猫始猫終

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猫始猫終

「兄さんに聞いた通り、このお茶は本当に美味しいねえ。それにこのお菓子も……手作り? すごいじゃないか。……ふふ、何だか怖い話をする雰囲気じゃないね。安心して、話はちゃんと持ってきたから」  お盆の、虫の声が目立ってくる夕方の事だった。ある日の夕方、明石葵(あかしあおい)は先祖の墓へ線香を上げに出掛けた。人も疎らになっていた墓地で、軽く掃除して線香を上げた墓の二つ先の墓の上に猫が座っていた。しかもその子は、葵の方をじっと見上げていた。飼い猫なのだろう、真っ白な毛並みは丁寧に手入れされているのがすぐ見て取れた。  それにずいぶんと人懐っこくて、他人の葵が手を出してきても、まるっきり警戒する事なく撫でさせてくれた。あんまり可愛くてついつい構っていたら、まさに秋の日は釣瓶落としと、あっという間に日が暮れてきた。葵は名残惜しく猫の頭を撫で、帰る事にした。  するとその猫はなぜか葵の後をついてくる。あれだけ人懐っこいから相当愛されているのだろう、でも帰らないと飼い主が心配するだろうかと思って、何度か立ち止まって追い払おうとしたが、そのうちにどんどん辺りは暗くなってくる。猫の甘えた声に絆されもして、気が済めば帰るだろうと勝手にさせておくと、結局私の自宅まで着いて来てしまった。  だからと言って、墓地から着いてきた猫を家に上げるっていうのもなんだし、一旦猫を門の前に置いて中へ入った。気休め程度に塩でもかけておけば、気兼ねなく家に入れると思ったから。でも塩を持って外へ出た時、猫の姿はなかった。帰ったのかと安心半分残念半分に思いつつ、その日はそれだけだった。  その猫をまた見かけたのは、次の日の夕方。今度は自宅の庭の塀の上に座っていて、塀の向こう側を見つめているようだった。あれっと声を上げると、聞こえたのかぴょんとこっちに降りてきた。葵が庭へ降りると足元に躰を擦り付けてきて、一通り撫でてやると満足したのかまた塀へと飛び乗り、今度は向こう側に降りると、どこかへ行ってしまった。  猫は、夕方になると塀の上に居ったり、庭先に居たりするようになった。  そんなことが数日続いて、ふと気付いた事がある。猫は居る場所はまちまちながら、葵が声をかけるまでは毎度同じ方向を向いている。塀の向こうの、道を挟んで更に向こうの川の方……。その頃からだった、葵が不思議な夢を見るようになったのは。  最初は雨が降る夕方、草むらの奥で必死に声を上げている仔猫になる夢だった。そんな薄汚い貧弱な仔猫(あおい)をそっと拾い上げてくれた幼い女の子は、両目に包帯を巻いていた。幾日か夢を見続けると、女の子は素敵なお嬢さんへと成長していく。その隣には必ずといっていいほど寄り添っている、白い猫。  その猫の視点で、幸せな風景を見続ける夢だ。不思議な事に自分は、その夢はあの猫のものなんだろうと、あっさり受け入れていた。夕方に来るようになった猫を撫でて、やはり可愛がられているんだねえとか何とか話しかけたりもしていた。  その日も、そろそろ習慣になった猫の訪れを待ちつつ、秋の訪れが見え隠れしはじめた庭を眺めていた。するとふと、眠気が襲ってきた。まだまだ残暑の残る頃合いといっても、彼岸を過ぎれば夕方は急に涼しくなってくる。このままここで寝るのは駄目だとは思いはしたが、強い眠気の誘惑に抗いきれず、ほんのちょっとだけだから……己に言い聞かせて横になった。  ふと気付くと、テンプレごとく猫が塀の上に座っていた。猫はじっとこっちの顔を見つめ、葵を見て一声鳴いて向こう側へ跳び降りた。何だかその行動は着いて来いといっているように思えて、葵は誘われるように猫の後を追いかけた。  塀を回って猫の降りた辺りに行ってみれば、猫は葵が来るのを待っていたかのように歩き出した。一定の距離を歩くたびに、後ろを歩く葵の方を振り返る。葵が着いて来きているのを確認しているかのような動きだった。  猫はいつも見ていた方向へと歩いていく。だが川の方へいくなと思った足取りは、川の向こうへと続くのだ。  橋を渡り、少しばかり歩いて一軒の屋敷の前で立ち止まり、葵を見上げてまた一声鳴いた。お金持ちなのだろうなあ、立派な門構えのいかにも【お屋敷】という感じだった。 (ここが君のお家かい)  猫はそうだといわんばかりに門に前足をかけて葵を見上げてくる。 ああ、開けてほしかったのか。簡単な気持ちで門に手をかけ、力を入れれば――そのへんは夢らしく――門は閂がかかってなかったようで簡単に隙間を開けた――途端だった。  パリッ。  手元から乾いた音がして、驚いて思わず支える手の力を抜いてしまった。  