今を生きた男のブルース

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ヨセフの動きが固まった。 次の言葉を探していた。 この男はどこまで知っている? この男は何をしにここにいる? そうした疑心暗鬼と焦燥の苦い液体が脳髄から溢れ落ちて、重たくなる胃を満たしているのだろう。沈黙が流れた。 破ったのはヨセフだ。 「にいちゃん。ポリスってわけではなさそうだなぁ」 「俺がそんな立派な人間に見えるか?」 ヨセフは笑った。虹を仰いで、笑った。 「むかし話は好きかい? にいちゃん」 「短い話ならな」 俺は煙草を取り出して、ヨセフに勧めたが首を横に振った。火をつけて煙を吐きだす。 煙の輪郭が空に滲むと、ヨセフは話した。 「むかし、音楽に魅せられた男がいた。 その日暮らしだった。だけど幸せだったんだ。 ある日、家に帰ると子供を置いて妻が男と逃げたあとだった。男の稼ぎじゃ子供は育てられなかった。 それは男の言い訳だった。 男は逃げ出したんだ。音楽の道がなくなるからだ。小さい子供を施設に投げて、海外(そと)に出た。 逃げた先の未来は長続きしなかった。 十数年が経ち男がボロボロになって街に戻ると、男の知っている街は無くなっていた。 男はどうでも良くなったんだ。 男は名前も無くした。 ヨセフ・ポートマン? そんな男は知らない。そんな男はこの街には、いない」 話を聞き終えた俺は、ずいぶんとまぁ、自分勝手なむかし話だな。と話すと、あぁ、クソヤローのむかし話だ。とヨセフは返した。 俺はこの男(ヨセフ)の人生にこれ以上触れる気になれなかった。だから、仕事の用件だけを済ませる事にした。 それは明美のためであり、目の前のこの男のためではなかった。 「トム。もし、ヨセフ・ポートマンに出会ったら伝えてくれ、ポートマンの前妻、近藤玲子の兄、近藤真也がヨセフの命を狙いにこの街(メンフィス)に来ているってな」
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