第五話 浅草飴屋のべっこう飴 Side:重成

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第五話 浅草飴屋のべっこう飴 Side:重成

 俺、小野田重成は今現在なぜか浅草に住んでいる。ここに住もうと思っていたわけではない。ただ、体育会系の先輩がたに誘われるままにバイトで人力車をひくようになって、新しいものと古いものが混然一体となったこの街がちょっと面白いなとは思い始めていた。  彼女にはじめて会った時のことを覚えている。  もうどうしようもなくしんどくて、切り詰められる部分は食事ぐらいしかなかったから腹はずっと減っていて座り込んでいた。田舎の高校生みたいに、地べたに。  もうどうにでもなれ、とも思った。  やけくそになっていたんだと思う。約束をしたのに、突然同棲相手を連れてくるなんてひどいじゃないか。女々しいと言われればそれまでだ。  手を差し伸べてくれた彼女のことは、今でも人間ではないのではないかと疑っている。観音様なんじゃないの? 「重成くん!」  今日も仕事終わりに雷門の裏で待ち合わせをして、いっしょに家に帰る。  シェアハウスを申し出てくれて、俺に部屋をひとつ貸してくれている。賃料はいらないと言われたが、拝み倒して受け取ってもらうことになった。それでも破格。けど、二人でいろいろ意見を出し合って、ルールは決めた。 1.金品の貸し借りはしないこと 2.共同のお財布に毎月1万円ずつお金を入れて共同品購入用とすること。 3.許可なくお互いの部屋には入らないこと 4.ひとのものは勝手に食べないこと(冷蔵庫に入れる時に名前を書くこと) 5.朝帰りはしないこと(遅くなる場合はお互い連絡をすること) 6.何か不満がある場合には必ず話し合いをすること  そのほかにも細々と掃除当番であったりとか、いろんなことを決めた。今になって考えてみれば、前のシェアルームではそんなこともしていなかったと思い当る。気付いた時にやればいいと思っていたが、それでは駄目なのだと思い知った。  最後に決めた話し合いをする、というのは本当に大事だと思う。言わなければ分からない。人間はそういうものだと彼女は言う。 「福恵さん」 「なぁに?」  名前を呼ぶと返事が返ってくる。にこにことしている彼女は接客業をしているので、休みが土日に限らないのだという。だから今日は休日をのんびりと過ごした後の待ち合わせだ。 「その、お礼をしたいんですけど」 「お礼?」 「俺、貰ってばっかりなので!」  変に声がでっかくなった。これは俺の癖だ。悪い癖だ。ほら、彼女だって驚いている。 「その、給料入ったんで、ちょっとは」 「そういうのはちゃーんと取っておきなさいよ」 「そういうわけにも」  俺の声のトーンがもごもごと小さくなっていくと、彼女は少し笑って、俺を振り返る。 「じゃあさ、そうだなぁ。ちょっと欲しいものがあるから、寄り道してっていいかしら?」 「え。あ、はい」 「いつもの道じゃなくて、こっちに行くよ」  そう言って、いつもはしまっているからあまり通らない浅草寺の前を通って、花やしき通りへと向かう。ここは花やしきの前を通っていて、日中であれば人通りも多いが今の時間はやはり人が少ない。 「確かまだやってると思ったんだ」  そういって、彼女が連れて行ってくれたのは飴屋さんだった。  その名も浅草飴屋。小さな店内の壁一面にいろんな種類の飴がところせましと並べられている。カレーなんていう変わり種から、昔ながらのぺろぺろキャンディの形をした飴まで多種多様だ。まるでおもちゃ箱をひっくり返したみたいな、いつまでも見ていたくなるようなそんな眺めだ。 「これ、欲しかったの。買ってくれる?」  そう言って彼女が指さしたのはべっこう飴。透き通った黄金(こがね)の色をした、一番シンプルな飴だ。 「たまーに食べたくなるんだよね。私、べっこう飴が一番好きなの」  にっこりと笑うその笑顔は間違いなく本物で、俺はだから飴をそのままレジに持っていってお会計をせざるを得なかった。だってこんなに喜んでいるんだから、これではなくて別のものをと言ってもきっと無駄だろう。 「じゃあ、これ」  そう言って包みを渡すと本当に嬉しそうに彼女が笑う。胸が、ときめく。  こんなのは久しぶりで、どうしていいのかがよく分からない。何せ男所帯で育ってきているものだから、女性の気持ちにはとんと疎いし、どう接していいのかがいまいちよく分かっていない。 「ありがとう。重成くん。大事に食べるね」 「いえ、喜んでもらえたら何よりです」 「そうだ。あとね、いろんなのが入っているのを買ったんだ。食べながら帰ろう」  はい、と透明の袋を差し出されると、いつの間に買ったんだ? とは思ったけれど、ありがたく一粒いただく。 「んっ?!」  どうやら俺がひいたのはパイナップルであったらしい。ものすごくジューシーなあの果物の味が口に広がっていく。ちょっと驚いたのでそのまま彼女を見ると、何か得意満面の笑みで俺のことを見ている。 「びっくりしたでしょ? ここの飴、すっごくおいしいの。奥まったところにあるから分かりづらいんだけど、お気に入りなの」  そう言って彼女もひとつ飴玉を口に入れる。ふふ、と笑いながら片方のほっぺを膨らませている姿はハムスターとかリスみたいな小動物みを感じて、すごく可愛い。うん。年上の女性に言う言葉ではないかもしれないけど、可愛い。 「今日はご飯何にしようねー。そろそろ暑くなってきたし冷たい麺類もいいね」 「福恵さんが作るものなら、なんでも美味しいです!」  本心から言ったのに、何故かちょっと疑惑の目を向けられてしまった。何でだろうか。 「リクエストしてほしい! 正直に言うと献立考えるのが面倒で」  けれどその表情は一瞬で、えへへとばつが悪そうに彼女はこぼす。何だろう。何て居心地がいいんだろう。 「えっと、この前食べた大根おろしと甘辛のタレの茄子と豚バラを炒めたのが乗ってる冷たいうどんがいいです!」 「おっ! いいねー。具体的にありがとう! 帰りに八百屋さんで大根と茄子見ていこうね」  暮らし始めて、もうすぐ二週間。まだたった二週間なのに、こんなに気心の知れた感じになるとは思わなかった。  彼女も、そう思ってくれているだろうか。  俺はまだ、この感情に名前を付けたくなくて、彼女に触れることなんて一切できず、少しでも近づきたくて若干猫背気味になりながら、彼女の後ろをついて歩いていくのだった。 ▽▼▽▼▽▼▽▼ 重成くん目線のおはなしでした。 浅草花やしきのすぐそばにある飴屋さんですが、本当に美味しいんですよ。 バリエーションも豊富で面白い。一袋300円とすごくお手頃価格で販売されてます。 カレー飴は本当にあります(笑)
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