今昔ナイトメア

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今昔ナイトメア

「ハロー、秋鹿(あきしか)アベリアですヨ! 涼しくなるかどうかわかりませんケド、ひとつ、話させてもらうことにしますネ!」  今日のような、真夏の真っ只中の頃だったんじゃないかとアベリアは振り返る。  名前は伏せるが、アベリアのフレンドの一人に、古き良き日本風の家に住んでいる子がいる。その家は現代とは思えないくらい見かけも中身もレトロで、何とクーラーさえついていない。辛うじて、扇風機がおいてあるくらいだ。お世辞にも涼しくはないのだが不思議と居心地が良く、よく遊びにいっている。  フレンドはアベリアと違ってアジアの人だから当前髪も目も真っ黒だ。しかし肌はあまり黄色味が少なく、人形めいている。 「性格はモノシズカでーなんだかんだいってワタシの言うことをきいてくれるしー、ちょっと上手な言い方がわからないんですケド、いい子ってことデス。彼女の家にお邪魔したときもいきなり行ったんですケド、嫌な顔ひとつせずに迎えてくれてなんだか申しわけなかったですケド……そうそう、彼女がゴチソウしてくれたヒヤムギは美味しかったですヨ」  ただ味が薄いと思ってドレッシングをかけようとしたらかなり怒られた。フレンドはいつも口元だけ笑いながら喋るものだから、ますます腹話術の人形みたいになる。 「そんなにかけちゃせっかくのフーミが薄れるだろ」  いつもはすごく大人しいのに、食べ物の事になると態度がすっかり変わるのだ。 「この子実は年をサバ読んでんじゃないかってたまーに疑っちゃ……あはは、ごめんてば、名前は伏せてるんだからそんなに睨まないでくださいヨ! えっと話続けマスネ……」  フレンドの住居はいつも、湿り気が漂っている。アベリアが通されたのは日当たりのよい奇麗な一室だったが、奥の間は別だった。あそこがどうも、ニオウ。何かが腐ったり傷んだ臭いではなくて、日差しが全く届かない所為で暗くてじめじめしていて、音がなくて、誰もいない。えげつないホラームービーには決まって幽霊が出てくる、不気味でアヤシイ場所。 「……それからどうしたって? どうもしなかったですヨ。その日はですケド。いくらワタシだって転がり込んだ当日にヒトサマのお家を冒険したりなんかしないですヨ! そのあとですカ?ディナーをごちそうしてもらってお風呂を借りて寝ましたヨ。蒸し暑いかと思ったけどそうでもなかったデス。扇風機は意外と快適だったし、蚊帳はエキゾチックで素敵でしたネ。まだあちこち痒いですけどね。まーそれで、なにもなかったんですヨ。怖いぐらいに」  次の朝の事だった。フレンドの家にはアベリアのように突撃お宅訪問者が押しかけてくるのは珍しい事ではないらしい。それはそれは、手慣れたものだった。やわらかい布団からもそもそと抜け出したら、豆腐と海藻の味噌汁と白飯、グリルした魚とツケモノが食卓に二人分、きちんと並んでいる。  それで枕元を見たら暗い青色(後で紺色と聞いた)の浴衣が置いてある。割烹着というエプロンを着たフレンドがそれを着てろと慣れたみたいに言う。 「今どきホテルでだってここまでしてくれないですヨ! やっぱり彼女はすごく懐が深いですネ! ……なに、なんでそんな目で視るんですカ。ワタシがなにしようたってカンケーないじゃないデショ! 小言は後できくから今は黙っててくださいヨ、もう」  朝食をご馳走になってそれから、フレンドは出掛けた。お買い物だそうで。アベリアはその間する事がないから洗濯物を干していた。 「オテツダイってやつですよ。【タダメシカックラッテル】んだから労働しないとですネ」  その最中、バスタオルが風に飛ばされていってしまった。