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OL
その日、最初に入ってきたのはスーツ姿のOLだった。
おっかなびっくりトイレに入ってきたその姿を見て、赤いちゃんちゃんこは勝利を確信した。
幸いにも喉のコンディションは良好。
あの女の魂まで震え上がらせてやる。
「赤いちゃんちゃんこ、着せましょか」
彼は言いながら、確かな手ごたえを感じた。
ここ何年かでは最もイケている声が出せた。
見ろ、あのOLだって震え上がって……。
「何ですってぇぇぇぇ」
いきなり彼女は金切り声を上げた。
突然のことに唖然として、思わず言葉を失う赤いちゃんちゃんこ。
「赤いちゃんちゃんこ? それってあれでしょ? 還暦の時に着せて貰う奴でしょ?」
「あ、いや、そうではなく……」
「私の事、何歳だと思ってるわけ? まだ四十二歳よ? しかも独身なんだからね? それを赤いちゃんちゃんこ? 何であんたにまで年寄扱いされなきゃなんないのよ!!」
「え、あ、いや……」
決して年寄扱いしているわけではない。
赤いちゃんちゃんこというのは流れ出した血が形作る模様の比喩だ。
「私だってね、別に気にしてないわけじゃないのよ? でも、これまで仕事頑張ってきて、ようやくここまで来たの!! ここで今、立ち止まるわけにはいかないのよ!!」
いや、知らんし。
赤いちゃんちゃんこはそう思いながら、OLの剣幕が怖くて何も言えなかった。
「知ってるわよ。自分が会社でどういう扱いされているかぐらい。ええそうよ、私ぐらいの年で独身なんていないわよ。そんな事わかってるのよ。でも、でも……」
ぽろぽろと彼女の目から涙がこぼれだす。
「いや、あの……」
「私だって頑張ってるんだから。それなのにどいつもこいつも私を年寄扱いして……。挙句に、挙句に何であんたみたいな見ず知らずの奴にまで……うわぁぁぁん」
「す、すみません。決してそんなつもりじゃないんです。ほんとです。あなたはまだまだ若いですよ、大丈夫ですよ」
「うう……ほんと?」
OLは目元の涙を拭って泣き止んだ。
「ほんとです。それに、不当に年寄扱いされたなら、ハラスメントで訴える事が出来ます。弁護士に相談すれば勝てますよ」
「でも、会社での立場が……」
「大丈夫です。今はハラスメントに対する目が厳しい時代ですから。その上で不当に扱う事は会社だってしたくないはずです」
「ほんとに?」
「ほんとです。だから元気出して。大丈夫。あなたはまだやれます」
「……優しいのね?」
OLの瞳が潤み、頬には朱が差していた。
「は?」
「あの、もし良ければなんだけど……一度お食事でも、如何ですか?」
「いや、でも、自分都市伝説なんで……」
「貴方もなのね?」
「え? は?」
「そうやって、あなたも私の下から去っていくのね?」
「いやいや、自分はほんとに……」
「分かってるわ。そうやって、何人もの女を騙してきたんでしょ? 男なんていっつもそうよ。俺、実は君の脳が作り出した幻なんだよねとか、妖怪なんだよねとか、光の国に帰らなきゃいけないからとか、都市伝説なんだよねとか」
「いや、ちがっ……」
すぱぁん!! と鋭い音がして、OLの平手が赤いちゃんちゃんこの頬をひっぱたいた。
「私のことが嫌いなら、そう言えば良いじゃない!! あんたなんか最低よ!!」
そう叫んだOLは、踵を返しトイレを駆け出して行った。
その肩越しに、キラキラと輝きを放ちながら空中を流れるOLの涙。
思わず赤いちゃんちゃんこは手を伸ばしていた。
「ちょ、待っ……たなくていい。待たなくていい。あっぶな、雰囲気に流されるところだった」
幸い、すぐに我に返った赤いちゃんちゃんこは、その手を慌てて引っ込めた。
「強烈な女だったな……」
良いように振り回され、あっさり逃げられてしまった事にふがいなさを感じながらも、去ってくれて良かったという安堵感がぬぐい切れない赤いちゃんちゃんこだった。
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