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お別れ
夜空にまんまるい満月がポツンと上っている。
その白く明るい月あかりは、背後に広がる森も、目の前の街道も、その向こうに連なる山々をも静かに照らし出している。初夏には早い春の夜。虫たちの声もなく、森から時々寂しそうに鳴く、フクロウの声が聴こえるだけだ。
大きなトランクの横に、茶色い皮のリュックを背負った私は、おばあちゃんと小さな木造りのベンチに座っていた。
長旅になるから動きやすい服装がいいかと、緑のシャツに茶色のホットパンツ、下に厚手のグレーのタイツと革のブーツ。黄緑のパーカーといういでたち。白に近い銀髪は小さく三つ編みのおさげにして、おばあちゃんの編んでくれた栗色のニット帽を被っている。
目の前には整備された石畳の道が左右どこまでも続いている。王都へと続く街道。そしてここはその街道を走る乗合馬車が止まる停留所。
「まだ夜風は身体に毒だからね。きちんと布団をかけて寝るんだよ」
私と同じ、白色の髪を後ろにお団子にまとめ、つぶらな黒い瞳に小さな丸メガネをかけたおばあちゃんは、そう言ってそっと私の手を、しわしわの両手ぎゅっと強く包み込んだ。
「うん」
ジワリとまた涙が浮かんでくる。でもここで泣いたらおばあちゃんを悲しませてしまう。私は目にいっぱい涙をためてしっかりうなずいた。ううん。自分のことなんかより私が心配なのは。
「私のことは大丈夫。けどお店、おばあちゃん一人で大丈夫？ 私はそれが心配」
おばあちゃんは、この街道から少し入った山道。ちょうど村と街道を結ぶ道の真ん中あたりに、小さなカフェを開いている。村人や旅人にそれなりの評判があり、それなりに繁盛しているんだ。
けど、最近急に、目も、身体も弱くなってしまって、おばあちゃんに変わり、私が手伝っている部分も多くなっていた。それを明日から一人で全部しなくちゃならないのだ。
焼き菓子の準備から、お客様の応対から、片付けから全部。もしおばあちゃんまでも倒れちゃったら。私……。
「大丈夫ですよ。一人になったらなったで、きちんとセーブして、やりますからね」
私の心配が伝わったのだろう。おばあちゃんはそう言って、「優しい子だね」とつぶやいて、私の頭を撫でてくれる。ダメだ。もう耐えられないよ。
「うぅ。おばあちゃん！」
私はおばあちゃんに抱きつき、声を上げて泣いてしまった。おばあちゃんは頷きながら、ただただ私の背中を優しくさすってくれる。
「アミィ。王都に行って、あなたがどんなに優しいいい子なのか、みんなによくみてもらいなさい。でもね、耐えれなくなったり、どうしても嫌なことがあったら、我慢せず、逃げ帰ってきていいんだよ」
あの検診の日から数日後、おばあちゃんの家のポストに王都から手紙が届いた。それは今回の魔法の検診結果と。それについて色々教えたいこと、知ってほしいことなどがあるため、王都に上り、寮に入って、とある仕事について欲しい、との御達しと、迎えの日、持ち物などが書かれた紙がが入っていた。
書き方は「検討してほしい」、だったけど、逆らうことなどできるはずがない。事実上命令と同じだ。
本当は怖くてたまらなかったのだけど、心配をかけたくなくて、ずっと誤魔化して、なんともないふりをしてたのだけど。
おばあちゃんは、私の不安な気持ちをちゃんとわかってくれてたんだ……。
「私だけはいつもアミィの味方。必ず助けてあげますから。大丈夫。大丈夫ですからね」
胸にこみ上げるあたたかさに、私はただただシャクリを上げて泣き続けてしまう。
そんな私を無言で抱きしめてくれていたおばあちゃんが、ふと思いついたように、胸のポケットから何かを取り出し、私の手に握らせた。
「後。これをあなたに」
白い包みを開ける。星の形をした琥珀色の石ペンダント。
「これは？」
「私の娘、つまり亡くなったあなたのお母さん、そしてお父さんが、あなたに残したお守りのペンダントよ」
おばあちゃんは、それを手に取ると私の首に手を回しチェーンを止めながら、
「１６才になったら渡して欲しいと言われていたの。まだ渡してなかったから」
首にかけられた石にそっと触れる。なぜだろう？何か温かさを感じる。
「無いとは思うけれど。何かあったらこれを強く握りしめて祈りなさい。必ず幸運が訪れるはずだから」
二年前、突然の事故で、鉱石の研究者だった父と母は亡くなってしまった。でも私のためにこんな素敵なお祝いを残してくれていたなんて。うれしい……！
「とってもきれい。おばあちゃん。ありがとう」
「あなたの両親もこの石と共にあなたをいつも見守っている。それを忘れないで」
と、おばあちゃんは振り返り今度はカゴのバックから紙包みを取り出した。
「それと。この包みはあなたの好物のお菓子がたくさん入っていますからね。馬車でおなかがすいたら食べなさいね」
まだあたたかい包みをつけとりながら、私は涙を拭いた。うん、きっとそうに違いない。距離は離れていてもお父さんも、お母さんも、おばあちゃんもそばにいて、いつも応援してくれている。
そのことにようやく気づけた途端、空虚だった心が、あたたかい幸せな気持ちに満たされ、不安な気持ちが消えていく。
「はい！」
さっきまでよ弱気はどこへやら。私は大きな声で返事を返せた。おばあちゃんも微笑み、どこか安心した表情で何度もうなずき返してくれる。
と。その時だ。
からからと車輪が石畳を走る音、同時に馬が立てる甲高く規則正しいヒヅメの音が向こうから響いてくる。
「どうやら来たようだねえ……」
おばあちゃんと一緒にベンチから立ち上がる。確かに、あちらから紫色の客車を引いた、２頭建ての馬車がやってきた。馬は見上げるほど大きく、毛並みは黒。
そして働く馬はみんなそうなんだけれど、６本の足を器用に動かしやってくる……。
馬車は私達の目の前で止まった。御者はいない。でも中には私以外のお客さんがいるみたい。オレンジの光が窓から漏れている。
私は荷物を抱えて一歩前に出て、おばあちゃんを振り返った。
「おばあちゃん、行ってきます！」
「いってらっしゃい。アミィ。くれぐれも気をつけて……！」
客車へ登るステップに足をかけ扉を開き、荷物を引っ張り上げて、自分も中に入る。そのまま……名残り惜しい気持ちを振り切るように扉をしめた。
馬車が走り出す。窓から手を振ると、おばあちゃんも振り返してくれた。
あっという間に小さくなるおばあちゃんの影……。
その姿が全く見えなくなっても、私はしばらくの間ずっと、窓から離れることができなかった……。
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