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「やはり、釣られたか」
くるりとこちらを振り向くその女性は、背格好からすると小学生のような身長で、綺麗な金髪のツインテールが印象的な美少女だった。
彼女の隣には、大きな蛸壺があり、この美味しそうな香りの発生源がそこにあると確信できた。
「これこそ、飛んで火にいる夏の虫という言葉が似合い過ぎる」
話すたびに八重歯が見え、その大きく開かれた瞳は、まっすぐにこちらをとらえてくる。
「えっと、ちょっと状況がつかめないんですが」
「ハンッ! あの筋肉アホに勝ったのは褒めてやるが、しかし、次の相手が悪かったな」
ゾクっとなにか嫌な汗が背中を伝う、もしかすると彼女は生徒会が差し向けた新たな刺客なのではないだろうか。
「お前はなぜこの教室に来たのだ?」
「それは、なんだか美味しそうな香りがしたからで」
「違う、この香りはお前以外の人間にはあまり良い香りとはとらえられていない、現に作った私は鼻が曲がりそうなほど臭いぞ」
うげぇっと、嫌そうな顔をしながら、鼻をつまむ仕草をしている。
「人はそれぞれが好きな、もしくは得意な香りがいくつか存在する。例えば、この香りがお前にとってはどうしようもなく抗いがたい香りなのに対し、我々にはただの悪臭となっている」
ギロッ、こちらを大きな瞳が睨んでくるが、小さいうえに可愛らしいので、まるで子犬に睨まれている感じがし、怖さはない。
「つまり、香りがしたから来たのではなく、来させられたのだよ」
彼女の瞳がギラリと揺らめき、そして隣に置いてある壺に蓋をすると、一気にホコリ臭い教室の臭いに包まれた。
「私の名前は土岐 ナツメ、この稲葉山学園の購買委員会委員長である。 お前と同じ学年だが、クラスが遠いのであまり接点がないゆえ、個人的な恨みは一切ないが、この場で私の下僕になってもらう‼」
やはり敵なのか、そしてあの体系で同い年とはまるで合法ロリという表現が全て適用されるではないか。
一気に体は戦闘態勢に移る。 もちろんこの教室にも罠は設置済みであるが、どのタイミングで起動させるのかを迷ってしまう。
それに、土岐は俺を下僕にすると言っていた。
なぜそうならなければならないのか、いくつか問いただしたい疑問点があるが、今はこの場から逃げるのが最優先である。
「副長! こやつを捕らえるのだ!」
教室の隅に備え付けの掃除用具入れのロッカーから、真っ白なエプロンと三角巾を被った女性が出てくるが、何か変だ。
特に彼女の目が死んでいる。
なにかに憑かれたかのような目でこちらを睨み、手に持った牛刀が夕日によって眩しく光り、まるでこれから起こる惨劇を物語っているように思えた。
そして、部屋から出ようとするが、副長と呼ばれた女性と同じ格好をした数名の姿が廊下側にも見えている。
これは前門の虎、後門の狼という状況なのではないだろうか。
一か八か、試すしかなさそうだが、この場は凌げても廊下の敵をどうにかしないことには逃げれそうもない。
その時、俺の後ろに迫ってきている人たちが向きを変えて一斉に包丁を掲げたかと思うと、その瞬間に彼女たちの得物は宙を舞っている。
「なんだ⁉」
土岐が予想外の展開に驚き、俺の後ろに視線を逃したのを見逃さず、直ぐにその場から走りだし、教室の後ろに設置されている黒板の横にある指紋認証型のスイッチを押すと、その数秒後に黒板から白い煙幕が一斉に漏れ出した。
「な、なんなんだよ! こら逃げるな! おい副長あいつをなんとかするんだ」
その指示に従うかのように、無差別に牛刀を振り出した彼女だが、それでは捕まえる前に殺されそうである。
これは、さっさと逃げるが得策。
しかし、振り回していた牛刀が彼女の手からすっぽ抜けてこちらに真っすぐ飛んできた。
もちろん、それを避けれるような身体能力は持ち合わせいないので、迫りくる脅威に目をつむることしかできなかったが、頬をかすめる僅かな風が吹いたかと思うと、目の前に汐里さんの背中があり、彼女は手に持っている日本刀で包丁を弾き返してくれた。
「うぬぬぬ、何がおこっているんだ、状況は⁉ くそ‼」
それに気が付いていない土岐に対し、目の前の彼女は俺の手を握ると、一気にこの教室から離脱していく。
扉を抜けると、廊下には気絶している女生徒が倒れているが、それにかまっている暇はないので、そのまま駆けていく。
