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「シズコ、シズコ──! ……お前、何でこんなことを」
がっくりと膝をつき、海水で顔を濡らしたトモミツが小さくつぶやいた。
ここは、港から沖合い数キロの岩場。
海の真ん中に置き去りにされた現実は、釣り人ふたりの楽しみを絶望一色に塗り潰してしまった。
港に戻ったシズコは、普段通りに船を停めて普段通りに漁師仲間と話をし、家へ戻った。
夫とその友人を岩礁に置き去りにしたことへの後悔が微塵もないといえば嘘になる。
しかしそれ以上に、シズコには手に入れたいものがあった。
黒電話の受話器を上げ、色の褪せた電話帳をめくりながらダイヤルを十回回す。
呼び出し音が四回鳴り、『アサダです』と相手が出た。
「もしもし、マサコさん」
名乗らなくてもわかったようだ。旧友のマサコは『シズコさん』と不安げに声を出した。
『シズコさん──ご主人と、あのひとは』
「……ふたり、置いてきたど」
マサコが息を呑む気配が伝わる。
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