Episodio undici Profumo di te

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「ポンタッシェーヴェのガエターノ殿ですが」 「叔父上がどうかしたか」  ランベルトは言った。  アノニモは暫くこちらを見ていた。言葉を選んでいるような感じだった。 「令嬢がお一人いるとか」  緩く腕を組みアノニモは言った。 「クラリーチェか?」 「お会いしたことは」 「幼少の頃は何度も。最近は会っていない」  ランベルトはもそもそと肩を動かし、再び天井を見上げた。  寝台の側で、品良く両手を組み見ている美女と目が合った。 「ポンタッシェーヴェの屋敷を訪ねても、ガエターノ叔父上しかお会い出来ないというか」 「無理に会いたいと言っても?」  アノニモは言った。 「いや……」  ランベルトは軽く眉を寄せた。 「そういうことではなく、たまたま毎回、風邪気味なのだとか、どこかへ出掛けているのだとか」 「ほう……」  アノニモは、身体を軽く捻り、再び窓の外を見た。 「ガエターノ叔父上が何か?」 「割と早い時期に奥方を貰ったはずだが」 「ああ……」  ランベルトは天井の白地に金の模様を何気なく目で追い、記憶を探った。 「十五の頃だ。ちょうど釣り合いの取れる方がロドリーニ家にいらしたので」  アノニモは黙って外を見ていた。 「今にして思えば、兄が亡くなった後は、ガエターノ叔父上が跡継ぎになるのが正当だったのだろうと思うが」 「ガエターノ殿は固辞したんですよ」  アノニモは言った。 「跡を継ぐ気は無いと親族の前で頑なに言ったんです」 「そんなことが」 「あなたは、まだ九歳でしたからね。話にすら混ぜて貰えなかったのでしょうが」 「そんな話し合いがあったことすら知らなかった」  ランベルトは言った。 「そうですか」  アノニモは指先で仮面を抑えた。 「そして、後に一人娘とポンタッシェーヴェの屋敷に籠ってしまったという訳ですか」 「そんなことまで調べたのか」 「大事な契約者に関係する情報ですから」  アノニモは言った。  ランベルトは天井を見上げ、息を吐いた。 「そうだな。ここ数年は、籠ってしまったという言葉に近い。親戚の者を避けているというか」 「屋敷の書斎にあった本を、以前何冊か持ち帰っているようですが」 「ああ」  ランベルトは天井を見詰めた。 「借りて行くと言っていた。元々父とは話しにくいようで、私と執事に断って行った」 「何の本かは」 「よく見なかったな。古い装丁だったようだが」 「そうですか」  アノニモは緩く腕を組んだ。  窓の外の、遠くの方を眺めているようだった。  何を見ているのかとランベルトは思った。  生前に見慣れていた景色でも見えるのだろうか。 「本が何か」  話し掛けていいものかと迷いつつ、ランベルトは言った。 「多分、“ cauchemar(コシュマール) ” と題名の付いたものを持って行ったのではないかと」 「外国語か?」 「フランス語です」  アノニモは言った。 「本というより、覚書(おぼえがき)の写しなんですが」 「覚書」  ランベルトは、暫く天井を見上げた。 「中身もフランス語か?」 「七世紀以前に書かれたものなので、主に古フランス語ですね。初期の何ページかはガリア語らしき文ですが」 「フランス語は苦手だ。書いてあっても発音しない子音があるとか、意味が分からない」  ランベルトは眉を寄せた。 「発音する分にはそうかもしれませんが、読む分にはそう苦ではないでしょう」  アノニモは僅かに肩を揺らし笑った。 「何ヵ所かラテン語で書かれている捕捉があるんですが、あれは後世のコンティ家の人間が書き加えたのだと思うのですが」 「何の覚書だ」 「先祖のギレーヌと、その夫が書いたものです」  アノニモは言った。
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