執心2

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執心2

「ねえ、君達。僕の話を聞く前に、一つ占いにでも付き合ってくれないかい。占いだよ、占い。やらないか? ふふふ、嫌だなあ、そんな別におどろおどろしいものを始めるわけじゃない。心配なんて杞憂さ、お嬢さん達が夢中になりそうな可愛いものだから。過去やら未来やらを垣間見るだけなんだよ」 「――相変わらずだねえ、小春川君は。全くの目立ちたがり屋さんなんだから。……ああ、いやいや、そんな顔するんじゃない。今のは悪い意味で言ったわけではないよ。では、君に決めた。ああ、もう飲んだのかい。粉ごと煮出して、上澄みだけ飲むのがトルコ珈琲の味わい方だよ。美味しかった? それは良かった、淹れた甲斐があったものさ。さてそれでは、それを貸してもらおうか」 「――さて、ここにたった今コーヒーを飲み干したカップが一対ある。これが今回の占いに唯一必要なものなのさ、これがなければ始まるものも始まらないさあさあ君達、ぐぐいと顔を付き合わせてくれたまえ。遠慮している必要はないよ、大事な事を見逃してしまうぞ。ほらここ、カップの中――見えるかな、」  底にぺったりと珈琲の粉が張り付いている。これがヴェズゼで粉を煮込んで作るトルコ珈琲の特徴で、【珈琲占い】の要なのだ。 「さてさて、君は何を占いたいんだい? ……え、特にないって? おやおや、これは参った。ならば私が勝手に決めてしまうよ。そうだねえ……『君の運命』を、占ってみようじゃないか。『珈琲占い』はトルコに古から伝わる占い術でね、やり方ときたら至極単純明快だよ。子供でもできてしまうものなんだが、そのくせ奥が深いとくるから今でも廃れる気配がないようだ」 「まずはほら、こんな風にカップの縁にソーサをうつ伏せで乗せる。――はいっ! ……っと、成功成功。とまあ、こんな風にひっくり返すんだよ。君達、こうやってカップをひっくり返すと、中身はどうなると思う? ――そうそう、下に落ちてくる」  底に溜まっていたコーヒーの粉達は、内側の壁を伝ってソーサに落ちてくる。でも、これは水気をたっぷり吸ってべったりしている。だからゆっくりと落ちてきながらも張り付いて、カップの内側にザラリとかなり残る、それが何ともまあ不思議でキテレツな模様を描いてくれる。その模様に意味を重ね、(アラー)のお言葉を読み取る。それが、珈琲占い。模様の形の意味だの、読む順番だの。珈琲占いにはきちんとした順序(ルール)もあるにはあるそうだが、何せ庶民の日常から生まれた占いだ、各自好きなように模様を解釈している。  鳥に見えれば、おや、吉兆。きっとよい事あるぞとか、人間の顔に見えれば未来の恋人だのいや死んだ親父だの、下手すればこれは小屋だいやいや山だと一つの模様で争う始末。見る人によって結果が千差万別とくれば、信憑性のある者とこれっぽちも当てにならない者に分かれるのは当然だ。 「――まあ、それはそれでいいんだよ、占いなんてただの気休めさ。本当に大事なのは、自分自身の日頃の行いなのだから」  お天道様の下で元気にやっていれば結果も明るいものになるし、逆ならまたそれも然り。しかし、やっぱり当たるヤツは評判になるだろう、そうすると中にはそれを商いにする人間も出てくる。 「――さてさて君達、この珈琲の粉が落ちきるまでにはまだまだ時間が必要でね。ここは一つ暇潰しと思いなさって、とある珈琲占い屋の話でも聞いてもらえるかな」  少し昔の事になる。正確には従兄の体験談。その占い屋は、半分野外のようなカフェの隅にひっそり店を構えていたそうだ。どこにでもいそうな平凡な顔だったそうだが、これがなかなか知恵の輝くような目つきをしていたという。要するに、生理的嫌悪を沸かせないような人間だったのだろう、だから気紛れに声をかけた。 「――もし、占い屋さん。商売はどうです」  余っていた椅子に腰を落として声をかければ、占い屋はへえと頭を下げた。そのまま二つ三つ四方山話をしていたが、向こう様も商売だ、従兄も流れで一つ占いを買ったのだそうだ。先ほどのようにくるりと返して数分後、占い屋はカップを覗き込むなり、大きな空き地と人間が見えるとか言い出した。  従兄はどきりとしたそうだ。その時はちょうど仕事が滞っていたから。それはそれは驚いたことだろう。 そんな心境で当たらずも遠からずというか、悪い兆しですなと言われた日には、それはそうだと頷いてしまうだろう。 「よく解らんがすごいんじゃないか、お前さん」  そう笑っていると、従兄の感嘆につられたらしい一人の男が近寄ってきた。 「占い屋さんよ。私も一つ未来を見て頂けませんか」  カップとソーサを片手に一つ空いていた椅子にひょいと腰掛けたのは、この辺りでは浮くくらいの小奇麗な男だった。