新庄キヨシ

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新庄キヨシ

「……ユキノはいいな。」 背後で、ヒナコのつぶやきが聞こえた。 …ユキノはいいな? ユキノの何がいいんだ…? 眉間にしわを寄せながら、気付かないふりをした。 俺は新庄キヨシ、29歳。 妻のヒナコとは社内恋愛で、結婚して四年。 子供は…いない。 結婚して二年が過ぎた頃、ヒナコの様子がおかしくなった。 食欲がなくなり、夜も眠れない。 頭痛や眩暈にも悩まされたが、ヒナコは笑顔で仕事に行った。 しかし、家に帰ると電池が切れたように何も出来なくなる。 医者が言うには、ストレスによるもの…らしいが、ヒナコは断固として認めない。 そんなヒナコに、この古民家への引っ越しを提案した。 環境を変えるのが一番じゃないかと思ったからだ。 だが、ヒナコは引っ越しを拒んだ。 それならせめて休職して治療を。と言ったが、それさえも拒んだ。 ゲッソリとやつれた様子で、体調不良は一目瞭然だったのに、それをひた隠したまま出勤し続けた。 その間に、俺は引っ越しを強行し、ヒナコの上司とも相談して休職の段取りをした。 それでも、休職を勧める医者と懇願する俺を無視し、出勤し続けた結果…倒れたヒナコ。 運ばれた病院のベッドで、泣く泣く…休職する事を決意してくれた。 社宅は居心地良かったが、何とかヒナコを世間と切り離したかった。 しかし、孤独感を与えないように努力はしている。 我が家で飲み会をしたり、俺自身、早く帰宅するようにもなった。 飲み会の時のヒナコはイキイキとして動いてくれてるし、みんなからの評判も上々だ。 引っ越したのは少々強引だったかもしれないが、最近のヒナコの調子はいい。と、思う。 そろそろ…子供を望んでもいいだろうか。 兄貴達の所みたいに、たくさん子供が欲しい。 ここなら、子供が何人いようがのびのびと育てられる。 「……」 チラリとキッチンに目をやる。 まあ、二人分だから知れてるが、以前は片付けもまともに出来なかった。 それが、こっちに引っ越して来て完璧にやってくれる。 やはり間違いはなかった。 自分の決断に満足しながら、冷蔵庫に向かう。 ユキノがどうのこうの言ってたけど、ヒナコの独り言は今始まった事じゃない。 ビールのついでに、チーズを取り出そうとして… 「…ん?」 その奥に、見覚えのある箱。 「……」 一度キョロキョロとしてから、その箱を取り出す。 これは…女性社員達が噂してた、人気のケーキ屋だ。 俺も休憩の時におすそ分けを口にした。 見た目ほど甘くなくて、美味かった。 …どうして、これがうちに? 箱を開けると、小ぶりなケーキが二つ。 なぜか半分に切られている。 俺と食べようとしてた…わけじゃなさそうだ。 まさか…ヒナコ、一人で街に出てるのか? いや、まさか…な。 「……」 顎に手を当てて考えていると、ふと…普段ヒナコが作業台として使っているスペースの引き出しが目についた。 そこから、オレンジ色の見覚えある物がはみ出ていたからだ。 それは、あのバーベキューの時だった。 誰が用意したのか…笹と短冊が登場して。 みんなそれぞれ、願い事を書いて飾った。 引き出しからはみ出ている、それらしき物をそっと引っ張ってみる。 心なしかドキドキしてしまうのは…ヒナコの物を勝手にみてしまうという背徳感からだろうか。 『おたくの旦那、浮気してますよ』 ドクン 心臓が大きく打った。 これはアレだ。 大太鼓だ。 以前テレビで観た。 体力勝負の大太鼓。 迫力満点だ。 それが自分の体内で鳴らされているかのように、俺の心臓は踊った。 『おたくの旦那、浮気してますよ』 …おたくの旦那って… 俺か…!?
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