ひゅるるるんと、そこまで強い風でもないのに奥の間まで、鳥みたいに飛んでいく。驚きつつも慌ててサンダル脱ぎ捨てて追いかけた。 「……ホント、今思うとナニカ悪いものの仕業だったんじゃないかなって思ってるぐらいデス。バスタオルを追いかけて奥の間まで走り込んだなんて、ちょっとシュチュエーションが違ったら童話になりますネ。アメリカンギャルがジャパンハウスで大冒険だなんて。マニアックな光景ですよネ」  バスタオルを追いかけたのはよかった、普通の事だ。奥の間に続く襖が開いていて、その先は電気も点いていない。そこにバスタオルがスルリと入っていった。アベリアも続いて踏み込んで、床に落ちたバスタル拾おうとした。 「そのとき、なにを見たと思いマスカ? ――髪の毛ですヨ」  拾い上げようとしたバスタオルの隙間から、相当の長さの黒髪がはみ出ていた。フレンドの髪型はショートヘアだ。 「考えてみてくださいヨ、怖くてたまらないでショウ!? ジャパニーズホラーって髪の毛ネタ多いじゃないデスカ?」  その後は、もう、引っ込みなんてつかないところまでいっていたのは理解(わか)っていた。だってバスタオルをもう持ち上げているのだから。見てはいけない。そう脳味噌が叫んでいた。もうバスタオルなんて放り出してむちゃくちゃに逃げた。ただひたすら、に怖かった。  明るい居間まで辿り着いたのはよかったのだが……暫らく腰が抜けたままだった。 「いえ、ワタシももう小さくないからそのまま布団に潜り込んだナーンテことはないですからネ!」  洗濯物を干しきって、洗濯籠を洗面所に返しに行った時、洗面所が明るいのが救いだった。洗面所が暗かったらきっと、アベリアは出したものを片付けられないだらしない女だと誤解された事だろう。 「……笑わないで聞いて欲しいんですケド、その日からフレンドに頼み込んで一緒の部屋で寝させてもらいマシタ。……あ、ちょっと、笑わないでくださいヨ! 怖いのはこれからなんですってバ!」  その日の夜の事。観始めたのは途中からなのだが、テレビで面白そうなアニメをやっていた。ショートヘアの女の子とベリーショートの男の子が主人公らしい。女の子の名前は『セツコ』。兄の方は思い出せない。方言がききとりづらくて男の子の名前がわからない。兄妹の日常を描いたアニメのようだった。  すごく風景が綺麗でアベリアは文字通り食い入るように見ていたのに、何とフレンドはアベリアがそのアニメを見ている事に気付くなり、むしり取るようにアベリアの手からリモコンをひったくって音楽番組にかえてしまった。  ちょっとムカっときたアベリアだが、そもそもお家に上がり込んでいるのは自分の方だという自覚はある。ぐっと呑み込んでそのまま終わりまで見ていた。夏に関する歌が続いた時、アベリアのオトモダチがってポソっと呟いた。 「もう八月だね」  アベリアもちょっと、複雑な気分になった。 「ほら、八月って、結構ビミョーな季節(シーズン)じゃないですカ。ほら、なんていうか。ワタシたち自体になにかあったわけじゃないんですけど……昔はお互いの国同士いろいろあったデショ……関係ない話でごめんなさい」  その後、お風呂と浴衣を借りて、そろそろ寝ようというフレンドに同意して布団に潜り込んだ。布団に潜り込んでしばらくして、隣から寝息が聞こえてきた。しかし反対にアベリアは、何だかその時、全く眠くならなかった。夏は疲れやすくて、寝室は程よい温度と静けさですぐ眠くなってもおかしくなかったはずなのに。  それで、ふと、あの、置いてきぼりにしたバスタオルを思い出した。どうしてもあのバスタオルを取りに行かなきゃいけないと使命感にかられた。 「今思えば正気の沙汰じゃないですネ。ゼーッタイあやつられてたとしか思えマセン!それでどうしたって? 