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授業が終わって放課後。
下駄箱で靴に履き替え、傘立てにある自分の傘を手に取ったわたしは、昇降口の軒下に塩月くんがいることに気がついた。
同じクラスの塩月くんは外を見て佇んでいた。外は雨が降っているから、その姿はまるで雨宿りをしているような様子だ。と、そこで塩月くんが傘を持っていないことに気がついた。もしかしたら雨宿りというのはさほど間違っていなくて、雨を見ながらどうしたものかと考えていたのかもしれない。
「塩月くん」
わたしが後ろから声をかけると塩月くんが振り返った。
「ああ、佐倉さんか。いまから帰るところ?」
塩月くんが言った。相変わらずクールでかっこいい。ちょっと近よりがたい雰囲気があるけれど、美形でミステリアスで、女子のあいだで人気がある。いわゆる王子様といった感じで、はっきりいってモテモテだ。自分から声をかけておいてなんだけれど、正面から見つめられるとわたしも少し照れてしまう。
「うん、そうだよ。塩月くんは傘、忘れたの?」わたしは訊ねた。
「そうなんだよ。困ったことにね」
「天気予報ではちゃんと午後から雨だって言っていたのに」
「じつは」と塩月くんは少し照れながら言った。「今朝は少し寝坊してしまってね。慌てて家を出たらこの有様というわけさ」
「そうなんだ」
と言いつつわたしは微笑む。
じつを言うと塩月くんは少し天然なところがあって、完璧な王子様に見えて意外とお茶目な失敗をしたりする。本人はあとからそれに気がついて照れたり恥ずかしがったりするんだけれど、わたしからしたらそのギャップが萌えポイント。今日の塩月くんもかっこいいけれど、よく見ると髪には寝癖がついている。
「佐倉さんはちゃんと傘を持ってきたんだね」と塩月くんが言った。
「まあねー」
「よかったら入れていってくれない。途中まででいいからさ」
「えっ?」
とつぜんの申し出にわたしは驚いた。
それって相合い傘をするってこと?
わたしと、塩月くんが?
いったい何を言いだすのだろう、この人は……。
「おれとじゃ、嫌かな?」
戸惑っているところに塩月くんがさらに迫ってきた。
まるで告白するかのような言い方にわたしはツバを飲み込む。なんだか距離も妙に近い。きっと本人にそんなつもりはまったくなく、ただ天然を発揮しているだけなんだろうけれど、それでもわたしはドキッとした。
ど、どうすればいいんだろう……。
と、そのときだった。
「おー、佐倉に塩月じゃん」
声をかけられて振り向いてみると、そこにはこれまた同じクラスの三好くんがいた。
三好くんは屈託のないまぶしい笑顔だった。髪型や着崩した制服が少し不良っぽいし、感情がゆたかなぶん怒りっぽいところがあるけれど、顔は整っているうえに親しみやすいことから塩月くんとはまた違ったベクトルで女子のあいだで人気のある男の子だ。はっきり言って彼もモテモテ。ちなみに三好くんはじつは思いやりがあり、案外まじめで学校の成績がいいというギャップがある。勉強をするときだけメガネをかけるところが、わたし的にかなりの萌えポイントだ。
「どうしたんだよこんなところで。あっ、もしかしておまえらも傘忘れたのか?」と三好くんが言った。
「ということは三好も忘れたのか」と塩月くん。
「おれとしたことが、ついうっかりとな」
「でも、佐倉さんはちゃんと持ってきているよ」
「マジで?」
三好くんがわたしを見る。
「おー、さすが佐倉だぜ。ちょうどよかった。途中まででいいからその傘に入れていってくれよ」
「えっ?」
とつぜんの申し出にわたしは驚いた。
それって相合い傘をするってこと?
わたしと、三好くんが?
