宇宙時計の守り人

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何故、その部屋へたどりついたのか、私は覚えがなかった。 磨き上げられた大小さまざまの膨大な数の歯車が、複雑に入り組みながら、ドーム型の天井を持つその部屋を芸術的に埋め尽くし、音もなく回っている。 中央には、針も文字盤もない巨大な振り子時計があり、その内側にも、びっしりと歯車が並んでいた。 良く眺めていると、時折歯車と歯車の間に星の光のようなものがチカリチカリと閃いていた。 それに周囲の歯車が連動して、順繰りにあちこちで閃光がまたたいているようだ。 それはまるで沢山の恒星をすぐ目の前で眺めているような、見ていて飽きない美しい眺めだった。 「おやおや、客人か」 いきなり男の声が聞こえて、私は飛び上がった。 声の主を探して目を走らせると、巨大な振り子時計の足元に、灰色の簡素なローブをまとった男が一人、ゆっくりとした動作で立ち上がるところだった。 見た感じまだ若いその男は、私を見て人懐こい笑みを浮かべた。 「ようこそ、客人。そんなところで突っ立っていないで、こちらへ来ないか?歓迎するよ」 「ここは…なんなんですか?」 私が男に近づきながら尋ねると、男は思案顔で頭を掻いた。 「さて…何と説明しようか…」 その時、ひと際大きく時計の中の歯車の間に光が明滅し、急にせわしなく部屋のそこここで閃光が瞬いた。 男ははっと、顔を上げると、嬉しそうに声をあげて笑った。 「これはいい、新しい生命の宿る星が生まれたな」 「は?」 「客人、祝杯を挙げよう。めったにない事なんだ」 男は、手に持っていた金属とも木製ともつかない鉛色の杖で、トン、と床を突いた。 すると、床が盛り上がり、テーブルと二つの椅子が現れた。 テーブルの上には、琥珀色の飲み物の入った瓶と、二つのグラスが乗っている。 男はいそいそとグラスに飲み物を注ぎ、私に椅子に座るよう手招きをすると、自分も向かい側に座った。 訳が解らないながら、男に習ってグラスを手に取る。 男は陽気に私とグラスを合わせると、美味そうに飲み物をすすり始めた。 恐る恐る一口、その飲み物を含んだ私は、今まで味わったことのない極上の美味に、目を丸くした。 「美味い!」 「口に合って何よりだ」 男はまるで子供のように嬉しそうな表情でうなづいた。 私も、つられて思わず笑った。 得体は知れないが、どうにも人好きのする男だ。 「生命の宿る星が一つ生まれると、暫くにぎやかになるんだ。沢山の因果律が活発に動き始めるからな。さてさて、どこまで広がるか、楽しみだ」 男は、私がぽかんと聞いているのもかまわず、良く解らない事を楽しげに話す。 その間も、部屋じゅういたるところで、閃光がひらめき、まるでまばゆい星の海の中に居るような気分になって来る。 出鱈目に閃いているようで、よく見ていると、ちょっとした法則があるようだった。 どこかが閃く、すると呼応するようにあちらこちらで同時に幾つもの閃きが生まれ、その閃き一つ一つから更に沢山の閃きが生まれる。 暫くそうやって無数の閃きが広がり、やがて少しずつ数が減って行き、ひとたび、静かになる。 が、再び閃きがどこかでぱっと瞬くと、再び賑やかな閃光の宴が始まる。 無機質な歯車の塊が生み出すものなのに、まるで生物の鼓動のようだ。 「いいぞいいぞ、これはいい」 何がいいのか良く解らないが、男は部屋中に瞬く閃光を眺めながら、目を細めた。 「ああ、やはり創生の場に出会うのは本当に楽しいな。客人、あんたは運がいい。なかなかこの場に立ち会える者はいないんだ。綺麗だろう、どうだ?」 「はぁ、本当にそうですね、とても綺麗だ」 戸惑いながら答えると、そこでようやく、男は私が先ほどした問いを思い出したようだ。 しばし、首を傾け考え込んだ後、うん、とうなづくと、まっすぐ、私を見つめた。 不思議なまなざしだった。 柔和でいて、聡明で強い。 引き込まれるように私は男のまなざしに見入っていた。 「ここは、宇宙の中心にある。宇宙全体のしかるべき時を刻む時計塔だ。ただ、外からこの場を観ることはできない。何もかもが内側に備わっていて、ここから全てが広がってゆく。そう、一つの宇宙の心臓、と考えてくれれば解りやすいかもしれないな」 「宇宙の、心臓?」 「うん。そうだな、心臓だ。客人は地球人だな?地球にもあるだろう、その惑星の時を刻む心臓が。見ることはできないが、そこかしこに、刻まれた時の痕は見つける事が出来る。