糊の効いたスーツに整髪料の匂いをぷんぷんさせている七三頭……いかにも高学歴者(インテリ)といった雰囲気を醸し出していたそうだよ。  ……人を見かけで判断するのはいけないのだろうが、正直意外だったそうだ。占い屋はよござんすと頷くと、カップをくるりとひっくり返した。時間をたっぷり置いたところで、ではとカップを表に返した。 「どうだ、占い屋。何が見える?」 「どろどろ」 「はあ?」 「どろどろですよ、旦那」  どろどろが見えるとは、どういう事だ。従兄と男もカップを覗き込んだ。そして……ぎょっとした。  珈琲豆が皆一緒くたのぐちゃぐちゃになって、中にべったり張り付いていた。この手の珈琲はそもそも粘りの強いものなんだが、度合いが違いすぎる。あれはとても珈琲豆に見えなかったそうだ。おまけに鼻をつまみたくなるような嫌な臭いまで漂ってきたとか。一体どんな模様になるんだと従兄はぽかんとしてしまったが、逆に男はカッとと火がついたように怒り出した。 「おい占い屋、アンタこりゃあどういう冗談だ!」  どやされても占い屋ときたら、涼しい顔でカップを見つめたままときた。男の声なんてまるで意に介さずだんまりだ。それでもってたった一言。 「猫に見えやせんかね……」  その途端、さっきまで機関銃のようだった怒声がぴたりと止んだ。男を見ると、火山のように赤かった顔が冬の雪山如く真っ青になってそうだ。 「どうした? おい、」  従兄が心配になって声をかけてみてもぴくりともしない。占い屋の持っているカップを見つめたまま、寒いのか、ぶるぶる震えるばかりで。 「猫に見えやせんか。ねえ、旦那。獲物を襲い掛かって、いや、今まさに喰ろうているようだね。こりゃあ猿か人間か、人間の臓物を引き出して旨そうに喰ろうているよ」  占い屋は淡淡と言った後――口端を引き上げてにんまりと笑った。 「どろどろだね、可哀想に……あんた、一生引き摺るよ」  ぎゃあっと叫ぶと、男は転がるように逃げていった。従兄が一体今のは何だったんだと尋ねたら、占い屋はけろりと答えた。 「奴さんは猫殺しですよ。悪戯に畜生を殺めるようなね、ですからちっと脅してやったんです」 「はあ、畜生殺しなんてぞっとしないがねえ……あれば少し可哀想だ。やり過ぎじゃあないかね」  占い屋は従兄の呟きを聞いて笑って、 「私が許してもねぇ、やられた御猫さんは許しちゃくれませんよ。おまけにね、ありゃあ食っちまってまさぁ」  ……食うだと? つまり奴さんは猫を食べたというのか? これは驚いたなどというものではない、猫を食べるなんて、これは普通の行為ではない。 「――ああ、そう気を悪くしないでくれ。別に君の母国の文化を貶す気は一切ないよ。――ああ、すまないね。しかしね、僕達の所では異端であっただけさ」  うつ伏せて感謝するというならまだしも、悪戯に殺して食べたというなら、尚更だ。占い屋は珈琲豆のへばりついたカップを置くと、ずいと従兄の方を向いて囁いた。 「動物もね、恨むんですよ。腹の中でどろどろになってね、肉が溶けて骨も砕かれても、恨みは消えやしないんです」 「そりゃねぇ、長年この稼業を続けている私だって存じております。占いはいわば人生の道標。そして死なば魂は神の元か地獄の二つ。恨みなど、生きている者達の妄想幻想の類に過ぎやしません」 「ただ、お猫さんだけは他と違うんで御座いますよ。ええ、旦那にはそこを分かって頂きたいですな。ながぁく生きた猫どもの恨みは……そりゃあもう、べっとりと張り付くんで御座いますよ」 「そうだろう、なあ、皆?」  聞こえたのはその時だそうだ。従兄は腰を抜かした。通りを歩いていた人達が、みいんな立ち止まって自分達を見ていたから。……老人も大人も若者も子供も、皆揃いも揃って手に猫の首を持っていて――黒やら白やら毛長やら、それはそれは様様なお猫さんの首が、占い屋の言葉に答えるように、真っ赤な口をくわっと開いて一斉に鳴いた。 「うみゃあ、おうん」  うわあと従兄が叫んだ途端、全て消えてしまったそうだ。人も小さな生首も、あの、占い屋も一斉に、吹き消された蝋燭の炎如くに消えてしまった。 「はは、または灯心を引き抜くように――ちょうど、こんな風に。――ああ、いい塩梅になったよ、そろそろカップを開けようではないか」 「せんぱい、」 「何だい小春川君、今更そんな顔はやめてほしいね。はははは、化け猫など此処から出てくるわけがないだろう。当然さ当然……罪の形は、人それぞれ百人百様なんだから。――さあて、業を拝見」  語り部は笑みは消さぬまま、カップを持ち上げた。
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