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孤児院二階。
ビロードで誂えた葡萄酒色のカーテンを引くと、小さな庭が現れた。刈り込まれた緑の輪郭がミシシッピ川の靄で滲んでいる。遠くの街灯の光点が僅かに見えるだけだ。
早朝の力のない陽光がこの部屋を優しく照らしていた。
時刻は四時半。
俺と明美は警察と病院を往復して少し前にこの場所に帰って来ていた。
しばらく沈黙が続い後、椅子にもたれた明美が口を開いた。
「わたしには、わからないことばかりよ」
落ち着いたメゾソプラノだ。
「あの人はお店でいつも仮面をかぶっていた」
(古巣のこの街で、姿を隠すためだ)
「あの人は毎日ここにきて子供達にサックスを聴かせてくれたわ。みんなジミーが大好きだった」
(そう、自分の妻と娘に会うためにだ)
「名前をいくつも変えて、本当のことは何も話さないで……」
(おまえに顔むけができなかったんだ)
「ねぇ」
「パパは、わたしのこと愛してくれていたかしら」
小さな子供が親に怒られたときのような末枯れた顔で、ビロードで飾られた窓の外を眺めていた。
「俺に聞かなくても、ずっと聴いてただろ?」
俺は素直に答えた。
「愛していたさ」
俺は真剣に答えた。
「あいつのブルースは本物だった」
しばらくして、
啜り声のソプラノがそっと流れた。
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