あっと思って、見れば猫はすばやくその間を抜けて中へ入って、挟まることはなかったみたい。  中に二歩三歩ほど入ったところで立ち止まり、振り向いて礼代わりに一声鳴くと、奥へ走っていった。日が暮れはじめてきた薄闇に、あの純白の毛並みはあっという間に溶けていった。  ほっとして改めて手元を見ると、そこには破れた紙切れが張り付いていた。どうやら左右の扉を渡して張ってあった紙を、門を開けたことで破ってしまったようだ。  日はとっぷり暮れ、暗くなってきてよく見えないが、細長い紙に字がびっしり書いてあって、 (あ、これは、)  そこでぱちりと目が覚めた。  葵は思いの他長い時間寝入ってしまったようで、辺りはすっかり暗くなっていた。硬いところで寝たせいで軋む関節を伸ばしていると、やけに外が騒がしいことに気が付いた。耳を澄ませば、サイレンが鳴り響いている。 『火事や』  叫ぶ声に飛び上がって外へ出れば、川沿いに人垣ができていた。どうやら火元は川の向こうみたいで、確かにサイレンもそっちの方から聞こえてくる。どこが燃えているだろうと人垣の後ろから背伸びをしてみると、先程まで見ていた夢が目の前の景色と重なった。あの場所には、覚えがある。  思わず葵は駆け出した。つい先刻夢の中で猫を追いかけた道順を、今度は一人で辿る。こげ臭さと煙はどんどん近くなってくる。最後の角を曲がると、夢で見たままの景色が目の前に広がっていた。  だが今は、橙の火柱が夜の空を明明と照らし、屋敷を覆い尽くしている。呆然としている葵の目の前で、とうとう熱風に耐えかね、立派な門さえも崩れ落ちてしまった。その瞬間に目についたのは。その門の左右の扉を渡すように張られた紙――お札の残骸が目に付いた。それは、夢と同じく、真ん中から破れていた。  それから、どうやって家に帰ったかはほとんど覚えていない。その晩も、葵は夢を見た。すぐにあの猫の夢だと気付いたのだが、どうも様子がおかしい。いつも一緒のお嬢さんの姿が見えない。猫は主人を探しているのだろう、さんざん鳴きながら屋敷の中を歩き回っている。  その時、小さな悲鳴が聞こえた。猫は声のした方に駆け出す。灯りが漏れている障子が部屋に辿り着いた。障子を顔でこじ開け、中に入れば、そこにはお嬢さん、彼女のお兄さんか弟さんであろう若い殿方。猫はお嬢さんに馬乗りになった彼をのかそうとして爪を立て、牙を立てて飛び掛かった。男は突然の猫の攻撃に驚いたのか、飛び上がって部屋の隅へと逃げた。  でも、お嬢さんの首には長い手拭いがしっかりと巻きつき、全身はぐったり投げ出されていて、とうに絶命しているのは明白だった。それでも猫には気づいていないみたいで、投げ出された手に顔を擦り付け、目を覚ましてというように何度も掌を舐めている。しばらくすると、騒ぎを聞きつけたらしい使用人らしき女性が駆け付け、部屋の惨状を見て悲鳴を上げた。  更に後からやって来た二人の母親さんらしき中年女性が、とにかくこの死体をどっかに隠さなあかん――そうぶつぶつ言いながら、お嬢さんの躰に近づいた。しかし、猫はお嬢さんに触れさせまいと立ちはだかる。それが癪に触ったのか、彼女は転がっていた本棚を振り上げ、それを威嚇する猫に向かって振り下ろし――暗転。  気が着くと葵は布団の中。カーテンの隙間から、日光が漏れていた。それきり、ぱったりと不思議な夢を見ないようになった。同じく猫も二度と来なかった。……火事は結局屋敷を焼き尽くしてしまった。不思議なことに燃えたのはその一軒だけで、炎は隣の家の壁を焦がすことすらなかったそうだが。  焼け跡からはその家の難聴の息子さんとそのお母さんの焼死体が見つかり、そしてもう一人。焼け残った蔵から、石棺に押し込まれた全盲の娘さんのご遺体が……。 「あともう一つ余談に。これは近所の人の話なんだけど……」  娘さんがいなくなった頃から、その家で何回か小火騒ぎがあったそうなのだ。そして同じ頃、その家の奥さんが色んなところから魔除けの札を買ってきては家中に貼りはじめたとか。  どうしてそんなことをするのかと聞けば……小火が起きる時に何度も大きな猫の影を見る、(うち)は何か変なものに憑かれたに違いない……そんな風に漏らしていらしたそうだ。 「……あしが知っていることはこれで全部。ちょっとオチが弱いかもしれないが、関係している人は全員お亡くなりになってしまったし、あの夢が真相のことだったのかさえ調べることもできない。それに怪談っていうのは、大体こんなモンだよ。推理小説じゃないのだから、少しでも謎が残ってないとせっかくの恐怖(ホラー)の味が薄くなってしてしまう。ふふ、最後まで聞いてくれてありがとう。お茶ご馳走様、次は誰を呼んでこようか?」
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