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【セレツィアのこと】
「セレツィア?」
聞き覚えがある国名に、私は繰り返して、思い出す。
「あ──少し前に、王様が変わったって」
その戴冠式に日本からも偉い人がご招待されたって騒いでたな。
ええっと、王様の名前はなんだったっけ?
「はい、シルヴァン様が倒れられ、ハルルート様に王座が引き継がれました。シルヴァン様がこちらのフィルベール殿下のお父上です」
「ん? 橋本君、王太子でしょ? ハルルート様じゃないの?」
あ、さっきも『本来の』って言ってたっけ?
私の疑問に、カルロはため息を吐き、橋本君は大きな舌打ちをする。
「──話せば長くなるのですが」
カルロは沈痛な面持ちで語り出した。
✳︎✳︎✳︎
地中海を望む小国、セレツィア王国。
フランスに国境を接し、フランス領に編入されていた歴史もあるため、公用語はフランス語だ。
小さな国故、目立つ産業はなく、観光で収益を得ている。
事の発端は、もう20年以上前になる、二代前の国王サンハデス王の死から始まる。
サンハデス王には、三人の子供がいた。
王太子となる、ユルリッシュ。
継承順位2位となる、エタン。
そして末っ子の紅一点、マルグテ。
サンハデス王の葬儀も終わり、いよいよ戴冠式の時期も近づいて来た頃、ユルリッシュがニューヨークのスラム街で変死体で見つかった。
異国での死は、犯人が捕まることなく終結したが。
密かに疑われたのは、エタンだった。
妹のマルグテによって嫌疑をかけられ、表向きは大病で入院とし、城内に軟禁されてしまう。
ふたりの王位継承者を一度に失い、マルグテは嫁ぎ先のアメリカから緊急帰国し、王の職務を代行する。
ユルリッシュに子供が居れば、すぐさま王位が引き継がれたであろうが。生憎嫡子はいなかった。
そしてセレツィアの憲法に、女性は王位に就けないとある。
そこでマルグテは、自身の息子、ハルルートを呼び寄せる。よりスムーズに王位に就ける様、ユルリッシュの残された妻と養子縁組までさせた。
しかし。
間もなく戴冠式と言う頃、ハルルートは突然王の座を辞退する。
それに皆が異を唱える前に、エタンの体調も戻り、玉座に返り咲いた。
「──エタン様が退位され、そのご子息のシルヴァン様が即位されたのが五年前です。若き王に国民は高揚し、実に平和な時が流れていたのですが──」
私は足の手当てを受けながら話を聞いていた。
部屋には、他に男性が数人いた。警護や身の回りの世話をしている人だと紹介された。そのひとりに丁寧に手当てされている、かすり傷なんだけど。
にしても、身の回りの世話か……本当に『王子』じゃん!
「事態が変わったのは、ハルルート様の奥方が亡くなった事に始まります」
辞退された王様の、奥さん?
「シルヴァン様とハルルート様、おふたりの奥方様は、大学時代のご学友なのです。元はハルルート様の婚儀の為にいらした渚沙様をシルヴァン様が見初めたのが出会いです」
「わあ、凄い、ロマンティック!」
「ええ」
カルロがにこっと微笑んだ、王様夫婦の仲の良さを垣間見たような気がした。
「そのおふたりの奥方様たちのお力添えもあって、本来の血筋であるエタン様、シルヴァン様と王位を継いでこられたのですが──マルグテ様は、王座を諦めてはおられなかった」
「え、えっと、アメリカに嫁いだ……?」
「ホテル王とまで呼ばれる資産家に嫁がれたのですが、内情は火の車だったようですね。サンハデス王が倒れられた折に随分と資産を持ち出されていた形跡があったのです。それでは物足りないとご子息を即位させたかったようなのですが」
それで、息子を養子に?