「助かったよ」
「間に合ってよかったです。 なんか嫌な予感したので友だち置いて引き返してきたら、あんなことになっているなんて」
「とりあえず、一旦学園を出ようか!」
「そうですね、それまで全力で走りますよ」
彼女はそれを言うと、手をつないだまま更に速度を上げるが、正直言ってよろしいでしょうか、足がもつれそうです。
「ちょっと、情けなさすぎませんか?」
学園から出て、商店街の入り口まで到着するとようやく彼女は足を止めてくれた。あまり息は乱れておらず、綺麗に顔を整えている。
それに対して俺は、肩で息をしながら少し吐き気までしてきているしまつ、これではまったく頼りないのはわかっている。
改めて、体の鍛え方がまったく違うと感じた。
最後のほうは、足を動かすので精一杯になったものの、なんとか彼女の手を握って走り切ることができた。
少し不機嫌になっている汐里さんは、辺りを見回して敵の存在がいないことを確認すると、一息ついたのか、緊張を解く。
そのときに俺が未だに彼女の手を握っているのをみて、その手を振りほどくとそっぽを向いてしまった。
「あ、ごめん、汗掻いて気持ち悪かったでしょ?」
全然呼吸が整わないが、横目で彼女の姿を確認すると、握っていた手を眺めてなにか呟いているが、やはり俺の手汗が原因なのだろうか。
「あわわわわわわああああ……。 これは不可抗力、ラッキースケベみたいなもんよね」
とりあえず、聞き取れないが怒ってはいなさそうなので、どこかで体を休めたいと思い、視界の範囲内で休めるところを模索する。
「提案なんだけ、情けなさすぎて申し訳がどこかで休まない?」
「え? いいですけど、それってなんですか? 誘ってくれているんですか?」
「一応そうなるのかな? 嫌?」
少し考える素振りをする彼女は、仕方がないような表情を浮かべながら「別にいいですよ」と言ってくれた。
一番近くのファミレスに入って、俺はアイスコーヒーと汐里さんはオレンジジュースを選び、座れた喜びに浸る間もなく、注文した飲み物は運ばれてくる。
「だらしないですね、もう少し鍛えたらどうなんですか?」
「鍛えたい気持ちはあるんだけど、なかなか続かなくてね」
「気合が足りないじゃないですか? 今度鍛えてあげますよ」
目を輝かせて提案してくるが、それをやんわり断ると、またまた少し不機嫌になった。
一口ジュースを飲むと、表情は和らぎ、いつもの笑顔に戻ってくれる。
「で、あいつなんなんですか?」
「それはこっちが聞きたいよ」
「あんな合法ロリがいるなんて知りませんでした。 私の学年で見かけませんからおそらく、先輩だと思われます」
「確かに、あの土岐 ナツメって言ってたかな? 俺と同じ学年らしいけど、今回もどうやら生徒会の差し金らしい」
「やっぱり、でも今回は前回とはずいぶん毛色が違う攻め方してきましたね」
「購買委員会って言ってたけど、購買委員会って購買で売り買いの手伝いだけじゃなくて、商品開発まで手掛けているって、この間聞いたけど、なんかヤバい薬もつくっていそうだね」
「そうですよね、私が倒した女生徒も自分の意識ってのがあまり感じとられませんでした。なんか、人形と闘っているような気がしてきたんですよね」
「人形ねぇ、今回はうまく逃げれたけど、いつまでも逃げてばかりじゃやっぱりダメなんだろうね」
「一気にこう、ガツンってやっちゃいますか?」
「いやいや、それ君だけしかできないから」
苦笑いを浮かべ、ストローに口をつけてアイスコーヒーを飲もうとしたが、一向にストローからはグラスが空になったときの音だけしか聞こえてこない。
「先輩ってそんなにすぐ飲み物飲んじゃう人なんですか?」
「うん? いや、普通だと思うけど」
しかし、俺のグラスは既に空になっており、残された氷の大きさが運ばれてきたときと、あまり変わらずにそこに残っていた。
「でも、走ったから喉が渇いていたからかな?」
「なんで自分で疑問形になるんですか」
「無意識にこんなに飲んでいたなんて、ちょっと信じられない」
「そうですか? 運ばれてきた瞬間に物凄い勢いで飲み干していましたよ」
それなのに、いまだに水分を喉が欲している。
脳裏にはチラチラとあのとき飲んだ、竜眼ジュースの味が蘇ってきて、思い出しただけでも唾液が溢れて口を潤した。
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