第13話

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第13話

 短い金髪がふわりと揺れて……ちふゆが青藍を見上げてくる。    薄い唇をもごりと動かしたちふゆが、持っていた通帳を青藍の胸に押しつけて、言った。 「これで……おまえを買う。青藍を、み、身請け?ってやつ?、をする!」  身請け、という言葉が合っているかどうか、不安そうに、それでもそう口にしたちふゆが可愛くて……。  男からもらったばかりの金を、惜しみなく青藍へと差し出してくるちふゆが……いじらしくて。  青藍は思わず、ちふゆを強く抱きしめていた。 「ちー!」 「わっ、く、苦しいっ」  ちふゆのまろやかな頬にスリスリと頬ずりをすると、ちふゆが猫のように全身を捩って逃れようとする。  その甘いような抵抗ですら可愛くて、青藍はこのままずっとちふゆを抱きしめていたい思いに駆られた。  衝動のままにちふゆを奪ってやりたい、と場所もわきまえずに膨れ上がってしまった青藍の欲望に、水を差したのは楼主だ。 「盛り上がってるとこ悪ぃが、ちょっと待ちな」  男が、二人の間に冷静な声を割り込ませてきた。    楼主がちふゆの両親を顎でクイと示した。  千秋と音羽氏が、ともに不安そうな顔でこちらを見ている。 「手前(テメェ)らはいま、互いに盛り上がってる最中だろうがな、親からすりゃあいっときの感情で突っ走って後悔しやしねぇかと心配なんだよ」  そう言って片頬で笑う男は、若いようにも年老いたようにも見えて、そういえば楼主はいったい何歳なのだろうか、と青藍は疑問に思った。  家族は……伴侶は、子どもは、居るのだろうか。ここまで私生活がまったく想像できない男も珍しい。 「ちふゆくん」  音羽氏が一歩前へ進み出て、ちふゆの名を呼んだ。 「彼の言う通りだよ。千秋さんも僕も、きみを心配している。そのお金はもうちふゆくんのものだそうだから、きみの好きに使うといいけれど……きみたちは出会ってまだ数か月だろう? 青藍くんのために大金をはたいて……数か月後、数年後のきみは、後悔しないのだろうか?」    音羽氏の静かな声は、青藍の耳にも痛いほどに沁みた。  男の言葉は正論だ。  それと同時に、彼がちふゆのことを心底案じていることも伝わってきた。  音羽氏はかなりの富豪のようだから、ちふゆの得た金を惜しんでいるわけではないだろう。  彼は彼なりに、息子になったちふゆのことを心配し、いま、誠意のある問いを息子へと投げかけているのだった。  ちふゆが唇を噛みしめる。  可愛い困り眉が、ぎゅっと内側に寄せられて……泣き出しそうな表情になっていた。 「ちー」  もういいよ、と言おうとして、青藍は薄い肩をそっと叩いた。  青藍のためにお金を使おうとしてくれた、その気持ちだけで嬉しかった。 「ちー。ご両親の言うこと、聞いた方がいいよ」  青藍がそう囁くと、ちふゆがハッとしたように顔を上げた。 「親孝行したいって思ったときに、必ずご両親が居るとは限らないしさ。……俺みたいに。だからちーは、ちーのお母さんとお父さんを、大事にしたらいいと思う」    ちふゆと青藍は、これが今生(こんじょう)の別れというわけではない。   ちふゆが淫花廓へ来なくなったら寂しいけれど……それでも青藍はちふゆのことを想い続けるだろう。  あと数年間、ここで頑張って働いて……年季が明けた折にはちふゆを探し出して、またこの腕に抱きしめる。  それを目標に、しっかりと生きていこうと、思った。  ちふゆが青藍を見つめたまま、声もなく首を横に振る。  いやいやをする子どものような仕草が可愛くて、青藍の胸は甘苦しくよじれた。    可愛い可愛いちふゆ。  いつだって幼い弟妹たちのことが一番だった青藍の、こころの中に、いつのまにか住み着いていて。  そして、いつしかちふゆの存在は膨らんでいた。  ホームレスに向かって札束を投げつけていた、最初の、あの衝撃は、少しも色あせずに。  むしろどんどんと鮮やかさを増して、青藍の内側を埋めつくしてゆく、ちふゆ。  気付けば彼は、家族と同じくらい大切な相手にまで、なっていた。 「ちー。好きだよ。数年先になっちゃうけど、俺、ちゃんとおまえに会いに行くから」  少しの感傷を交えて、青藍はちふゆへの約束を、口にした。  するとちふゆが首を振って、青藍の胸倉を渾身のちからで掴んできた。 「…………だ」 「え?」 「い、嫌だっ!」  必死の形相で、ちふゆが叫ぶ。  それから音羽氏の方を振り向いて、ほとんど涙声で訴えた。 「お、オレと青藍が、まだ数か月とか言うけどっ、か、母さんと、あんただって、そんなに長くは付き合ってねぇじゃん!」 「ちふゆくん……きみはまだ若い」 「若いとかカンケーねぇし! お、オレ、バカだから先のこととか、将来とか言われてもわかんねぇけど、い、いま、青藍と居たいと思ってんの! オレが、いま、青藍と居たいって思ってんの! そ、それのなにがいけないんだよっ。オレが、青藍と一緒に居られない理由ってなに? お、お願いだから、いじわる言うなよっ。使った分の金もちゃんと返すし、ベンキョーしろっていうなら大学行くし、働けっていうならちゃんと働くから……。お願いします。お、オレに、この金使わせてください。お願いします…………父さん」  ずっ……と鼻を啜ったちふゆに、一瞬音羽氏の体が固まった。  千秋も目を真ん丸にしてちふゆを見ている。 「……は、初めて僕を、父さんと……」  音羽氏が感極まったように千秋を見た。  母親は口元を手で押さえて目を潤ませながら、何度も頷いている。       ちふゆはべそべそと泣きながら、 「お願いします、父さん、母さん」  と頭を下げた。  親子の感動の場面を見ながら、青藍は、あざとい……と思った。  このタイミングで音羽氏を父と呼ぶとは……中々のあざとさだ。  音羽氏も千秋も、すっかりちふゆに(ほだ)されている。  これが計算ではなく、天然なのだから、まったくちふゆは恐ろしいのだった。   「身内贔屓(びいき)になるかもしれねぇが」    不意に楼主が口を挟んできた。 「そこの青藍は、両親を失くしていてな。若ぇ身空でたったひとり、幼い弟妹を養っていくために男娼なんて仕事をしてンだよ。その辺も汲んでやってくれねぇか」  楼主の言葉に、ちふゆの両親がハッとした視線を送ってくる。  ……これは計算だ、と青藍は察した。  楼主のこれは、ちふゆの天然とは違い、計算の上での言葉だ。  青藍の身の上話を、一番効果的な場面で彼らに聞かせたのだ。  音羽氏と千秋の目に、迷う色が浮かんだ。  明らかに青藍に対して同情を覚えている。  彼らの表情を見て、楼主が得たりとばかりに唇の端を歪めた。  そして、畳みかけるように口を開く。 「かといって、どこの馬の骨とも知れねぇ男に大金を放り投げるのも不安だって気持ちも、俺ぁわからないでもない。だからこうしちゃあどうだ?」  男は張りのある声で、折衷案を提示した。 「ご子息はこれまで通り淫花廓へ通う」  音羽夫妻が、戸惑いも露わに首を傾げた……。
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