている俺には『24』に見えた。 「公開ノロケかよ。手、逆だから」 月並みな言い方をすれば熱しやすく冷めやすい。喋り上手でポジティブな朝井は人に好かれはしても恋に恋して頑張り過ぎるのがネックだ。大抵3ヶ月もしない内に『疲れた』とか『お友達でいましょう』なんて言われて、俺の胸でさめざめ泣くんだよ。それでも切り替えが早くて、一週間も落ち込めば蝶々は次の花に向かって飛んでいく。まったく呆れるほどに逞しい。 「この胸1000円で貸してやんよ」 「バァーカ。彼女こそ運命の相手だっつーの。恋はいいぜ、女の子のカラダはもっと良……」 「ヤったのか⁉」 「声が大きいよ!その、まぁ……ギュッとな?ギュッ……」 なんだ、抱きしめただけか……。 朝井の再現で抱きつかれて、その下半身の締まりのなさに、 「思い出してんじゃねーよ!」 と、脳天チョップを食らわせた。 「っ痛ぇ……。ところで例の怪事件、何か判ったか?」 「怪事件?」 「ほら、この前から部誌に挟まってるメモのことだよ。お前の小説にばっか入るって……昨日も見つかったんだろ?」 「えっ?」 「あ゛……」 シマッタという顔の朝井を見て、一件は俺への内緒事だったのでは?と気付いた。 「知らないことにしようか?」 物分かりの良いフリをしても俺の頭はメモへの興味で一杯で、それが朝井にも伝わったのだろう。後頭部をテンテンと叩いて朝井は声を潜めた。 「いや……読んでみるといいよ。お前一人が注目されたやっかみか、本当に先輩たちが心配するように何かのターゲットにされているのか判んないけどさ。部長は黙っとけって言っても、当事者が知らないのはやっぱ、おかしいよ」 「朝井も読んだ?」 「うん、一昨日かな?雲谷(うのや)が持っていたのを一枚読んだ。でも、あれは批判とか嫌がらせじゃない。本を読み慣れたヤツが書いた正直な感想文だよ」 俺は、ただ頷いた。不意に階上から朝井を探す声がして、 「うぇ~い!オレはここだよ~ん」 なんて、朝井は頭の悪そうな返答を階段ホールいっぱいに響かせる。 「オレ、準備室に行かないと。海晴、今日は部活出られないから、また明日な」 「ぁ、……おぅ……、」 言い澱んだ俺に朝井は苦笑いで手を挙げた。いつから、こんなに挨拶下手になったのだろう?俺は『また、明日』が言えない。約束が苦手なんだ。ただの挨拶だって解っている。それでも、曖昧に笑って手を振るのが精一杯だ。 メモは今日も入っているだろうか……? すぐにも確かめたい衝動に駆られて、顧問の地鳴りのような『サボるなよ』と秤にかけた俺は真っ直ぐに図書室へ向かった。 日当たりが良すぎる居眠りの巣窟になるばかりのひっそりした場所に、年々、背表紙の色褪せていく歴代の文芸部誌が並んでいる。近隣の諸学校と比べても蔵書数の多い本校の図書室で、わざわざ文芸部誌に手をつけるなんて、部員でもなければ相当の変わり者だ……。 「これも……、こっちも?」 朝井の言った通り、この日も2冊の部誌からメモが見つかった。 青いインクで書かれた右上がりのクセ字は感情の起伏の表れか、大きくなったり小さくなったりして不揃いだ。それでも何かを伝えようとする力強い筆跡は押し寄せる青い青い波のように隙間なく綴られていて、書き殴りの悪戯でないことは一目見て判った。内容は結構、辛辣だ。まるで、頭の中を覗き見されたように、迷って足掻いた文章には焦りと硬さを指摘されたし、ノリに乗って浮き立った文章では誤字を訂正されていた。 「容赦ないねぇ……」 と、独りごちていた時だ。 「時枝くん、何でっ?誰だよ、言ったの!」 突然、後ろの書架の向こう側から声がして、雲谷が顔を出した。 「おー、雲谷。今日も見つけた。誰なんだろうな?」 指先に挟んだメモをヒラリとさせると、気の優しい雲谷は小柄で小太りの身体をモジモジさせて、 「……その、あまり気にしない方がいいよ」 と、俺を気遣った。 「しねーよ。つーか、むしろ有難いね、良く読み込んでくれてる。自己満足のつもりで仕掛けた意図も、ちゃんと気付いて感想くれてさ。お前、今日も探しに来たの?」 「ごめん、……気になって、」 バツの悪そうな雲谷に俺は持っていたメモを差し出した。 「これが今日のぶん。散々な書かれようだけど的を射ている。読むだろ?」 「いいの?」 パッと瞠った眼は身体に比例して丸い。 「いいよ。俺が来なければ、当然、読めていた物なんだし。……ぁ、今の嫌味じゃねーから」 苦笑した雲谷は道化たふうに左掌に右手の甲を重ね、恭しくメモを受け取った。 「実は僕、時枝くんの小説が好きなんだ。だから、他の人がどう思ったのか興味があってさ」 半テンポ調子の狂うおっとりとした話し方も、色白の肌に赤らむ頬ばかり目立つ顔もどうにも冴えないが、ショートケーキの苺みたいにクラスに一人はいて欲しい貴重な存在に思える。 「この人、時代物に厳しいね。時代考証はしていたんだろう?」 「足りてねぇって事だろ?判ってる。それ、大正浪漫ミステリーを狙ったんだけど、正直、書ききれてねぇんだよ。入稿ギリギリで終盤、走っちゃってさ」 「そうなの?去年の学園祭の作品だったよね。トリックも面白いし、僕は街の描写が目の当たりに見るようで本当に凄いなぁって驚いたんだ」 「あんま、褒めんなよ。調子乗んぞ」 「乗って良いんじゃない?投稿サイトのコンテストに出してみればいいのに」 「そういうのいいよ。いつまでもつか……」 言いかけてハッと口を噤み、 「俺、飽き性だからさ」 と、誤魔化した。 壁際に積まれた丸椅子を二つ並べて雲谷と交わす小説談義……、こういう話が出来るのも同じ書き手同士の醍醐味だ。 「古い作品ほどメモがウルサイね。こっちは高1の最初の作品だっけ?」 「そう……。青インク野郎は『君は未だ本物の恋を知らないね?』だってさ。大きなお世話だよな?告られてるし、付き合った事もあるっつーの」 「え゛……まさかこれ、実話じゃないよね?だって、男に告白されるとか無いでしょ」 「雲谷は無さそうだよな?」 「は?ぇ……?ぇえええっ?いや、だってさ、……ぇー?」 「錯乱してないでいいから、他のメモも寄越せよ。持っているんだろ?」 「ぁ、うん……」 高校生になって告られた数を正確に言えば『花苑女子の生徒:OL:看護師:本校のヤロー』が『3:1:1:2』だ。自分から誰かを好きになって告白したことはない。ムカつくが青インク野郎の図星だ。雲谷はブレザーのポケットから2枚のメモを出しながら、 「その……、男に告られるって、どんな気分?」 と、遠慮がちに小声で聞いてきた。 「抹殺」 俺は躊躇わず、そう答えた。
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