松井ミユキ

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「…ダメだよ、ミユキちゃん。」 そう言って、私の口を右手で塞いだ夫の同僚、新庄キヨシ。 「……」 この手、早く除けて。 息苦しい。 「ミユキちゃんみたいに可愛い子に、キスの練習相手になって欲しいって言われたら…誰だってすぐOKするよ。」 優柔不断な夫、ヒデオは。 唯一、ベッドの上でだけ…優位に立つ。 負けず嫌いな私は、それが許せない。 何としても、ヒデオに勝ちたい。 キスだけでもとろけたような顔をさせたい。 そう思った私は、遊んでいそうな新庄キヨシに『キスの練習相手』を申し込んだ。 が… どうやらダメらしい。 この男なら、適任かも。なんて思ったのに。 路地裏に連れ込まれて。 来ると思った唇は来なかった。 それどころか、ガッツリ掌で塞がれるなんて。 「…キスが上手い旦那なんて、最高じゃん?悔しいとか言わず、もっと甘えてればいいんじゃないかな。」 は? キスが上手い…なんてもんじゃないのよ。 私なんて、負けたくない一心で我慢してるけど… もしかしたら、あのキスで死んでしまう女だっているかもしれない。 それぐらい上手いのよ。 あんたは何も知らないから。と心の中で毒気付きながらも。 繰り返される説教じみた説得にうんざりする。 でもまあ、なびかなかった…と思えば、意外とこの男って真面目なんだなって思えた。 それはそれで、少しホッとしてる自分がいる。 別にどうでもいいけど。 「はあ。」 やっと離れた手。 大げさに溜息を吐くと、キヨシさんはカッコつけて前髪をかきあげて。 「こういうの、他人で試しちゃダメだよ。」 「…はーい。」 唇を尖らせて、上目遣いに言ってみる。 キヨシさんは少し惜しそうな顔をして体を引くと。 「でも、嬉しかった。俺を相談相手に選んでくれて。じゃ、また。」 そう言ってオフィスに入って行った。 「……」 ヒデオも働いているそこを見上げて、私は溜息を吐いた。 キヨシさんにキスの練習相手を申し込んだのには…他にもわけがある。 ヒデオの財布に入ってたPinksのレシート。 夕べ、それを見てしまった私の中には、ヒデオを疑い気持ちが湧いて… 一睡もできなかった。 今日は一人でPinksに出向き、ケーキを買った。 これをヒデオじゃない誰かと食べたい気がしたからだ。 だって… ヒデオは私じゃない誰かと食べたはず。 だったら私だって。 モヤモヤを吹き払うためにも、そこで見付けたキヨシさんに声を掛けた。 キスの練習相手としても、ケーキを食べる相手としても…好都合だと思ったのに。 私の事、鼻の下を伸ばして見てたクセに。 男って見た目ほど軽くはないんだなー…と思った。 みんながみんな、そうじゃないとしても。 そうして私は。 「あれ。Pinksのケーキ…新作?」 「ええ。」 「へえ、今度俺も買おう。」 「…一人で食べるの?」 「まさか。会社で。いつもお茶を用意してくれる人達に。」 「…無駄に優しいわよね…」 「え?」 「ううん。何でもない。」 結局、ヒデオとケーキを食べた。 ヒデオはきっとケーキを買う。 お茶を用意してくれる女子社員達に。 だけど… 他の誰かのためにも、買うはずだ。 これは…間違いない。 女の勘よ。
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