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第5話
初めてキスをされた。
ちふゆの、ファーストキスだった。
ベッドに押し倒されたと思ったら、青藍がなにかわけのわからないことを言ってきて……。
手は、左右まとめて青藍の右手に掴まれているし。
爽やかに整った顔は、やたらと近くにあるし。
いつもよりも低い声で、「ちふゆ」なんて、呼んでくるし。
真顔になった青藍は、懐っこい犬から獰猛な狼に変身してしまったかのような迫力を纏っていて。
ちふゆは、パニックになった。
そのうちに、唇が重なってきて。
ちふゆは目を見開いたまま固まってしまった。
唇に、やわらかな弾力が押し付けられている。
青藍はしばらく、そのままで静止していた。
気付けば手の拘束が外れている。
自分に覆いかぶさっている男を押しのけようと、着物の胸に手をついたけれど……まったくちからが入らずに、なんの突っ張りにもならなかった。
そうこうしていると、息が苦しくなってきた。
早くキスをやめてくれないと、窒息してしまう。
「ん~っ」
ちふゆは呻きながら、無理やりに顔を振って青藍の口づけから逃れた。
「ぷはっ」
大きく息を吸い込んで、呼吸を整えているちふゆを見下ろして、青藍が笑い声をあげた。顔全体に広がる、いつもの笑い方だった。
「は、ははっ。ちー、顔真っ赤。息止めてただろ?」
「っ……お、おまえがさっさとやめないからだろっ」
「だって、苦しそうにプルプルしてるちーが可愛かったから」
「お、おまっ」
声を荒げかけたちふゆの頬を、青藍がするりと撫でた。
指の腹が、顎先をくすぐって……なんだからいやらしい手付きに思えた。
「ちー」
「な、なんだよ」
「キスのときは、鼻で息するんだよ。俺もそうしてるし」
「は、鼻で息したら、鼻息が当たるだろっ!」
近寄ってくる男の顔を押しのけて、ちふゆはジタバタと青藍の下から抜け出そうともがいた。
そんなちふゆを易易と抑えつけて、青藍が大笑いする。
「ち、ちーっ、あははっ。最高っ」
「なっ……」
眉を吊り上げたちふゆの下唇が、青藍の指で摘ままれた。
ぷにぷにと親指を動かされて……ちふゆは首を振って逃れようとしたけれど、今度は顎を掴まれて阻止される。
「ちー。いまのはキスじゃないよ?」
「は?」
「あれは、ただのちゅー」
「ちゅ、ちゅーもキスも一緒だろっ。ちょ、おまっ、いい加減にどけって」
「ちー」
くりくりと動く青藍の黒い瞳が、じわりと細まった。
ささいな表情の変化なのに、ぐっと大人びて見えて……。
雄そのもののような色香が、彼の目の奥からとろりと蕩けてくる。
「本物のキス、したくない?」
囁く声音で、青藍が問うてきた。
ごくり、とちふゆは生唾を飲み込んだ。
これまで青藍はちふゆと居ても、こんなふうに性を匂わせるようなことはしなかったし、言わなかった。
二人でただダラダラと、ゲームをしたり漫画を読んだりしていただけだ。
それなのに。
どうしたのだろうか……。
そう言えば先ほど彼は、漆黒がどうのと口にしていた。
ちふゆが漆黒に話しかけられているのを見て、浮気しないで、とも言っていたか……。
そうか、とちふゆはあることに思い当たる。
青藍は、男娼だ。
普段の彼は、みだりがましい雰囲気とは無縁の、ひなたのような印象なので忘れがちだったけれど。
青藍は、男娼なのだ。
だから、彼の言う『浮気』とは、こころのことではなくて……。
青藍の稼ぎが減るから、他の人間を指名したりするな、ということなのだろう。
青藍が突然ちふゆにこんなふうに迫って来た理由がわかって、ちふゆはスッキリした。
スッキリした、はずなのに。なぜだろう。胸がモヤモヤする。
青藍をお金で買っているのはちふゆ自身なのだから、べつに怒ったりするようなことじゃない。
男娼が、自分の客を他の男娼に盗られまいと、大してタイプでもない、食指の働かないちふゆにも、本来のサービスをしようとしているだけのことである。
モヤモヤするようなことじゃない、のに……。
ちら、と視線を上げて男を窺うと、こちらを見下ろしてくる黒い瞳とかち合った。
ちー、と声を出さずに、青藍が唇だけでちふゆの名を象り、返事を促してくる。
本物のキス。
さっきのちゅーとは、どう違うのだろうか。
「……し、しても、いいけど」
ちふゆは目尻にちからを入れて、声が震えないように気を付けながら、青藍を睨みつけて答えた。
なにが可笑しかったのか、青藍が小さく肩を揺らして笑う。
「な、なんだよ」
「ん~、なんでもない。ちーってほんと、可愛いよな」
くしゃり、と青藍のてのひらがちふゆの髪を掻き混ぜる。猫でも撫でるような仕草を、ちふゆがやめさせようとする前に。
ちゅ、とまた唇がくっついた。
青藍の唇は、ちふゆのものよりも少し厚くて……やわらかい。
「これがちゅー」
ほんの僅か、唇を離して。
青藍が囁いた。
そして。
「ここからが、キスだよ、ちー」
そう言った、男が。
改めて唇を重ねてきた。
ぬるり、と熱いものがちふゆの唇を割った。
ちふゆはビクっと体を跳ねさせた。
舌だ。
青藍のベロが、ちふゆの口の中に入ってくる。
「やっ……ちょ、き、きたな、い」
「ちー。大丈夫」
首を振って逃れようとするちふゆの顎を、青藍の手ががっしりと掴んでくる。
彼の左手には、マメが数か所できていて……その硬いマメが、頬や首筋に触れている。
剣道の素振りをよくしているからだ、と話していたっけ……?
