森本ユキノ

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「…すごいね…」 部屋を見渡して、ヒナコがつぶやいた。 「あはは。やっぱり?何だかイオリが張り切っちゃって。」 昨日、イオリと買い物をしていると。 『…ユキノ、明日…会いに行っていい?』 掛かって来た電話の向こう、ヒナコは今にも泣き出しそうな声だった。 「ごめんね…ユキノ、出産間近で大変なのに…」 ソファーに座ったヒナコは、暗い顔でクッションを抱きしめる。 イオリが張り切ってデコレーションしまくった部屋で、ヒナコは深い溜息を吐いて私に苦笑いさせた。 …似合わないなあ。 この部屋も、深い溜息も。 ヒナコには、どっちにも似合わない。 「それで?」 目の前にお茶を置くと、ヒナコは首を傾げてそれを眺めたまま。 「…私…おかしいの…」 覇気のない声で言った。 「…おかしい?」 よいしょ。と、ヒナコの斜向かいに座る。 ああ、早く産まれないかな。 このお腹、スッキリさせたい。 「…キヨシの事…考えるとイライラしちゃって…」 「うん…」 「それで…」 「……」 「…それで…」 「違う人の事考えてたら、旦那さんに優しく出来る…とか?」 ヒデオを仕向けたのは私だし。 もしかして、何か始まってないかなー。なんて思いつつ言葉を選ぶと。 「っ…なっ…なんで…分かるの?」 意外にも、ヒナコは真っ赤になって身を乗り出した。 「……誰か、いい人が現れたの?」 真顔の私に、ヒナコはハッと目を見開いた後。 肩をすぼめて小さくなりながら座り直した。 「…いい人…って言うか…優しい人が…私の事、誉めてくれて…」 「へえ…どんな風に?」 「…献身的だ…って…」 「うんうん。ヒナコは超献身的よ。」 いつだってそう。 交際中も、キヨシのためにオシャレも料理も勉強してた。 勝手に田舎に引き籠させられた今も、ほんっと…キヨシの言いな…あ、本当に献身的。 「それに…か…」 「か?」 「……」 ヒナコは真っ赤になって俯いて、両手で顔を隠した。 …えー… ヒデオ、まさか…手出したんじゃないでしょうね… そう思ってると。 「か…可愛いって…」 「は?」 「可愛いって…言われたの…」 「……」 28にもなって『可愛い』の一言で真っ赤になるヒナコ。 いや、うん… なんて可愛いの…!! 「その人の事、好きなの?」 相手がヒデオだと分かってるからこそ、堂々と問いかける。 優柔不断なヒデオが、ヒナコに手を出すなんて出来っこないし。 「すっ…好きだなんて!!」 「うふふ。ヒナコ、真っ赤よ?」 「も…もうっ…ユキノったら…からかわないで…」 真っ赤な頬を両手で押さえて、瞳を潤ませながら唇を尖らせるヒナコ。 うわー。 本当可愛いわ。 私が男なら、この場で押し倒してるわよ。 て言うか、久しぶりに見たなあ… ヒナコの元気な姿。 ヒデオ、いい仕事したわ。 「で?その人とは何かあったの?」 ヒナコが持って来てくれたお饅頭の箱を開ける。 このお店の白餡、美味しいのよね。 ヒナコ、わざわざ買いに行ってくれたのかな。 「な…何もない…けど…」 「けど?」 「…来週…お茶したいって言われて…」 「…へー…すごい。積極的な人。」 「…嬉しいって思ったけど、ダメ…だよね…?」 チラリと上目遣いで問いかけられた。 ダメだよね?と口では言いながら、その目は『いいんじゃない?』って答えを求めてる。 私は… 「うーん…旦那さんの事が大事なら、他の人とは進まない方がいいと思うの。」 ヒナコの目を見て、キッパリ。 すると、それまで期待に輝いていた目は、一気にそれを失った。 「…そう…だよね…私、結婚してるクセに、バカだね…」 「ああ、待って待って。でもね?」 「…?」 「ヒナコが、家庭を壊さないって自信があるなら、いいんじゃない?」 「……」 「だって、お茶でしょ?」 「う…うん…」 「お茶ぐらいなら、大丈夫でしょ。」 「…そう…なのかな…」 「私だってお茶ぐらいするわよ?」 「ほんとに?」 「ええ。先週は買い物の帰りに外回り中の野茂君に会って、冷たい物ごちそうしてもらったわ。」 そう。 同期の野茂君は、私をめぐってイオリとバトルを繰り広げた中の一人。 今は彼女がいるみたいだけど、私を好きだった男とお茶飲むのは、何かといい刺激になる。 間違いは起こさないけど、刺激は欲しいのよ。 「そうなんだ…」 ヒナコは心底ホッとしたような顔になった。 これは近い内にヒデオとお茶をするに違いない。 「ただし、もう一度言うけど…」 「家庭は壊さないわ。」 キッパリとそう言ったヒナコは、この部屋に入った時とは表情も別人みたいで。 それはそれで少し心配だけど。 「…うん。夫婦仲を上手く保つためにも、頑張って。」 私は、張り付いたような笑顔で、曖昧なエールをヒナコに送った。
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