源平出世術

3/7
前へ
/7ページ
次へ
「昨日は飲んだなあ。おかげで二日酔いだ」  席に着くと、肩を叩く者がいた。その声は田崎に違いない。 「こっちもそうだ」  僕は振り返った。田崎が眠そうな目をして僕を見降ろしている。  彼とは同期入社で、二人とも最初の配属先は工場だった。その後、彼は営業所勤務になったけれど、僕はずっと工場勤務を続け、昨年本社に転勤となった。そして、配属先にいた田崎と再会した。彼の方は僕より一年前に本社勤務になっていたという。 「そうか。また後でな」  もう一度僕の肩を叩くと、田崎は自分の席に戻って行った。彼の背後に幽霊はいなかった。  始業のチャイムが鳴る少し前、島本課長がニコチンの臭いを漂わせて事務室に入って来た。後ろに鎧を纏い赤旗を持った幽霊を従えて。  幽霊が出現してから、もう一か月近くになろうとしている。初めの頃は、夜トイレに起きて手を洗ったときに、ひょいと鏡を見てよく驚いたものだ。けれど、最近では驚くこともなくなった。それに、満員電車で他人の幽霊に顔をくっ付けても、以前よりは不快に思わなくなった。まあ、人は慣れるもんだ。  地下鉄の駅から十分ほど歩くと商店街に着いた。アーケードの入り口に「○○商店街」の看板が取り付けられていて、間違っていないことを確認する。  土曜日だというのに商店街を歩く人は多くない。シャッターが下りた店舗が目に付く。「○○書店」とペンキで書かれたシャッターには、「管理物件」のプラスチック板が貼り付けられている。青果店のシャッターには「引っ越しました。連絡は××まで」の手書きの紙がガムテープで留められていた。開いている店舗にしても、流行とは縁がない洋服を陳列している「ブティック」や、店の奥で主人がテレビを眺めている「文具店」などだ。もはや、「限界商店街」の様相だが、和菓子屋の前にはおばちゃん然の客が数人集まって、そこだけが商店街の賑わいを見せている。あの店の和菓子はきっと美味しいに違いない。  指定された喫茶店は商店街の外れにあった。「純喫茶田園」。昭和の香りがする名前だ。  店内には客が二人いて、一人は初老の男でテーブルの上にスポーツ新聞を広げてマスターと喋っている。どうやら競馬の話のようで、早口言葉の練習に使えそうな長い名の馬をマスターに勧めていた。もう一人は店の奥のテーブルにいる男で、僕と目が合うや片手を挙げた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加