現実逃避なのか、ちふゆはそんなどうでもいいことを思い出していた。
くちゅ……と濡れた音がした。
舌同士が。
ちふゆの口腔内でこすれあっている。
ぬるりぬるりと舐められて、腰の辺りがぞわぞわとした。
「ふぁ……」
変な声が漏れた。
ちふゆは真っ赤になって、青藍の胸を押した。
けれど、約20センチの身長と、たぶん身長と同じぐらいあるウエイトの差は、歴然としていて。
青藍の肉体はびくりともしなかった。
唾液が溢れる。
啜られて、注がれるそれが、ちふゆの口の中に溜まってゆく。
どうしようもなくて、ごくりと嚥下した。
動いた喉元を褒めるように、青藍の指がくすぐってくる。
「んっ、んぁっ、……んむっ」
呼吸が不自由だ。
苦しい。
鼻で息をしろと言われたことを思い出す。
ちふゆはそろそろと鼻から息を吐き出して……吸った。どんどんと荒くなる鼻息が恥ずかしい。
青藍はどうやって呼吸しているのだろうか。
ちふゆは、無意識の内に閉じていた瞼を、恐る恐る持ち上げた。
青藍の整った顔が、ドアップで映る。
通った鼻筋と……伏せられた睫毛が見えた。
ちふゆが目を開けたことに気付いたのか、青藍が不意にパチリと黒い瞳を覗かせて、笑みの形に撓めた。
青藍の舌先が、上顎の裏を舐めた。
「んん~っ」
ちふゆの腰が跳ねる。
ジャージの足の間には、着物を割り開くようにして覗いた筋肉質な太腿がどんと据えられていて。
浮き上がったちふゆの腰の、その股間部分が青藍の太ももをこすり上げる形となった。
合わさったままの唇が、ふふっと笑った。
散々ちふゆの舌を吸った青藍のそれが、唾液の糸を引いて、ようやく離れる。
はふ……とちふゆは胸を喘がせて酸素を吸った。
けれどキスはこれで終わりではなかった。
「ちー。ベロ出して」
頭がぼうっとしていて、思考が回らない。
べ、とちふゆに向かって舌を出してみせた青藍の言うままに、ちふゆは口を開いた。
青藍と同じようにベロを伸ばすと、赤い舌先に青藍がしゃぶりついてきた。
ぬぶっ、ぬぶっ、とそこに吸い付いたまま、青藍が顔を上下に動かす。
「んあっ、あっ、あっ」
ちふゆは青藍の口全体で舌を愛撫され、悶えた。
閉じ切れない唇の端から、唾液が零れてあごを濡らした。
キスをされているだけなのに、なんだかどんどん下半身に熱が溜まってきて……。
ひくん、と腰を揺らす度に、ちふゆのそこは青藍の太ももに当たり、新たな刺激を生んでしまうから。
ちふゆはもう、まともにものを考えることが出来なくなってきた。
ちゅばっ、と派手な音を立てて、青藍の口の中からちふゆの舌が解放された。
ちふゆは呼気を乱して、離れてゆく青藍の濡れた唇を目で追った。
青藍が親指の腹で自身の口元を軽く拭って……ちふゆを見下ろして笑った。
「ちー、蕩けた顔してる」
「し、して、ねぇ……」
「してるよ。ちー、気持ち良かった?」
小首を傾げて青藍が問いかけてきた。
さらり、と癖のない彼の髪が揺れる。
自分で尋ねたくせに、青藍はちふゆの返事を待たなかった。
「気持ち良かったんだ」
そう、決めつけて。
青藍の手が、ごそりとちふゆの下腹部を探った。
ちふゆのそこは、腫れていた。
青藍とのキスで、欲望を表して腫れていた。
ジャージのテロテロな生地は、膨らんだそこをまったく隠してはくれなくて。
ちふゆは全身を羞恥で赤く染めた。
「ちふゆ」
青藍が、低い声でちふゆを呼んだ。
顔がまた、狼のようになっていて……。
真顔の彼に睨まれて、ちふゆはぶるりと震えた。
「ちー。もっと、気持ちよくなりたい?」
青藍の手が、じわりと股間を這う。
布越しに、ちふゆの性器の形を確かめるように、ゆっくりと握られて……。
ちふゆは青藍に急所を掴まれ、瞳を潤ませた。
なんの涙かよくわからない。
滲んだ視界に、青藍の色っぽい顔が映っている。
「ちふゆ。どうする?」
返事を急かされた、ちふゆは……。
こくり、と、頷いていた。
「お、オレの、こと、き、気持ちよく、しろよ」
そう答えたちふゆの唇が。
青藍のそれで、また塞がれた……。
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