傘と私

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傘と私

   傘と私                華月 龍弥  朝のニュース。 「今日は曇りのち雨。本格的な梅雨の到来です。曇っている日であっても、折り畳み傘を持っておくと良いと思います」 天気予報。 「今日から梅雨入りかぁ」 私の嫌いな季節がやって来る。心もどんよりと沈む。何がそんなに嫌なのか。梅雨は女の天敵。髪型が決まらないのが何より心に堪えるのだ。 友達の美幸なんか、髪が上手く纏まらないなんて言って、学校に来なかったこともあった。何よ、それ。 今日は休みだ。 折角心弾むお出かけとしたかったのに、晴れ女と言われる私も、梅雨入りには叶わなかった。  今日は美容院に行かないと。あ、それと定期購読している雑誌を買いにいかなくちゃ。  傘を持って出かける。          ☆  美容院に着くと、まだ開店して数分しか経っていないのに、五組の客がすでに私の前に座っていた。予約をしなかった人達だろうか。  それとも、予約をしたけど待ちきれなかった人なのだろうか。これでも早く来たつもりだったのに。ちゃんと予約しておけば良かった。 でもいいや、お気に入りのイケメン店長さんも指名出来た。店長さんには階級がある。私はトップスタイリストを選択したから、通常料金にプラスされる。  待合室で周りを見ている。私は結構人間ウォッチャーだ。透明の壁の向こうには、数人の美容師さんとお客さんが楽しそうに談笑していた。しかし、なんでこうずっとしゃべるかな。周囲に響くくらいの大きさでしゃべっているおばさんもいる。ここは髪を切りに来てるんだよ‼ でもちょっと羨ましい。あんなにスラスラと、店員さんと言葉を交わせるスキルがだ。ちょっと陰キャな私には羨ましくも思う。    窓の外を見ていると、木ノ葉が雨に打たれているのがわかる。あらー、髪切ってる間に止んでくれないかな。 一時間くらい待って私の番がきた。イケメン美容師である店長さんの笑顔で、私のイライラはどこかに消えた。 鏡越しに店長さんのさわやかな笑顔が私を、私の髪を見て長さを確認している。目が合って、店長さんはニコッと笑顔を返してくれた。恥ずかしくなりスッと目線を逸らした。 「以前来られたのは……一ヶ月くらい前でしね? 結構伸びましたねぇ」 私の恥じらいなどお構いなしで、店長さんは、爽やかに投げかけた。どうしてイケメンさんって、声もイケメンさんなのだろう。不思議だ。よし、思い切ってあのセリフを言ってみよう。 「いつもの長さでお願いします」  数秒置いて。 「あ、はい! いつもの長さですね。わかりました」  通じた。通じたかなと思ったら、タブレットで私の以前のデータを確認している。爽やかなイケメン店長さんを指名して三回目。ちょっと「いつもの」と切り込むのは早すぎたかな。 「一応、確認しています。自分の記憶が違っていたら大変なので」  自分の気持ちが見透かされたみたいで、ちょっと申し訳なく思った。 「で、ですよね。そうですよね。間違っちゃったらやばいし」 「そうですね。確認は大事なので」  その後ちょっとした沈黙が出来てしまった。コミュ障の私はなんて馬鹿な事を言ってしまったのだろう。死にたい。しばらく静かにしてようっと。  美容師さんの確認がひと段落したところで、洗髪場所に誘導された。あぁ、私の一番好きな時間がやってきた。 洗髪が私の一番好きなポイントだ。美容師さんの指がリズム良く地肌を滑る。お湯の温度もまた心地良い。布を顔にかけてくれるのもありがたい。人に見せられるような顔をしていないから。  洗髪を終えて、立ち上がった後の、自分の席に戻る時に店員さんがみんな「お疲れさまでした」と声をかけてくれる。いやいや、私の頭をスッキリさせてくれた美容師さんに言ってあげると良いと思うよ。それにしても、この「お疲れ様」はどちらに言っているの。私かな美容師さんかな。いやいや、多分どちらにも言っているんだろう。  梅雨になるので、髪の毛のお手入れ方法等、を聞いた。あと、リンスとトリートメントの違いを聞いたりした。流石専門のプロイケメンさん。いやいや、プロ美容師さん。スラスラと答えが返ってくる。  心地良い髪切り音―― 「お客様……お客様」  遠くの方から美容師さんの声が聞こえる。 「はっ」  私はいつの間にか寝てしまったようだ。よだれとか出なかったかな。うん。出てない。  恥ずかしい――  「はぁ」と思わずため息をもらしてしまった。 「あ……どこか、まずいですか? お気軽におっしゃってくださいね」 心配そうに美容師さんが鏡越しに、俯いている私を覗き込むように聞いてきた。そうじゃない、そうじゃないんだ。 「ぇ……い、いえ! いいえ! あの……ち、違うんです。うん、違うのです!」   訳の分からない事を言ってしまった。でも、髪型が気に入らないということは主張出来たかな。  幾ばくかの間があり、数秒置いて美容師さんがクスクスと下を向き、そこから満面の笑みで私を見る。吹き出すのを我慢している感じ。 「す、すいません。ぷっ……うん。はい。とりあえず、髪型は大丈夫なんですよね?」 「も、もちろんです! 最高です!」  少し美容師さんとの心の距離が近づいた気がした。 「整髪料、付けて大丈夫ですか?」 「はい。お願いします。これからちょっと出かけるので」 「お、ならばっちり決めときますね!」 ブロー、髪型を整え、カッティングドレスを外してくれた。一ヶ月に一回の、私の好きな時間が終わった。  「ありがとうございました。また来て下さいね」  美容師さんに見送られ、外に出た。  もうすっかり、雨は止んでいた。雲の切れ間から青空がのぞいている。   ほらね、やっぱり私は晴れ女だ。  手首に傘を引っ掛けてグルグルと回した。 「うんうん、良い気分だ」  もうすっかり雨は止んでいた。雲の切れ間から青空がのぞいている。 「さて、と。本屋さん行こうっと」  梅雨空のちょっとした休憩に、私は上場気分で自転車に跨った。
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