「実は、ユルリッシュ様の死に、マルグテ様が大きく絡んでいる疑いがあるのです」
「え、殺した、と言うこと?」
カルロはただ、視線だけを下げて肯定した。
「疑惑にハルルート様は王位を辞退されましたので、自動的にエタン様が即位されています。それから20年余り、平和な世が続いていたのですが──7月、ハルルート様の奥方の恵里佳様がお亡くなりになりました。その訃報の使者にフィルベール様を任命されたのは、ハルルート様を経由しましたが、マルグテ様です」
「え、その場合、普通は誰が?」
「ハルルート様の側近であるべきでしょうね。しかし丁度フィルベール様が夏休みでフランスの寄宿学校からセレツィアに帰国されていたのを理由に、たまにはおばあさまにお顔を見せて差し上げては、と進言されました。特に断る理由もなく、シルヴァン様も渚沙様もよいのではと言う事で来日したのですが──」
カルロが沈痛な面持ちで言葉を切った、その瞬間、橋本君は座っていたソファーを立ち上がって別室に行ってしまう。
「事態は一気に動きました。フィルベール様が訪日してすぐ、シルヴァン様は倒れられてそれを理由に失脚し、ハルルート様が即位され、フィルベール様は反逆の恐れがあるとして国外追放されました」
「──え」
そんな事が出来るの!?
「マルグテ様は、ご主人の死をきっかけにセレツィアに戻っています。嫁がれたとはいえ元は王族の一員です、拒否はできません。なぜ戻られたかは、馴染みのあるセレツィアの方が過ごしやすいとはおっしゃってましたが、一番は王族と繋がる事での利点や、アメリカよりも遥かに税金の優遇があるのが理由でしょう。そのマルグテ様に、ハルルート様は頭が上がりません」
実のお母さん、だもんね。
「フィルベール様は1週間の予定での訪日しましたが、帰国もままならず、事態を重く見てすぐさま難民申請をしました、事情が事情なので受理自体はすんなり進んでいます。それと亡命も視野に──しかし日本では亡命は無理なので、第三国の選定を始めています」
「亡命?」
「命を狙われているのです」
「あ」
だから、さっき──!
「難民申請が通ったならば日本に居たいのですが、ここはお母上の生まれ故郷です、亡命先にしてしまうと外交的に問題があるのです」
「反逆って……橋本君に、本当にそんなつもり、ないんですよね?」
にこっとカルロが笑う。
「ああ、忘れていました、学校では、ハシモトなのですね」
「ん?」
「渚沙様のファミリーネームですね。ずっと家に閉じこもっていると精神衛生上よくないので、受け入れてくださる学校もあったので通わせているのですが、フィアロンの姓を名乗るのものどうかと思い、橋本を使っています。渚沙様のお母様も、いくらでもいてくれと言ってくださっているのですが……殿下は学校ではどうですか?」
「え、あ、普通、かな? ううん、自分から積極的になんかするタイプではないですけど……友達は多い、かも」
つか、取り巻きだけど。でも、カルロは嬉しそうに微笑んだ。
「学校では高校生らしく過ごせているのですね、安心しました。私どもにはいつもイライラしている様子しか見せないので──家族から引き離され、警護しか話し相手がいない状態では仕方ないのですが」
「──うん」
そうだよね、急に国にすら帰れないってなったんだもんね。
「あ、日本語、上手なのは、お母さんが日本人だからですね」
「ええ、殿下は度々日本にいらしてますし、学校でも日本語を専攻されております。私は渚沙様に教わったのですが」
え、お妃さまが結婚してからって事だ!
「凄い、上手! 全然イントネーションとかおかしくないじゃないですか!」
「ありがとうございます、渚沙様と恵里佳様のガールズトークに混ぜていただいた成果でしょうか」
「が、ガールズトークって」
思わず噴き出した。
「さて、手当も終わったようですね」
カルロがすくっと立ち上がった、手当はとっくに終わってる。窓の外は真っ暗だった。
「すっかり遅くなってしまいました、タクシーで送りましょう」
玄関に向かって歩き出す、途中橋本君が入って行った部屋のドアを叩く、フランス語で何か話しかけたけど、反応はなかった。
JR根岸線の港南台駅にある家まで送ってもらう、カルロが付き添ってくれた。
「お名前を伺っていませんでした」
カルロが優美な笑顔と共に聞いてくれる。
「あ、はい、満島里帆と言います」
「リホ、可愛らしいお名前です」
ベタな褒め文句だけど、ちょっと嬉しい。
彼はカルロ・キアーラと自己紹介してくれた。
「今日、見聞きしたことは、何卒口外なさらないようにお願いたします」
見聞き──拳銃で襲われた事や、橋本君の素性……だよね。
「はい」
素直に返事をすると、カルロはにこりと微笑む。なんか、今更だけど……むっちゃかっこいい人だな。こんな人が警備員なんて、なんかもったいない……。
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