堕ちる太陽

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堕ちる太陽

 深紅の光の中で。  黒い少女は例によってパゴダ傘を広げ、ふわふわと屋上に舞い降りた。 「流石だね、紺野尊!」  楽しそうに。  実に楽しそうに、少女は傘をクルクルと回す。 「みんな血の気が多いからインターバルの意味が無くて困ってたんだ」 「どうでも良い。それよりも質問に答えて」  傘を閉じ、シャーリィは尊の瞳を真っ直ぐに見つめた。若干色素の薄くなった左目が印象的であり、魅力的でもある。 「アイツは……柊和也はどこにいる」 「柊和也は管制室と呼ばれる部屋にいるよ。私が用意したゲームを勝ち抜いて行けば自ずと会える」 「ゲーム?」  日が沈んでいく。 「そう。異能力者(コネクター)同士の殺し合い」  世界が黒に染まっていく。 「他に聞きたいことはー?」 「ない」  踵を返して屋上から去ろうとする。その時、何かが視界を横切ったような気がしたが、特に気には止めなかった。 「紺野尊!」  見えなくなっていく尊の後ろ姿。自分が知っている彼女は、果たしてあんなに弱々しかっただろうか。 「……ちゃんと、生き残ってよね」  自分に出来るのは舞台の『管理』だけ。あの時計塔に縛られたドールに過ぎない。  もしも、願いが1つ叶うなら。  彼女に幸せが訪れますように。  階段を降りて行く。  地上がとても遠く感じるのは、心が息苦しいからだろうか。 「ハハッ……」  息苦しい? 巫山戯たことを。  だってこんなに楽しいじゃないか。こんなにも心が躍っているというのに、息苦しい事なんかあるはずがない。 「アイツに、辿り着ける」  ようやく見つけた明確な『手段』に、笑みを溢さずにはいられなかった。 「随分楽しそうやねぇ」  真っ白な闇が、ここにはある。  踊り場に立つ1人の青年に、尊は右手を差し出した。 「さぁ、お前はどっちだ」  彼の肩がビクリと震えたのを、尊は見逃さなかった。 「なに、が……?」  踊り場に、黒い悪魔が降り立つ。 「どっちでも良いよ。だって、裏切ったら……」  すれ違う。何かがずれて行く。 「殺すだけだから」  憎しみに満ちたその声が。  あまりにも彼女らしくなくて。  まるで心臓を握られたかのようだった。  ……インターバルの終わりを告げる鐘が、世界を祝福していた。  記憶とは曖昧で不確かなものだ。  現にこうして、自分のものではない何かの記憶がここにはある。それは気味が悪く、同時になんだか懐かしかった。  右手に握った無機質な物質を確かめる。  あの日、有栖から受け取ったソレは1枚のSDカードだった。何かしらのデータは入っているようなのだが、中を閲覧することは出来ない。だがロックとは別の制御がかかっているようだ。 「ハッキング出来ないものなんて、無かったのに」  何の変哲もないメモリーチップに、まさかここまで手こずると思わなかった。  でも、中身なんて見ない方が良いのかもしれない。もしも、見たことによって決意が揺らいでしまったら……そんなこと、絶対にあってはいけない。  尊は触れた電子機器を自在に操作することが出来た。出力装置を使う必要はない。自分の脳がその端末の制御装置であると同時に、出力装置でもある。そういう感覚。  これが自分にしか出来ない事だという自覚はあったが、特別な力などとは微塵も思っていなかった。尊にとっては言葉を話すのと同程度のことでしか無い。 「月が、綺麗だ」  ふと見上げた夜空は、こんなに美しかっただろうか。そういえば、あの日も月が綺麗だなどと有栖に言った気がする。  静寂の中。誰かの足音が響く。それはだんだんと近付いて来てるようだった。 「ここにいたのか」  声の主は尊の隣に座った。まるで2人で寄り添い合うかのように。  それが亮平だということは、纏っている空気のようなもので分かる。何年経っても変わらない、優しい匂いがした。 「なんで付き纏うわけ?」 「そりゃあ……友達だからだろ?」 「ウザい……」  あんな酷いことを言ったのに、何故彼はこうして笑いながら隣に座っているのか。尊には到底理解出来なかった。 「インターバル、終わらせたんだな」 「何か問題でも?」 「いや……」  すっと立ち上がり、予想の斜め上を行く言葉を放つ。 「俺が尊を守らなきゃなぁって」 「く……あははっ」  真剣な顔で呟くその姿がなんだか可笑しくて、笑いが止まらなかった。 「な、なんだよ!?」 「ごめん、突然、王子様気取りだから……あははっ!」 「はっ!? 俺はいつだって尊の王子様だろ!?」 「何、言ってるの? ださっ……、笑い死ぬ……っ」 「酷くないか!?」  必死に呼吸を整え、なんとか笑いを奥にしまい込む。  ……とても久しぶりに笑ったような気がした。 「落ち着いた?」  目の前に差し出されたアイスティーの缶を、尊は素直に受け取った。 「良いの? 私はきっと極悪人だよ」  亮平は再び尊の隣に座った。  もっと中性的な人だと思っていたが、今の尊からはどこはかとなく女性らしさのようなものを感じる。 「極悪人と偽善者のコンビってのも、悪くないんじゃないの?」  缶を開ける音が夜風に響く。 「……変な女装野郎もいるけどね」  味方とは思ってないけど。そう呟きながら尊は缶に口を付ける。 「……やっぱり、味がしない」 「味がしない? コネクトの不調か?」 「コネクトってただの能力の別称じゃないの?」  青褪めた顔で絶句する亮平。なんだか無性に腹が立った。 「コネクトは心の象徴! 病は気からって言うだろ!」 「……なんか、こじ付けな気がする」  味のしない紅茶を、尊は一気に飲み干した。 「俺はお前の剣になる。そして盾に。エスコートさせてくれますか、お姫様?」 「……そういうの、ウザい」  他人の優しさに甘えてはいけない。決意が鈍ってしまう。そうと分かっているのに……。  心が、求めてしまった。  茶色い髪を風に揺らし、眼前に広がった水面をぼんやりと眺める。  シャーリィが用意した舞台は、遊戯と呼ぶにはあまりにも過酷で、試練と呼ぶにはあまりにも稚拙だった。 「降りないの?」 「今はまだ、な」  姿なき声に戸惑う素振りも見せず、淡々と言葉を返す。  彼がクスリと笑ったのが、空気の流れで伝わってきた。 「そういうお前は舞台に立たないのか?」 「役者って柄じゃ無いんだよね。残念ながら」  水面に、2つの影が映り込んでいる。 「でもまあ。彼女は殺しに来るんだろう」  どこか楽しげに、けれど諦観のこもった声で彼は呟く。  そう、殺しに来てくれなきゃ。殺した意味がない。
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