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「昨日かなり雨が強く降ってたんで、はるを車で迎えに行ったんですけどね――」  ぶっきら棒な物言いは、イマドキの若者だから良いとして(仕事ではきちんと丁寧に喋るし)(たけし)がここまで憮然とした表情を見せることは滅多に無い。 「どうした。何かあったのかい?」 「うーん……」  僕がICUの責任者になりたての頃、体力と根性があって優秀な新卒看護師を配属して欲しいと上司に掛け合い、その年にやってきたのが豪だった。  初対面の印象は、今でも脳裏に焼き付いている。  三白眼というのだろうか――シャープで涼し気な目元に惹き付けられた。肌は薄っすらとした褐色、上背があり顔が小振りでスタイルが良いせいか、スクラブが誰よりも似合っていた。  短くカットした髪は清潔感を醸し、男らしい風貌をより引き立てていた。 『今日からお世話になります!』    低く落ち着いた声ではきはきと挨拶をし深々と腰を折った豪は、見た目に反して明るく礼儀正しい青年で、先輩看護師や医師たちともすぐに打ち解け、可愛がられながらも厳しい職場で多忙な日々を送っていた。  最新の高度救急救命を誇る我が大学病院には、毎日多くの緊急患者が運び込まれてくる。ER(救急外来)を経てICUに運ばれてくる患者はいずれも重篤な状態で、ひとときも目が離すことができない。また、特変時には緊急オペに駆り出されることも少なくない。  24時間気が抜けない職場ではあるが、自分が予てから希望していた部署だったので、僕は充実した日々を過ごしていた。  女性が多い看護師という職において、新卒の豪は率先して力仕事を請け負い陰日向なく一生懸命働く姿は、誰の目にも好印象だった。    仕事が順調に回り始めた頃、妻が大きな病を発症し入院生活が始まった。  僕達には2歳になる娘がいたが、24時間受け入れ可能な病院内の保育室に預けながら仕事を続けていた。  僕の実家は遠方で、妻のご両親は早逝していたので頼れる親族がいなかったのだ。  そんなある日の昼食時のことだった。 『先生。はるちゃん、今日も保育室ですか?』  急患の受け入れが一段落したタイミングで、豪が訊いてきた。 『今夜もここを離れられそうにないしな。可哀想だけど――』  少し思案顔の豪が、『俺、明日休みなんではるちゃん預かりましょうか? 実家もそんな遠くないですし、うちの母親専業主婦だからめちゃくちゃ可愛がると思いますよ? ね、どうですか? 俺もはるちゃん可愛いし』そんなことをいきなり言い出した。 『……いや、しかし――』 『はるちゃんが心配ですか? そうだよな……。うん、確かに怪しいですよね。ちょっと待って下さいね――』  豪はいきなりスマホでどこかに電話をしはじめると、二言三言の後、僕に話すようにとそれ(・・)を渡してきた。  直前に、画面を自分の袖口でごしごし拭ってから。 『もしもし? ――』  電話口では、豪の母親だという女性が元気な声で『遠慮しないで、はるちゃんを豪に預けて下さい。うちは大歓迎ですよ! 豪の弟や妹もいますし、主人も子供好きですから。私も楽しみですし、ね?』と、僕に負担を掛けないようにという配慮からだろう――妙にはしゃいだ声で話し続けていた。  ――若さ故の進行度で妻の容態は悪化の一途を辿り、闘病1年目にして帰らぬ人となってしまった。  最期を迎える直前、はるを彼女の元に連れてきてくれたのも豪だ。  無邪気に笑うはるを、ぎゅうぎゅうと抱きしめた妻の、その泣き笑いの表情は切なくもあり幸せそうでもあった。  その後、3歳で母親を失ったはるの育児でいっぱいいっぱいの僕を、豪は何くれと無くサポートしてくれた。  仕事の後はるを連れて僕の家で過ごすようになった豪とは、はるを寝かしつけたあと偶に晩酌をすることがあった。ある晩、珍しく(したた)かに酔った豪が『俺、生粋のゲイなんでー、先生みたいに子供作れないんスよー。子供好きなんだけどなー』と無意識に呟いたことがあった。  翌朝の豪は、そんなことなどすっかり忘れ去っていたようだが。  はるが4歳半の頃、豪に気持ちを打ち明けた――自分はバイセクシャルで、男女どちらとも付き合うことができる。はるの面倒を見てくれている豪に対して、最初は感謝の気持ちを抱いていたが、公私共に裏表のない性格やプライベートで見せる少し子供っぽい仕草、そして、キミの優しい心根に惹かれている――是非とも『付き合って欲しい』と。
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