山が崩れた時にむき出しになった地層や、水流で削られた海辺の岩…歳経た大木の年輪などに」 「ああ…成程」 やっと、私にも少し男の言う事が解った気がした。 確かに惑星の時の刻まれた跡なら見ることはできるが、時を刻むモノそのものは見ることはできない。 惑星の心臓は惑星の内側にある、か。 言い得て妙だ。 だが。 はて、宇宙の心臓だと?そんな途方もない場所に何故、どうやって、私は来る事が出来たのだろう? ついさっきまで、私は自分の勤める職場のあるオフィスビルの通路を歩いていたのに。 私が首をかしげていると、男はククク、と悪戯っぽく笑った。 「辞めた方がいい。客人、あんたは丁度しかるべき時にしかるべき場所に居てしかるべきようにここへ来た。それだけさ」 前言撤回だ。 やはりこの男の言うことは良く解らない。 男が、まだ、私には理解できない話をしそうだったので、私は思い切って、今度は私にも解る話を振ってみることにした。 そうでなければ、この男の話に飲み込まれて頭が混乱しそうだったから。 「あなたは、ずっとここにお一人で?」 「ああ一人でここに暮らしている」 「それは寂しいですね」 「いや、しょっちゅう色んな客人が来るし、歯車の手入れもしなければならない、さっきのようにすばらしい時にも立ち会える。 退屈はしないな、こうしてゆっくりできることもまれだが。本当に、客人、あんたはいい時にここへ来たな」 「…この、そこいら中の歯車を、一人でメンテナンスしているんですか?!」 「なに、そんなに苦じゃないさ。私が好きでやっている事だからな」 「いやそれは凄いですね、なかなかできるもんじゃないですよ、ほら、電気か何かなんでしょう?あのチカチカする光は。危なくないんですか?」 男は急に豪快に身をそらして笑いだした。 「電気?!そんなものではないよ、もっともっと、強いエネルギーなんだ。あのまたたき一つで、客人の世界を照らす太陽数億個分の馬力があるよ」 「ええええ?それじゃもっと危ないじゃないですか!」 男は笑い続ける。 「ああ、いいなぁ、私はずっとここに居るから、何もかも当たり前になってしまうんだ。成程、危険かぁ。ははは!そんなこと考えた事もなかったな!」 「だったら…あの光はなんなんですか?」 「あれは、二つの宇宙因果律が出会う時に発生するエネルギーなんだ」 「宇宙因果律?」 「そう。まだ形になる前の存在の因果律だ。二つの因果律が出会うと、その時初めて存在は形をとる。膨大なエネルギーの発生によって。そしてまた幾つもの新しい因果律が生まれる。その新しい因果律がまた別な因果律に出会う。それが連鎖してゆく影響で、眠っていた周りの因果律が目覚め、幾通りもの因果律の出会いが起こる。その過程で今回生命を宿す惑星が誕生した」 「………?」 私は多分相当呆けた途方に暮れた表情をしていたのだろう。 男は頭を掻いて、しばらく思案した後、頷いて、苦笑した。 「例えば、だ」 男は手のひらを私の前に差し出した。 その手のひらの上で、小さな小さな星のような光が輝き始めた。 「ここに、人間の卵子がある。卵子は精子と出会う。創生の因果律の一つの出会いだ」 もうひとつ、更に小さな光が輝きながら最初にあらわれた光に激突した。 すると、融合して一つになった光は、一瞬ふわりと強く輝くと、分裂を繰り返しながら、みるみる形を変え始め、人間の胎児になった。 「母体に影響を及ぼし存在を主張し始める。母体は身ごもった事で、それまで知らなかった感覚を知り、やがて同じような状況にある女性や、手を貸してくれる医師、助産婦に出会う。また、今まで全くの他人だった周囲の人々にも、影響を及ぼす。母体はすぐに妊婦としての特徴を表し、新しい命の宿ったその姿に惹かれて祝福の気持ちを持ち、話しかけ、接触を試みる」 胎児の周辺で、無数の小さな閃きがちかちかと瞬きだした。 それは次第に数を増やし、広がって男の掌からあふれ出す。 時に互いにぶつかり合い、新たな光を生み出しながら。 その新たな光もまた、周囲に光を生み出し、やがてまるでそれは宇宙に浮かぶ銀河の群れのような様相を見せ始める。 「時が来て胎児は母体の外へ出る準備が出来、正式に一個の人間として世界へ産み落とされ…」 小さな赤ん坊は、周囲に瞬く無数の光を従えながらみるみる成長を続け、やがて老い始める。 光の群れは明滅を繰り返しながら、凄まじい勢いで広がって行く。 「成長を続けながら、永続的なもの、一瞬の一期一会、さまざまな因果律との出会いを経験してゆく。