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あなたの記憶
咲直の足音が聞こえてクッションの上で伸びを1つ。やっと帰ってきたわね、と文句を呟いていた耳に聞こえてきた、もう1つの足音に尻尾がピンと立った。
誰かしら。
そわそわと落ち着かない心地で、玄関前の柵に体を擦り付ける。
誰が来ようとここはあたしと咲直の縄張りよ。誰にも渡さないんだから。咲直の敵はあたしの敵だもの。爪はしょっちゅう咲直に切られちゃうけど、この牙さえあればなんとでもなるわ。
さぁ来なさい、とふんぞり返って座って待っていたら、扉がゆっくり開いた。扉から見えるのは間違いなく咲直なのに違う臭いがして混乱する。
「狭いんやけど、とりあえず玄関入ってもらっていい?」
「……あぁ、ちゃんと柵してるんやね」
「譲渡してもらう条件が、脱走防止ちゃんとすることやから」
見たことのない男だった。知らない匂い。ぎゅっと手足に力が入る。尻尾が膨らみかけたところで、すっと咲直が顔を近づけてきた。
「大丈夫。怖ないよ」
にこりと幸せそうに笑う咲直の顔がいやに綺麗で、拍子抜けした尻尾がしゅんと萎む。
「初めまして、ジャンプ」
呼び掛ける声は緊張しているようだけど、ゆっくり瞬きしながら同じ目線で紡がれた。
何よ、わかってるじゃない。いきなり手を出したりしないところも、ちゃんと分かっている証拠だ。
かたんと柵が開いたから、距離をとるべく部屋の奥にダッシュする。
「意外と大きいな。洋猫交ざってるんかな?」
「かもしれんね。道端に一人でポツンとおったみたいやから、お母さんもお父さんもどんな子なんか分からんて保護した人が言うてはったわ」
「そら淋しかったやろな」
十分な距離を開けた場所にしゃがみ込んで、ゆっくり繰り返される瞬き。その隣で柔らかく笑う咲直。
あぁ、なに。あんた、この男のことが好きって訳ね? あんたってホントに面食いよね。前の家の壁に貼ってあったポスターもイケメンばっかりだったもの。ブレないわねホントに呆れちゃう。
でもいいわ。この男があんたに相応しいのか、あたしが見極めてあげる。あんたが幸せじゃないと、あたしも楽しく過ごせないんだもの、困っちゃうわ。せっかくあんたの傍にいられる4回目の猫生、楽しく暮らしたいじゃない。
そろりそろりと足を踏み出して、天井に近い壁を見つめている二人が立っている方へ、歩き出した時だった。
「あれ? この写真は?」
「ん? あぁ……ミミさんって言って、……ウチの妹」
「へ~……綺麗な子やな、真っ白で目ぇまん丸やん」
「やろ~。自慢の妹やで」
──待って。今なんて言ったの。
「でもなんでこんな高いとこに?」
「あ~……ジャンプさぁ、めっちゃジャンプ力高いんよ。タンスの上とかも平気で上っちゃうし。写真立てが倒れるくらいやったらえぇけど、床に落ちて割れたりしたらジャンプ怪我するかなぁと思って。そこまで高かったらさすがにジャンプも触られへんかと思って」
「あ~、なるほど。……ペルシャ? にしては鼻高いな?」
「そうやねん。ペルシャやねんけど鼻高いねん」
「なんでドヤ顔」
「可愛い妹誉められたら嬉しなるもん」
待って。鼻が高いとか可愛いとか真っ白とか。あんたそれ。
「まぁ……ウチが就活してる最中に、いなくなっちゃったんやけどな」
「…………あぁ……」
「15、6年? 一緒におってくれて……ミミさんが猫と暮らす楽しさを教えてくれたんよなぁ」
「さん付けなんやな」
「そらもう。……気品溢れるプリンセスやったからな」
そう。あたしは気品溢れる美しい猫だったの。
あんたは今でも、あたしを忘れてはいなかったのね。
泣かないでちょうだい。
あたしは今、あんたの傍にいるわ。
「あぁ、……ほら。ジャンプが心配してるで」
「ん……」
あんた、この男の前ではやけに素直に泣くのね。あたしが見極める必要ないってことかしら。
でも、それはそれでなんだか癪だわね。
だってあたしはあんたの妹なんだもの。お姉ちゃんの相手に相応しいかどうか見極めるのは、やっぱり妹の仕事よね。せいぜい小姑ってやつを頑張ってみるわ。
だから、泣かないでちょうだい。
「ひゃあっ、くすぐったい! ジャンプ! こしょばいって!」
「……良いなぁ、オレも舐めて欲しい」
「……大概猫バカやな、聡一も」
「舌のじょりじょり感が堪らんやろ」
「……やられ過ぎると痛いけどな」
「いいねん。愛情しか感じへんもん」
いいなぁ、と静かに伸びてきた指先を、条件反射でふんふんと嗅いでみる。嫌な匂いはしない。
いいわ。じっくり時間をかけて見極めてあげる。まだまだ先は長いんだもの。
「あたし」を覚えててくれた咲直を、一番幸せに出来るのはあたしに決まってるけど。
だけど、あたしより長く生きる咲直をずっと隣で支えてくれる誰かが、絶対に必要だから。
あたしが後5回分の猫生を全部費やしたら、咲直の一生を見届けられるかもしれないけど、常に傍にはいてあげられないし。
第一、また逢えるかどうかは、賭けなんだものね。
「あぁっ……舐めてくれた! 今! 一瞬!」
「はいはい、良かった良かった」
「ちょっとぉ」
「だってジャンプはウチの方が好きやもん。なぁ、ジャンプ」
「そらそやろ。あ~、でもいいなぁ、家に猫がおる生活! 実家帰らなアカンからなぁ」
「…………ちょくちょく、……来たらえぇよ」
「……ホンマに?」
「……ホンマに」
──やぁね、あたしのことそっちのけで見つめあっちゃって。
「っい!?」
「ぇ? わぁ、ジャンプ! なんで噛むのん!?」
「だいじょぶ、甘噛み……」
かっぷかっぷと噛み続けてやってるのに、この男ったらむしろ嬉しそうで正直気持ち悪い。
ソロリと口を離したら、寂しそうな残念そうな顔するのも気持ち悪くてダッシュで部屋の隅に逃げる。
「……めっちゃ嬉しそうやな」
「だってさ~、甘噛みってことはさぁ、ちゃんと怪我させたらアカンて分かってるってことやろ。えぇ子やなぁ、ジャンプ」
「……ホンマに猫好きなんやな」
呆れた顔の咲直もなんだかんだで嬉しそうで、当てられてるのかしら、と呆れるしかない。
だけど。
まぁ、いいわ。あんたが幸せなら、あたしも幸せだもの。
いつものクッションを心行くまでモフモフして、どっかりと丸くなった。
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