源平出世術

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 僕は玄関に移動して壁に貼り付けられた鏡を覗いた。やはり無表情な幽霊の顔が映っている。どうやらこの幽霊は僕に取り憑いているようだ。これが背後霊というやつだろうか。  時計を見た。そろそろ会社に出かけなければならない。嵐が来ようと、幽霊が出ようと、出社するのが会社員というものだ。  幽霊にかかずらって朝食を取りそこなったけれど、どっちみち二日酔いで食欲はなかった。  駅に行く途中で、幽霊を背後に従えて歩いている人に会った。僕だけではなかったのだ。スーツを着た会社員風の男や、ラフな服装の学生っぽい若者の背後に、幽霊が立っていた。幽霊は僕の背後霊と同じように中世の武士の身なりだ。  そんな人たちに、「あなたは幽霊が見えますか」と、僕は聞いてみたかった。もし見えるのならば、一緒にこの不思議な現象について考えて欲しかった。けれど、藪から棒に、「失礼ですが、あなたは幽霊が見えますか」などと聞くことはできない。もし、相手が見えないとすれば、僕はちょっと頭のいかれたやつと思われてしまうだろう。だから直截的に聞くのは避けた方がいい。  横断歩道で信号待ちをしているスーツ姿の男がいて、その後ろには幽霊が立っている。僕は男に近づいた。  「すみません、コンビニ探してるんですけど、この辺りにあるでしょうか」  不意に声を掛けられて、一瞬とまどったようだが、僕より一回りほど年配の男は、愛想よく教えてくれた。僕は自分の全身が男に見えるように立っていたから、男には僕の背後も見えたはずだ。しかし、男の表情に何の変化もなかったということは、彼には幽霊が見えていないということになる。念のために、それから五人ばかり試したが、結果は変わらなかった。どうも、幽霊が見えるのは僕だけのようだ。  罰ゲームのような満員電車だった。途中の駅から乗車して来た客が押されて来て、僕と背中同士くっ付け合う破目になってしまった。それだけであれば、ありふれた通勤風景だが、その客は背後に幽霊を従えていたのだ。吊革にぶら下がって窓外の景色を眺めていた僕の鼻の先に、不意に幽霊の土気色の顔が出現した。胃の中が騒ぎ出したのは、何も二日酔いのせいだけではないだろう。  通勤に手間取って、会社に着いたのは始業の五分前だった。事務室に入ると、まず課長席に目を遣った。空席だった。課長の島本はすでに来ているはずだが、まだ喫煙コーナーで煙草を吸っているのだろう。分煙が社会の流れとなって、僕の会社でも事務室内は禁煙となり、廊下の外れに喫煙コーナーが設えられたのだ。まあ、朝一番に島本の顔を見ないのはいい。昨夜、上司の悪口で盛り上がったが、その上司の内の一人が島本だった。
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