その出会いから生まれたエネルギーは、周囲の様々な事象に影響を及ぼし続ける」 ふいに、男は手のひらを閉じた。 今や老人とならんとしていた胎児だったものは、ふつりと消えた。 だが、その存在の従えていた光の群れは更に更に広がりながら、拡散を続け、やがてあまりにも広がって見えなくなった。 「これは、一個の人の時の例だ。ここでは宇宙規模でこのようなことが起こるのが計測される」 「宇宙規模で?」 「そう、一個の銀河、一個の星系、一個の太陽、一個の、しかるべき場所に生まれる惑星。その惑星はやがて生命を宿し、因果律の出会いの果て、おそらくこの調子なら知的生命体が存在する惑星になるだろうな。知的生命体はやがて自分たちだけがこの宇宙に唯一の存在ではないことに気がつき、出会いを求めて故郷から飛び立つ術を持つに至る。そうして彼らの行動は多くの因果律を生み出し…」 「どうなるんですか?!」 胸の鼓動が速くなってきた。 もし私たち地球人が故郷を飛び立つ術を持つにいたったら…? 「この宇宙中に散らばる、高度な文明を持つ知的生命体の連盟との出会いを果たすだろう。自分達が孤独ではなく宇宙の一員であることを、大いなる喜びをもって知るだろう。その喜びは種を爆発的に進化させ、宇宙を豊かにする。だから創生の時は特別な祝いをする。面白いもので、そういうときはほぼ必ず、だれかかしか客人が何人かここへ来合わせるんだ」 「………!」 私が、興奮して驚いていると、ふと、男は優しいはげますような笑顔になり、私を見つめた。 「そう…、客人が丁度ここに居合わせたということは、おそらく今生まれた星の知的生命体に対し、大きな因果律の波に乗せる手助けをするのが、地球人になるかもしれない」 「………私たちの文明は、その…そのころまで存続しているでしょうか…?」 「少し難しい質問だ。地球は今、かなり危険な因果律の波の中に居る。振り子のように揺れながらあっちへこっちへ傾いてはその反動で向こうへ傾き、落着きを失っている。 そこから抜けるか、抜けられず滅ぶかは…まだ解らない。抜け出る可能性は大いにあるが、それが人類の総意には至っていないから」 「地球人類の総意、ですか?いやそれはまた…」 「無理だと思うか?だか、叶えなければ先には進めない。成功例はいくらでもある。不可能ではない。客人、あんたが先ず信じればいい。実際にこの場にいて私の話を聞いたのだから」 「私がですか?」 男は笑って頷いた。 「あんたが本気で信じれば、自ずと周囲の人間も信じ始める。因果律の広がりとはそういうものだ」 突然軽い、ポーンという澄んだチャイムの音がした。びくっとして音のするほうを振り向くと、歯車と歯車の間から、アーチ状に切り取られた光が見えた。男が立ち上がって、手を差し出した。 「そろそろ客人のここでの時間は終わりだな。会えてよかった」 「あれは…」 男の手を取って握り返しながら、私が尋ねると、男はうなづいた。 「あんたのいた場所へもどるための出口さ、客人。急いだほうがいい、でないと、またしかるべき時が来るまで私とここにとどまって歯車の世話をしなければなるまいよ」 「よく解りませんが…私もあなたと会えて楽しかったですよ。また、会えますか?」 思わず私は言っていた。 男は人好きのする笑みを浮かべ、肩をすくめた。 「時が来たらな」 私は、男の物言いが気に掛った。 いったいいつの「時」のことだろう? だが、急いだほうがいいという男の言葉に、考え込むのをためらった。 ここは不思議で魅力的な場所だが長居をするほど心惹かれる場所とも言えない。 私には私の属する世界がある、そこへ帰れないとなると…困る。 私は男と手早く握手を交わし、急いで歯車の向こうのアーチ状に切り取られた光のほうへ向かった。 「では、お達者で」 「客人、よい人生を」 男は私を促しながら、力強く、暖かく、そう言った。よい人生を。 ああ、そうなのかもしれない。 私はここへ来た時と変わってしまった自分に気が付いた。 これもまた、「因果律の出会い」とやらの影響なのか。 あの場所へ来た時と同じように、私はどうやって自分の本来いなければならない場所へ戻ったのかよく覚えていない。 ただ気がついたら、ぼんやりと、いつもならその時間そこへいるべきはずの場所に突っ立っていた。 あの不思議なひと時のことはよく覚えていた。 宇宙時計の守人と過ごしたひと時を。
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