再会

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再会

 ピンポンピンポンとベルが鳴った。  また誰か来たのかしら、と溜め息を吐いてみる。毎日毎日見知らぬ誰かがやってきては、黄色い声を上げたり猫なで声を出したりして、本当にここは騒がしい。前にいた場所は、こんな風じゃなかったのに。  下の方からは、誰かが入り口をくぐった訳でもないのにおやつを貰おうとうるさく鳴く声まで聞こえてきて、耳を塞げない自分の無能さを嘆くしかない。  あぁ……。やっぱりこんな身なりじゃ、あの子には会えないのかしら。前はあんなに気品溢れる美しい姿だったのに──忌まわしい二つの錘まで付けられて腹が立つったら。  恨み節をぶつぶつ唱えていたら、カラカラと静かに引き戸が開いた。 (──!)  瞬間に鼻に届いた匂いを、忘れたことなんてない。  入り口の近くにある台のところに立っているのは、あたしと一緒に大きくなって、動けなくなったあたしを大泣きしながら見送ってくれた人だ。  見間違うはずなんて、絶対にない。だってあたしが、ずっとずっと傍で見守って助けてあげてきたんだもの。  バタバタ走った。  下にいる奴らにあの子を盗られないために、この姿になってから初めて全速力で。  飛び降りるには少し高い場所だって分かってたけど、あの子なら絶対に受け止めてくれるって信じてたから、ちっとも怖くなかった。  ──あたしが怖いのは、あの子と一緒に生きられないことなんだから。  飛び降りた先で、あの頃と変わらない胡座があたしを待ち受けていた。 「わっ!?」  収まりのいいそこは、あの頃と変わらない優しい温もりであたしを包んでくれたし、上から降ってきたのもあの頃と同じ声だった。 「なんや、まだ開けてぇへんで。ちょお待ちや」  デレデレとだらしなく笑う声が、耳にくすぐったい。  嗅いだことのない美味しそうな匂いはするけど、今は何よりも久しぶりのこの温もりを心行くまで堪能したかった。  いつも世話をしてくれるこの場所の主が、あたしの咲直に話しかける声は右から左に聞き流しながら、久しぶりの優しい指先が額を撫でてくれるのが嬉しくて幸せで喉がクルクル鳴る。 「……ソラくん」  膝の上でご機嫌に歌ってたあたしに、あんたは聞きなれない名前で、だけど明確にあたしに呼び掛けた。  そんな名前じゃないわ。あたしにはアンタがつけてくれたミミって最高の名前があるのよ忘れたの?  そう詰るつもりで振り返ったのに、鼻先にいい匂いを突きつけられて文句は喉の奥に引っ込んだ。  本能をくすぐる匂いに負けて、ぺろりと一舐め。 (何これ!? こんな美味しいの、あんた、前はくれたことなかったじゃないの!!)  文句言いながらも差し出された分を全部食べて、いじましくてカッコ悪いと思いながらも、名残惜しくて何度もスプーンを舐める。 「……また来るから、そん時食べよな」  宥めるように顎下を撫でられて、もうくれないんだと気付いたら、仕方ないわねと尊大に諦めて胡座の真ん中に戻った。  それにしても、この子はいつ、あたしがミミだって気付いてくれるのかしら。  あたしを撫でる手のひらの心地よさにうっとり目を閉じて、この姿になってから初めて心の底から穏やかな気持ちでうつらうつらしながらそんな風に思っていたのに。 「──すいません、そろそろお時間です」 「ぁ、……もうそんな時間……」 「ソラくん、随分なつきましたね」 「……ね」  そっと体の下に手を差し込まれて、胡座の上から下ろされた。 (……うそでしょ、ねぇ?)  あんたどっか行くの? あたしを見つけに来てくれたんじゃないの? あたしはあんたと一緒にいたくて、こんな……雄の毛皮に着替えてまで還って来たって言うのに。  ねぇ。あたしのことなんて、忘れちゃったの?  すんすん鼻を鳴らしたのに、咲直は淋しそうな顔しただけでもう一度抱き上げたりはしてくれなかった。  ……そうよね。あの頃のあたしは、優雅な真っ白の毛皮で、鼻が高くて可愛いピンク色してたのよね。あんたよく、そう言ってた。  でも今は白黒で牛みたいだってよく言われるのよ、失礼しちゃうわよね。しかも雄よ、オス。あの頃いたわよね、ただただ騒がしいだけのオス。