いったい何を言いだすのだろう、この人は……。
「んだよ、その反応は。おれと一緒は嫌だってか?」
言葉とは裏腹に三好くんは不安そうだった。三好くんは普段威勢がいいくせにこういうちょっとしたことで弱気になったりする。そこがかわいくて、庇護欲をくすぐられて、わたしはキュンとした。
それにしてもだ。
ど、どうすればいいんだろう……。
と、そこに塩月くんが割って入った。
「ちょっと待て三好。佐倉さんに傘に入れてと頼んだのはぼくが先だ。三好の入るスペースはない。悪いが他を当たってくれ」
「はあ?」
塩月くんの言い方が気に障ったのか、三好くんの表情が不機嫌になる。
「それは本当か?」
「えーっと……、頼まれたのは本当です」
三好くんに訊ねられてわたしは答えた。
すると三好くんは急ににやりと笑った。
「はっ、なるほど、頼まれたのは本当と。でもその様子じゃ、まだ返事はしてねえんじゃねえの?」
「それは、その通りだけど……」
さすがは三好くん、するどい。こういうことに気づくからこそ人を思いやることもできるってことか。
「じゃあおれのことを選んだって別になんの問題もないわけだ。なあ、佐倉?」
「えーっと……」
「なあ、おれのことを選べよ、佐倉」
「うぇ!?」
わたしの口から変な声が漏れた。
なんか三好くんまで告白するかのような言い方を……。
と、そこで塩月くんがため息をついた。
「後からきたくせにごちゃごちゃ言うから佐倉さんが混乱しているじゃないか。佐倉さんのことを考えなよ。そんなことを言ったら佐倉さんは罪悪感で選べなくなってしまうだろう? だからここは先着順ってことであきらめろ。それが妥当ってものだしね」
「おいおい、そうやって自分に有利な状況を作ろうったってダメだぜ」と三好くんが反論した。「先着順なんていう一見平等なものを持ち出して、強引に詰め寄れば佐倉を思い通りにできると思ってるんだろうがそうはいくか。それにな、そんなマニュアルみたいな方法で相手を選んでいたら佐倉の心が死んじまうだろうが。問題は出会った順番じゃねえ、本人の気持ちだ。その傘に誰を入れて帰りたいのか、選ぶのは佐倉自身だ」
「まったく」塩月くんが呆れたように首を振った。「先着順と言ったのはどうせ選ばれない三好がショックを受けないためのぼくなりの配慮だったのに。そこに気がつかないとは」
「ああん?」三好くんがガンを飛ばす。「なめんじゃねえよ。それこそいらねえやさしさだぜ。佐倉が選んだ相手ならおれは受け入れる覚悟がある。もっとも、選ばれるのはおれだろうがな!」
「そうか」塩月くんがクールな視線を送る。「どうやら三好を見くびっていたようだね。いいだろう。その覚悟があるのなら佐倉さん自身に選んでもらおうじゃないか」
「望むところだぜ」
そしてふたりは、わたしを見て同時に言った。
「佐倉さん。ぼくとこいつ、どっちをその傘に入れてくれるんだ?」
「佐倉ぁ! おれとこいつ、どっちをその傘に入れてくれるんだ?」
「うぇ……」
なんだ、この状況は!
クールでミステリアスでかっこよくて、そしてちょっと天然な男の子、塩月くん。
感情ゆたかで豪快で親しみやすくて、それでいてちょっと繊細な男の子、三好くん。
まさか、ふたりのモテ男子にこんなふうに言いよられる日がくるなんて……。
どうなっちゃうの、わたし〜!?
どうなっちゃってるの、わたし〜!?
だけど、わたしの答えはもう、とっくに決まっていた。
雨の降る通学路を、わたしは傘をさして歩く。
目の前に繰り広げられている光景を目に焼き付けながら。
わたしの前には、塩月くんと三好くんのふたりが相合い傘をして歩いていた。
ふたりがさしているのはわたしの傘だ。いざというときのとためにいつもカバンに入れてある折り畳み傘。じつはわたしは、最初から傘をもう一本持っていたのである。そもそもわたしは、この折り畳み傘を貸してあげるつもりで塩月くんに話しかけたのだ。
わたしはカバンの中の折り畳み傘を「ふたりで使って」と言って渡した。
その結果が、目の前を歩くふたりの相合い傘である。
そしてこれそこわたしの求めていた展開だった。
わたしは相合い傘をしている塩月くんと三好くんをじっくりと観察する。
網膜に映るその光景をわたしの脳はフル回転で処理し、妄想を出力する。
「三好、もうちょっとこっちに寄れ。濡れるぞ」と塩月くん。
「うるせえな。別におれが濡れようがおまえには関係ねえだろ」と三好くん。
ああ、三好くん! それは塩月くんが雨に濡れなければ自分はどうなっても構わないって、そういうことですか!? そして塩月くん、こっちに寄れだなんてなんて大胆な! 天然と見せかけてじつは確信犯。やはり塩月くんが攻めなんですね、そうなんですね!?
求めていた展開とはそういうことだ。
塩月くんと三好くんのカップリング。
常日頃からふたりのこんな絡みをわたしは待っていたのだ。
わたしがどちらかと相合い傘をする? ご冗談を! だいたいふたりがわたしを好きだなんてありえない。単に雨に濡れたくないというところに都合よくわたしがいただけだ。それにしたってだ、ふたりがわたしを取り合うところなんか見たくない。そんな少女漫画のヒロインみたいなものにわたしは興味がない。わたしは登場人物じゃなくていい。わたしは読者で構わない。そう、いまのように空気になって、ふたりのやり取りを観察できれば……。
小さな折り畳み傘の下、寄り添うように歩く塩月くんと三好くん。
それを見てわたしは思わずつぶやいた。
「はあ……、尊い……」
傘の下のサンクチュアリ。
ふたりを見守る傘に、わたしはなりたい。
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