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胎児よ胎児、ぼく胎児。流産所望
おばあちゃんが死んだあと、忌引きあがりの久しぶりの登校だった。
小学六年生ともなれば、祖父母が死んでいくことは決して珍しくない歳だ。
席が左斜め後ろの天崎くんも、先月祖父の火葬のために忌引きした。
――その日の放課後、公園に遊びに行くと、
新品のトレーディング・カードゲームのプレミアデッキを持った天崎くんがいた。
三千円近くもするスペシャルバージョンデッキだった。
「すごいね天崎くん。いったいどうしたのそれ?」
「オレ、じいちゃんが死んだろ。その遺産ってわけで、お小遣い多く貰ったのさ。すごいぞ、レアカードが10枚も入ってる」
嬉しそうに笑う天崎くんを前に、友達のお古でかき集めたノーマルデッキを自身の半ズボンへねじ込んだ。
この一件から天崎くんが嫌いになった。
おばあちゃんが死んだあと、ボクに渡されたのは本好きだったおばあちゃんの本棚だ。
古本屋に売ったところで二束三文なので、普段から部屋で本など読んでいたボクにお鉢が回って来たと言うことだ。
田河水泡の『のらくろ二等兵』から吉野源三郎の『キミたちはどう生きるか』まで。
プロパガンダ漫画から左翼啓蒙小説まで幅広い、ともすれば無作為で微妙なラインナップだ。
政治は嫌いだ。と言うか好きな小学生がいてたまるか。
だから言葉だけを拾っていった。
好きなフレーズ、言い回し、形而上的表現。
そこに高尚な思想など持ち込むことはない。
おばあちゃんが右か左かどっちかだったか、どんな信念を持っていたかなんて関係ない。
ただ楽しい、面白い、と思って読んでいた。
そんな中でただ一冊、異彩を放っていた本。
レイ・ブラッドベリの『華氏451℃』この世に数多ある書物の総てが禁書として扱われ、所持しているだけで重罪となる世界で、焚書官として本を燃やす男の話。
それはやがて活字さえ読もうとしなくなる未来人類への警鐘とも、天崎くんとは決定的に分かたれた日陰者である自分への皮肉とも、どちらともとることができた。
プレミアトレーディングカードと、ホコリを被った古典SF小説。
おばあちゃんの棺にはどちらも入ることは無かったが、ボクが死んだときには、どちらを入れてもらえば浮かばれるのだろうか。
ともあれ、おばあちゃんの忘れ形見のお陰で、中学に入る頃には、ビブリオマニアを自称できる程度には読書家になっていた。
二宮金次郎像のマネをしながら下校した。
クラスメイトでは到底埋める事の適わない本屋のスタンプカードを埋めきった。
おかげで地の学力はそこそこ上がり、勉強をせずとも成績は中の上をキープしていた。
図書室の本を全部読破してしまおうなどと熱を上げた。
しかし、一方でボクはそんな自分に対して、不安とも焦りともとれる感情を抱いていた。
当時のボクは所属する部活動もなく、コミュニケーションも苦手でおまけに痩せ形でメガネをかけていたせいか、クラスでは鼻つまみ者だった。
いや、空気だった。
いてもいなくても、どちらかと言えばいない存在だったのだ。
一方で天崎くんは、中学になってから身長が著しく伸び、今ではバスケットボール部のエースである。
クラスの人気者で、欠けてはならない、いなくてはならない存在だったのだ。
そう、まるでガラスケース内に飾られたプレミアムデッキのようである。
…自分はこんな根暗でいいのか、一生変わることなんてできないのではないか。そう考えると気持ちが遥か深海の底のマイナーな深海生物が如く沈み込んで行った。
ずぶりと意味もなく身体を震わせ、教室の隅で、より一層肩を縮めて活字へ埋没する。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』である。心なしか耳穴の奥からブウウウーーーーンンンなど、幻聴が聴こえ始めた。
ボクは、ボクはこのまま一生変わることなんて――――
「――ね、そんなに面白いの、その本」
顔を、上げた。
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