なんて言ったかしら? 忘れちゃったわ。  ……そうね。あたしでさえ一緒に暮らしてたオスのことも忘れてるんだもの。あんたもきっと、ミミなんて名前の最高に気品溢れる猫がいたことなんて、忘れちゃってるのよね。期待したあたしがバカだったのよ。  トボトボ歩いていつもの場所に辿り着いたら、哀しくて淋しくて辛くて、もうこんな毛皮いらないって、そう思ったのに。 「ソラくん。お迎え来てくれるまで、もう少し待ってようね」  この場所の主があたしにそう笑いかけてくれたら、現金なものね。ほんの少しだけ元気が出たわ。  だけど期待はしないでおくことにしたの。  だって、さっきみたいな絶望、もう味わいたくないもの。  一緒に帰れるって、もう一度また一緒にいられるって──思った時の最高に嬉しい気持ちから、まっ逆さまに突き落とされるなんてこと、もう二度とごめんだわ。  そんな風に強がりながら、くる日もくる日も、ベルが鳴る度に顔をあげてあの子の匂いを待った。  だけど、一向にあの子の匂いはしない。  ねぇ、あんたいつ来るの? ホントに迎えにくるんでしょうね?  あたしはね、あんたに初めて会った時、三枚目の毛皮を着てたの。前の二枚でお世話になった人達に、会いたくなかった訳じゃないんだけど、ただただ猫っ可愛がりするだけのあの人達との生活は、ほんの少しだけ退屈だったのよ。  だから、なんにも考えないで与えられた毛皮を文句も言わずに着たの。  小さい箱の中に閉じ込められて、色んな人が通りすぎていくのをぼんやり見つめながら、とりあえず飢えなきゃいいかな、なんて思ってたら、あんたのお母さんがあたしを連れて帰ってくれたのよ。  あんたはあたしを初めて見た時、「きゃあっ」って嬉しそうに笑ったわね。恐る恐る触れてきたあんたの手は今の手より随分小さかったけど、あたしへの優しさも愛情も今と全く変わらなかったわ。  あたしね。あんたが、初めてだったの。  前までなら「仕方ないわね」で許してもらえた猫パンチも、あんたは「痛い!」って怒って随分不格好で全然痛くも痒くもないパンチをし返してきたし。  ベッドを占領した時だって、「狭いなぁ」なんて文句言われるだけだったのに、「もうちょいそっち寄ってよ」なんて笑ったあんたは、あたしを抱えあげて場所を譲らせたわよね。  それから、お母さんもお父さんもいない一人の時間に、誰かにフラれたとかなんとか言ってあたしを抱えて大泣きしたくせに、二人が帰ってくる前になんとか泣き止んで顔を洗ってたことも、格好良いじゃないって思ってたのよ。そんな人、今までいなかったもの。  あのオスが来てからも、あたしの前でしかあんたは泣かなかったわよね。あたし、あんたが泣いてても傍にいることしかできなくて、歯痒くて悔しくて自分が情けなかったの。だけどあんたは必ず、泣き止んだ後にあたしに言ったのよ。「傍におってくれてありがとぉ」って。誇らしくて誇らしくて胸が震えたわ。  一番忘れられないのはね、あたしが本当に動けなくなったあの時のこと。あんたはあたしを本気で呼び戻すつもりであたしを呼んだし、結局戻れなかったあたしを、本気で怒ったわよね。それでも、いつでも帰っておいでって、冷たくなったあたしを撫でてくれた。あたしが怒れないのをいいことに肉球触りまくってたことだって、あたし知ってるのよ。 『ウチの声が聞こえるとこが、ミミさんの帰ってくる場所やで。ちゃんと覚えといてや』  ──そう言ってた声を、あたしは忘れてなかったのよ。誉めてはくれないの?  もう何度も繰り返した文句を、またイチから順番に並べようとした時だった。 (──この音)  あの頃、何度も玄関まで走ったもの。間違えるわけないわ。 「ソラくん、お出迎え?」  カラカラと開いたドアの向こう、驚いた顔のあんたがいる。  あぁ、夢じゃなかったのね。あんたに会いた過ぎて夢でもみたのかと思ってたのよ。 「……そら?」  いいわ、名前なんてなんでも。あんたがあたしを呼んでくれるならなんだっていいの。  だからこれは、まぁサービスよ。猫同士の挨拶。鼻と鼻をそっと触れ合わせてあげた。  *****
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