382人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
「…ダメだよ、ミユキちゃん。」
そう言って、私の口を右手で塞いだ夫の同僚、新庄キヨシ。
「……」
この手、早く除けて。
息苦しい。
「ミユキちゃんみたいに可愛い子に、キスの練習相手になって欲しいって言われたら…誰だってすぐOKするよ。」
優柔不断な夫、ヒデオは。
唯一、ベッドの上でだけ…優位に立つ。
負けず嫌いな私は、それが許せない。
何としても、ヒデオに勝ちたい。
キスだけでもとろけたような顔をさせたい。
そう思った私は、遊んでいそうな新庄キヨシに『キスの練習相手』を申し込んだ。
が…
どうやらダメらしい。
この男なら、適任かも。なんて思ったのに。
路地裏に連れ込まれて。
来ると思った唇は来なかった。
それどころか、ガッツリ掌で塞がれるなんて。
「…キスが上手い旦那なんて、最高じゃん?悔しいとか言わず、もっと甘えてればいいんじゃないかな。」
は?
キスが上手い…なんてもんじゃないのよ。
私なんて、負けたくない一心で我慢してるけど…
もしかしたら、あのキスで死んでしまう女だっているかもしれない。
それぐらい上手いのよ。
あんたは何も知らないから。と心の中で毒気付きながらも。
繰り返される説教じみた説得にうんざりする。
でもまあ、なびかなかった…と思えば、意外とこの男って真面目なんだなって思えた。
それはそれで、少しホッとしてる自分がいる。
別にどうでもいいけど。
「はあ。」
やっと離れた手。
大げさに溜息を吐くと、キヨシさんはカッコつけて前髪をかきあげて。
「こういうの、他人で試しちゃダメだよ。」
「…はーい。」
唇を尖らせて、上目遣いに言ってみる。
キヨシさんは少し惜しそうな顔をして体を引くと。
「でも、嬉しかった。俺を相談相手に選んでくれて。じゃ、また。」
そう言ってオフィスに入って行った。
「……」
ヒデオも働いているそこを見上げて、私は溜息を吐いた。
キヨシさんにキスの練習相手を申し込んだのには…他にもわけがある。
ヒデオの財布に入ってたPinksのレシート。
夕べ、それを見てしまった私の中には、ヒデオを疑い気持ちが湧いて…
一睡もできなかった。
今日は一人でPinksに出向き、ケーキを買った。
これをヒデオじゃない誰かと食べたい気がしたからだ。
だって…
ヒデオは私じゃない誰かと食べたはず。
だったら私だって。
モヤモヤを吹き払うためにも、そこで見付けたキヨシさんに声を掛けた。
キスの練習相手としても、ケーキを食べる相手としても…好都合だと思ったのに。
私の事、鼻の下を伸ばして見てたクセに。
男って見た目ほど軽くはないんだなー…と思った。
みんながみんな、そうじゃないとしても。
そうして私は。
「あれ。Pinksのケーキ…新作?」
「ええ。」
「へえ、今度俺も買おう。」
「…一人で食べるの?」
「まさか。会社で。いつもお茶を用意してくれる人達に。」
「…無駄に優しいわよね…」
「え?」
「ううん。何でもない。」
結局、ヒデオとケーキを食べた。
ヒデオはきっとケーキを買う。
お茶を用意してくれる女子社員達に。
だけど…
他の誰かのためにも、買うはずだ。
これは…間違いない。
女の勘よ。
最初のコメントを投稿しよう!