行きましたヨ。怖いモノ見たさってのもありましたケド」 「……この先はデスネ、ワタシは、すごーく怖かったんですケド、笑い話になっちゃいますネ。ミンナ信じてくれないですヨ。まあ、別にいいですケドネ。ワタシが怖いーって思ったコトならたとえバスの定期券川に落としちゃった話でもホラーになるんですからネ!」 「……それで、オハナシ戻しますケド、眠くなかったんデス。ぜんぜん。面白いぐらい目も頭も冴えちゃいマシテ。不思議ですよネ。足が面白いぐらいスムーズに進んで、信じられないことにあの真っ暗なフスマの向こうにひょいひょい入って行けたんですよ。てか馬鹿ですよネ。どっかおかしいって、気づけてたらあんな思いしなかったノニ……」  ばしん!  いとも簡単に襖は開いた。月明かりが部屋の中を照らしていて、視界はハッキリしていた。それで襖の奥に、あのバスタオルがちょこんと置いてあった。 「なんだか、あのときワタシはすごくぼーっとしていたかもしれないデス」 ふわふわと曖昧な意識のまま、バスタオルをとろうとしてしゃがみこんだ。ごくごく普通にバスタオルを持ち上げて、気づいてしまった。  月明かりの入ってきている大ぶりのガラス戸に、写っている。巻かれた包帯は血塗れで、手が無かったり足が無かったり蛆がたかっていたり、呻いていたりしている、兵隊らしき人間が大勢、そこに寝かされていた。アベリアも直接ではないが、こういう光景なら何回も見た覚えがある。戦争になったらどこの国もこんな状態になるだろう。  刀や銃、星のマークを入れたヘルメットとかがあちこちに転がっていた。アベリアはピンときた。戦時中のフレンドの国は、こんな状況だったんだろうと。 「今思ってもそうですケド、なんであんな冷静だったのかもしれません。あのときのワタシは。ホント正気もなにもあったもんじゃないですヨ。不思議ですねネ、どうなっていたんでしょう、あのガラス戸は」  でも、さすがにどうもできなくて、本来バスタオルを拾い上げたアベリアが写っているはずの大きいガラス戸に映った。  包帯まみれの人間の真ん中に、バスタオルを抱えた女の子が座り込んでいる。ちょうどアベリアが正しい風にガラス戸に映ったらそうなるだろうという姿勢でまるで、薄暗い和室の中に包帯まみれの人間が大勢横たわっているように見えた。 「いえあの、勘違いしないで欲しいんですケド、ワタシがいた、その和室の畳にはバスタオルしか置いてなかったですよ。もちろん、そのときも誰かが横たわっていたなんてないですしネ」  そして、急に着物を着た幼い子供が、ガラス戸に映り込んだ。 「え? 何デスカ? ザシキコゾウ? 知らないから後で教えてくださいネ!」  それで、白っぽい頭巾を被ったその子供は宙に浮いていて、アベリアをじいーっと見ている。 「え、ザシキワラシじゃないかって? ……それは知っていますケド、そんな可愛いモンスターじゃありませんでしたネ」  真っ黒い目が、もう尋常じゃなかったから。アベリアの事をじいっと睨んで、あの目は本気だった。アベリアの事を殺そうとしている目だった。小さい拳をぎゅうーっと握って、口を開いた。 【きさまらが】  愛らしい容姿(ルックス)と裏腹の怨念の籠もった声。陳腐な手抜きスリラー映画のようだった。一週間もせずにレイトショー行きなクォリティーの。 なんたって宙に浮いた小さいアジア人の子供と、たくさんの死体寸前の人間達に囲まれた日米クォーターなんてあんまりに馬鹿げている。 【殺してやる】  子供はそう言ってきた。アベリアをしっかり見据えてそう言った。 【おまえらのせいでわがクニが】 【おまえらのせいでみんなが】 【おまえらのせいでわれらは】 【おまえらのせいでこのクニは】 【おまえらのせいでわれらのあるじは】 【おまえらのせいで……】  アベリアは絶叫した。 