『吸血秘書と探偵事務所』 昔話①雪女との出会い

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これは天柳探偵事務所と白山氷柱の出会いの話。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 一年前の夏、中原詩織の依頼で火前防の関わる事件を解決してから一週間程の頃。 陽は沈みかけてきたものの、うだるような熱気はまだまだ健在で道行く人々の額には汗が滲む、そんな時間帯。 一人の男が人通りの少ない道を歩いていた。その手の先で夕飯の材料でも入っているのだろうスーパーの買い物袋が揺れている。 「だー、今日も今日とて暑いなまじで。うちに着くまでにアイス溶けるんじゃねえかこれ」 心配そうに手元のビニール袋覗き込みながら歩いている内に目的地のすぐ近くまで来ている事に気づく。 両隣を背の高いビルに挟まれ人気の少ない通りの中でも一際人目につかない建物。どこにでもありふれた小さな事務所といった外観、その建物から連なる看板にはシンプルなフォントで『天柳探偵事務所』の文字が刻まれていた。 「そりゃあこんな所にひっそり建ってても中々お客さん来ない訳だわ。もうちょっとあれか、看板とか派手にした方がいいのかな…………」 クリスマス用の電飾とか幾らくらいするんだろう、的な事をぶつぶつ言いながら事務所の玄関前まで歩いてきた彼の視界に、ふと妙な物が映りこむ。 事務所の名を冠した看板を支える鉄製の柱、その根元から青白い何かがちらちらと覗いていた。 「…………なんだこれ?」 訝しげに看板の柱の裏を覗き込んだ男が見つけたのはぴくりとも動かない青と白を基調にした謎の物体であった。 よく観察してみるとその物体には手足がはえており青白くきらめいているのは長く伸びた髪だという事がわかる。 そして時折手先がぴくりと動く所を見ると一応生きてはいるみたいで。 「お、おーい。あんた? 何してるのか知らねえけどそんなとこで寝てたら風邪…………は引かねえか、こんだけ暑けりゃ」 とはいえ流石に自宅の前に行き倒れを放置するわけにもいかず、傍らにしゃがみこみその体に触れようと手を伸ばしたその時――――季節外れの肌を刺すような冷気が彼の身体を叩いた。 「――――寒っ!? って、うおう!!」 急激な寒気に身を震わせた瞬間、青白い髪を振り乱したソレは華奢な両腕を彼の腰へと巻きつけていた。 大して勢いがあった訳ではないが中途半端にしゃがみかけていた体勢だった事もあり、その小柄な身体が彼を押し倒すには充分な衝撃を生み出した。 「ケツいってぇ…………。いきなり何すんだよ、そして何してんだよ」 青白い髪の生き物には華奢な腕があり青い帯で締めた白い着物を身に着けていた。着物の奥に感じる僅かな膨らみが彼女が少女、少なくとも女性であることを主張している。そして倒れた拍子に引っかけたのか、着物の裾が大きくめくれ少女の極端に白い太腿が露わとなっていた。 少女自身はそれに気づいていないのか、若しくは気にしていないだけなのか。傍から見るとかなり際どい恰好で路上に男を押し倒している少女は男の腰辺りに顔をうずめながら何かを探す様に両腕をぱたぱたと振り回している。 「…………アイスの気配がする」 「アイスって――――これの事か?」 手に持ったままの買い物袋を少女の頭の上で軽く揺らす。ガサガサとビニールの擦れる音に、少女の耳がピクリと反応を示した。 「――――――っ!!」 「…………」 男はビニール袋からアイスバーを一本取り出し包装を開け少女の顔に近づけた。 少女の白い腕が彼の手からそれを受け取り自らの口元に持っていく。 男の上でしゃくしゃくしゃくしゃくしゃくと小気味いい咀嚼音を立てながらソーダ味のシャーベットを食べ終えた少女が、ゆっくりと顔を上げた。 雪の様に白い肌に少し気の強そうな目つき。年相応に艶のある柔らかい唇の端には食べ終えたアイスの棒が咥えられている。 「あーまじで死ぬかと思った。舐めてた、都会の夏を舐めてたわ、上京して一週間たたない内に道端の水溜まりになる所だった…………」 額に残る汗を拭きながら疲れ果てた表情で身を起こす少女。 「元気になった様で何よりだが、そろそろ降りてくんねーか? この状況をご近所様に見られたら変な誤解を受けかねん」 自分より一回りも小さな少女に殆ど押し倒される形で路上に尻を着いたままの男が周囲を指す。 いくら人通りが少ないとは言え全くないわけではない。実は先程から数人の通行人が彼ら二人の後ろを目を逸らしながら通り過ぎて行ったのだが、男は気づかない振りをしておいた。 「………………あんた誰?」 ここで初めて自分がのしかかっている男を顔と合わせた少女はきょとんとした様子で言い放った。 「直前に命の恩人扱いしたはずの人間に随分な言い草じゃねえ?」 「今のガリガリ君ってあんたのだったの? 丁度いい所にあったからつい食べちゃったけど、まあガリガリ君も冴えない男に齧られるよりあたしみたいな美少女に舐められた方が幸せってもんでしょ」 「よーし、そこに直れ小娘。その人を舐め切った態度、ここで叩き直して ――――へぶっ」 少女の白い脚が男の顔面に突き刺さる。藁で編まれた草履の表面がざりざりざりと彼の顔をすりおろしていく。 「いでででででで、かっ顔! 顔が…………っ!!」 大の大人が両手で顔面を抑えながら地面を転がり回る姿を冷めた顔で見下ろす少女。その視線に同情の念などは無く、蟻に運ばれる虫の死骸でも眺めるかの様な無関心なものだった。 「おいこれ大丈夫か? 鼻とかちゃんとついてる? すりおろされたりしてないよな」 しばらくはひりひりとした痛みが続きそうな己の顔をさすりながら、改めて目の前の少女の姿を観察してみる。 一番の特徴はやはりその髪、透明感のある青白いそれは腰の辺りまで伸びボサボサと大きく広がっている。 身長は男の肩下程、150前後辺りか。立ち上がったことで始めて見えるようになったのはその着物、涼し気な水色をベースにしたシンプルなデザインの和服に身を包んでいた。そして透き通る様な白い肌に整った顔立ちはまず間違い無く美少女の括りに分類されるであろう。 「で、あんたは誰よ」 …………その仏頂面がなければの話だが。 「たった今顔面やすりがけにされた男に対する心配とかは無しかよそうかよ、まあ…………いいけど」 そう言って男が指さしたのは彼らの傍らに立つ一つの看板だった。 「天柳、探偵、事務所?」 青白髪の少女が建物と男を交互に見比べた。 「――――って、探偵ってなにする人なの?」 「あー…………そっからかよ。探偵っつーのはまあ、一言で言えば困ってる人を助けるのが仕事みたいなもんだな」 「ふーん」 「興味関心ゼロかおい。まあ、何でも良いけどさ。こんな所で行き倒れてたくらいだし何かしら事情があるんだろ? これでも探偵の端くれだ、話くらいは聞いてやってもいいぞ」 「事情って程大した話でも無いんだけどさ――――」 きゅるるるる、と。 全体的に白っぽい少女の言葉を遮った音はほかでもないその少女自身から、より正確には少女の細めのお腹辺りから聞こえてきた。 「~~~~っ!!」 元々の肌の色が薄い事もあり、分かりやすく赤面しているのが一目で分かる。 「……なんで俺を睨むんだよ。とりあえず、話を聞くより先にやるべき事があるみたいだな」
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