「戦場では獣になれなかったものから死ぬ」

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「戦場では獣になれなかったものから死ぬ」

「――江田野と付き合いがあったんですね」  部屋に入ってきた菅谷に声をかけられた麻尾は、書類から顔をあげて軽く眉を上げた。 「ああ。あいつが見習いとしてまだうちの党にいた頃に、色々と『面倒』をみてやったな」 「それは、どういう意味で」  麻尾は小さく笑うと、細身の煙草に火をつけた。 「仕込んだときには、まさか晋之介に手を出すとは思わなかったがね」 「……あなたの『付き合い』の範囲はいったいどこまで及んでいるんですか」 「俺の顔は広いよ」    とぼけた様子で煙を吐き出す麻尾を、菅谷はじっと見つめた。 「――総理の『面倒』も見るつもりですか?」  呟くような菅谷の言葉に、麻尾は一瞬きょとんとしたかと思うと、フッと笑った。 「何だ、それを気にしてわざわざ来たのか、菅谷ちゃん」 「いけませんか?」 「いや。晋之介なあ」  うーん、と麻尾は咥え煙草のまま首をひねった。 「俺は肉食専門でね。自分が征服されることがあるなんて夢にも思っていないタイプしか相手にしない。政治家には多いよな」 「……総理は?」 「晋之介は見るからに可愛いウサギってタイプだろ。いや、ヒツジか?」  麻尾の言葉に、菅谷は微かに眉をひそめた。 「……彼はああ見えて芯は強いですよ」 「分かってるよ。あ、江田野に妙なちょっかい出される前に囲っとけって話か?」 「違います」  素早く否定した菅谷に、麻尾は短い笑い声を上げた。 「俺はああいうタイプには食指は伸びんよ。純粋に守ってやりたいとは思うがね」  菅谷は小さく息をつくと、タブレットを差し出した。 「では、こういうタイプはいかがですか」  タブレットを覗き込んだ麻尾は、小さく唸った。 「……御大将が直接来るのか」  タブレットには、根室沖の接触事故についてロシアが交渉を申し込んできたという報告が表示されている。  ロシア側の交渉相手はプッチン首相である旨が、とくに強調されていた。 「ロシアのプッチン首相といえば、元軍人のエリートだとか。生え抜きの肉食動物だと思いますが」 「……いや、交渉相手は俺じゃない方が良いだろう」  麻尾の言葉に、菅谷が目を見開く。 「何故ですか? あのトランポリン大統領すらあっさり落としてしまったあなたが」 「あの御仁は自分の腕力を無邪気に信じ込んでる。実に分かりやすくて可愛らしい相手さ」  麻尾は深く煙を吐いた。紫煙がうっすらと漂う。 「プッチンは俺と同じタイプだ。生粋のハンターで、相手を屈服させることに長けてる」 「……」 「俺だと、反発しあっていつまでたっても勝負はつかんよ」  菅谷は目を伏せると、静かに息をついた。 「では、今回は私が」 「いや」  麻尾は首を振った。 「晋之介を行かせろ」  菅谷は無表情のままだったが、僅かに上がった肩に驚愕が現れていた。 「――正気ですか。あなたのたとえを借りるなら、ハンターの前にヒツジを差し出すようなものだ」  麻尾は煙草をねじり消すと、微笑んだ。 「心配するな、別に適当に言ってるわけじゃない。俺の外交のカンを信じろよ」 「……」  唇を引き結んだ菅谷は、タブレットを拾い上げると踵を返した。 「分かりました。……ただし、私も同行します」 「ダメだ」  麻尾はあっさりと首を振った。 「そんな余裕はないだろ。菅谷ちゃんはこっちで、与党内部の造反者の対応だ」 「……」 「せっかくのリーク情報だ。久々に『密室政治の達人』の本領を発揮してくれよ」  わずかに目を伏せた菅谷は、小さく息を吐いた。 「お前さんは晋之介のことを大事にし過ぎだ」  麻尾は再び書類に目を落としながら言った。 「あいつが仮にもこの国の首相なら、この程度、一人でどうにか出来ないといけないんだ」 「――分かりました」  そのまま部屋を出て行こうとした菅谷だったが、ふと扉の前で振り返る。 「麻尾さん」 「ん?」 「あなたは、大事なものはないのですか」  菅谷の言葉に、麻尾は短く笑った。  その笑い声を返答と受け取ったのか、眉を上げた菅谷は一礼するとそのまま部屋を出て行く。  誰もいなくなった部屋で、麻尾は細く紫煙を吐き出した。  「――俺はお前が大事だと言ったら、あの鉄面皮はどんな顔をするんだろうな」  自嘲気味の呟きは、誰の耳にも入らずに消えた。             ◆◇◆  ――その部屋は簡素だった。  壁はむき出し、床は石造りで、テーブルや椅子にもおよそ飾りというものがなく、実用性第一である。  部屋の奥には簡素なベッドが置かれ、その横で無骨な暖炉が赤々と燃え、殺風景な部屋に唯一の色味を添えていた。  部屋の中央では、上半身裸の男が一人、黙々と腕立て伏せをしていた。  隆々とした筋肉が、身体が上下するたびに盛り上がり、引き絞られていく。  いつからやっていたのか、身体の下には汗が水たまりを作っていた。  男の名はプッチン。ロシアの首相である。  不意に、ドアがノックされた。 「入れ」  部屋と同じく簡潔な言葉に応じ、さっと入って敬礼をしたのは金髪の青年である。  まだ年若く、キラキラとした瞳は首相を捉えてより一層輝きを増した。  緊張と憧れの混じった声を弾ませる。 「報告いたします。日本側から交渉の合意、および日程調整の連絡が参りました」 「最速で」 「は」  腕立て伏せをやめて体を起こしたプッチンに、青年が資料を差し出す。 「日本側の交渉相手は総理大臣です。シンノスケ・アベ」  添付されている荒い写真には、晋之介が写っていた。 「子羊だな」 「は、はい」  プッチンは資料を暖炉に投げ込んだ。炎がさっと舞い上がる。 「戦場では獲物としてなぶられ、食い殺される種類の男だ」  赤々と輝く炎を背に、プッチンは青年を一瞥した。 「貴様は獣か?」 「は……」 「戦場では獣になれなかったものから死ぬ」  プッチンの言葉か、鍛え上げられた肉体か、あるいはその両方に圧倒され、青年は言葉を失った。 「人のままでは、私については来られん」  プッチンはベッドに顎をしゃくった。  ベッドには熊の毛皮が敷かれ、虚ろなガラスの目に赤い炎がチラチラと映っては揺れている。 「あの熊は私がこの手で仕留めた」  それは文字通り、素手で格闘して殺したという意味であることを青年は知っていた。 「服を脱いで上がれ」 「……!」  頬を染めた青年が言葉に詰まった。 「貴様の獣性を引き出す」 「あの、閣下……」 「私についてくるか?」  ごくりと喉を鳴らした青年は、更に顔を赤らめて頷き、ベッドへと駆け寄った。 「よろしい」  プッチンはズボンを脱ぎ捨て、ベッドへ歩きながら呟いた。 「獣になれぬ男なら、私が食い殺すまでだ」
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