「キャーだなんてヒロインみたいに可愛いもんじゃないですヨ。もう、うぎゃあああって、それこそモンスターみたいな感じデ。でも、どんな声でも出てよかったと今は思ってマス」  おそらく、近所中に響くような声だったと思われる。もし声が出なかったら死んでいただろうとも。 「大げさなんかじゃないですヨ。あれ、マジでガチのピンチでしたもン」  子供の瞳孔が満月のように丸く開いた真っ黒い目を見ながら、ああ死ぬんだなとアベリアは諦めの境地に至りかけた時、  ばこん!  すごい音がして周囲が急に明るくなった。振り向くと血相を変えたフレンドが襖をふっ飛ばして部屋の中に走り込んできた。  廊下の明かりが差し込んで、辺りがオレンジ色に変わる。和室の有様を見て、アベリアのフレンドは、呆然としていた。あの時のあの和室には、地獄が広がっていたのだから。 【どうしてこんなことに】  フレンドが現れてもガラス戸に映り込んだ死体も、女の子も消えてくれない。フレンドがアベリアの肩を抱きかかえるようにして、女の子に向かって優しく話しかけた。 「久しぶりだな、××」 「こんな事は、しなくていいんだぞ」  大声とはまではいかないが、やけにハッキリした声でそう言った。 「私達はもう大丈夫だ。生きているんだから怖い事も、癒えない傷なんて珍しくもないし。だから、あなたがこんな事をしなくてもいいんだ」  アベリアにとって、正に救世主(ヒーロー)だった。けど、子供はまるで虐められたみたいに泣きそうな顔になっていって、しまいには本当に泣き出してしまった。 【だってこいつらのせいで、このキチクらのせいであなたたちは、】  何がどうなっているのかよく解らないまま、あの子供はアベリア自身の事を、というより、外国人自体を大層恨んでいるらしかった。身に覚えのない事で恨み罵られている理不尽な状況なのに、やっぱりアベリアの頭はぼんやりしていた。  そうしたら急に頭巾の子供が、すごい声で叫んだ。アベリアの耳どころか部屋がびりびりと震えたのは覚えている。 【ぜったい、コロシテヤル!】  そう叫ばれて急に目の前が真っ白になった。意識がゆっくり薄れていく中、 【あなたがてをくださずとも、いつかわたしたちが】  そんな声が、辺り一面から聞こえた。目に見えないナニかが大量に蠢いているみたいで。しかしフレンドがアベリアの肩に思いっきり爪をたてたところで、意識が途切れた。 「最後に、ぼそっとなんか呟いたみたいなんですけど、聞こえませんでした。すっごく怖いこと、いわれたような気がするんですけどネ……」  目が覚めたらホラーのテンプレ通りに布団の上にいた。嫌な夢だったとて思いたかったが、枕元にあのバスタオルが置いてある上に、肩に殺すつもりだったのかと疑いたくなるぐらい食いこんだ爪の痕が残っていたのだから、そうも思えない。  フレンドは、昨日と同じく朝ごはんを作り始めていた。アベリアはすごく汗をかいていたせいか、かなり喉が渇いていた。でも――何だか、もう、今すぐにでも出て行かなければならないような気がして、借りていた浴衣をさっさと脱いで脱衣所に持って行ってお礼を言ってそのまま帰った。フレンドも、引き留めなかったし、特に何も言われなかった。 「ワタシの話はここまでですヨ。たいして怖くもなかったデスカ? 思ったよりチープな話になっちゃったみたいで。ワタシとしては怖かったんですけどネー」 「……それよりも、この部屋寒くないですカ? ワタシ、ちょっとこのあいだから肩が重くてしょうがないんですよ。新型ウィルスなんですかね、バストが成長してるって信じたいんですケド……」
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