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現場のマンションを出て一服していると、ばったりと知った顔に出会った。ひょろりと背の高い、一見人懐こそうな黒縁眼鏡の青年。近くの私立高校の教師、芦田風太郎だった。
「あれ、武田さん。こんなとこで何か事件ですか?」
「まあな。センセイこそ、こんな遅くまで何やってんだよ」
「教師ってのも、これで色々忙しいんですよ。ちょっと残業が過ぎましてね」
青年教師は誤魔化すようにあはは、と笑った。どうせ何か良からぬことをやらかしていたのだろう。
と、いきなり芦田はしげしげと武田の顔を見た。
「なんだ、俺の顔に何かついてるか?」
「武田さん……ひとを殺して来ましたね?」
芦田はずばりと訊いて来た。武田はしばらく沈黙した後、にや、と微笑んだ。
「ああ。死人を一人、な」
「……なるほど、死人殺しですか。君にふさわしいですね」
「あんたほどじゃないだろ」
「それは言えますね」
一瞬だけ昏い瞳になった芦田は、しかし次の瞬間にはいつも通りに笑顔を作っていた。
「ところでですねえ、武田さん。すぐそこに、いい感じの居酒屋が出来たんですよ。ちょっと行ってみませんか?」
「……『みませんか』なんて言って、絶対連れてく腹だろうが」
「よく判りましたねえ。さすが現役刑事さん、県警のホープですね」
「おだてたっておごらないからな。ワリカンだ、ワリカン」
「あ、バレてましたか?」
にこにこしているこの青年教師が、見かけに反して実は意外と押しが強いことを武田はよく知っていた。この調子では、確実に二~三軒は付き合わされることになるだろう。
「そう言えば、センセイ。あんた、姉貴がいるって前言ってなかったか?」
「ええ、……いましたよ」
青年教師はすこしだけ表情に陰を忍ばせた。
「今はもう、いませんけどね」
「あ……悪かった」
「いいですよ。姉さんかあ、懐かしいですね。子供の頃、よく一緒に遊びましたっけ」
「センセイにとって──その、お姉さんは特別な存在だと思うか?」
「そうですね、特別と言えば特別ですけど……姉ですからね」
芦田は邪気のない笑顔を返した。武田は少し意外そうな表情をした。
「どうかしました?」
「……いや。あんたのわざとらしい笑顔は何度でも見てるが、そんな表情は初めて見た気がしてな」
「ひどいなあ、その言い草。じゃ、武田さんにはじっくりと姉さんの思い出話に付き合ってもらいますからね」
薮蛇だったか、と武田は肩をすくめた。
宵闇の気配を持つ二人の男は、夜の空間の中に消えて行った。
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