肩越しの雨音

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食事を終えて デザートのフルーツタルトを食べながら ウッチーが言っていた 『俺らは今まで色々あった』という話のひとつに 今回の件について、 ストールをダメにしてしまった後 酔いが回って眠り込んでしまった小嶋さんを 家まで送った夜の事を聞いた。 『俺はお前の事を、気まぐれでやさしくしていい女だと思ってない。俺の事を好きだと言うなら、そういう事もちゃんと見てろよ。お前に対して嘘をついているかどうかなんて……これだけ側にいればさ、もう分かるだろう』 帰りたくない、と言って 眠ってしまった彼女を 抱き締めたのに手出しをせず、 上司と男の狭間で揺れながら 自分の気持ちを口にする。 家まで運んで、無防備な寝姿を眺めつつ 冷えた水を飲み、頭と気持ちを冷やして 抱いたコートの下にある体の曲線と 清潔な色気に触発されそうな欲に支配されず 男の理性をギリギリ保って 家を後にしたという。 はぁ…これは鉄パンツ案件だわ。 初代·鉄パンツクイーンの私が言うのもアレだけど あの小嶋さんの容姿、 女神のようなプロポーションで抱きつかれて 甘え声で帰りたくないって言われて 帰ってきたウッチーってば、もう変態でしょ。 それに抗えるって、もう、場数踏みすぎ!! はー……悪い男だなぁ。 だからこそ、切なく思う。 こんなことを言われたら こんなことをされたら 女の子は追いかけちゃうに決まってるなぁ。 前からイイオトコで悪い男だけど ユウナと出会って、ウッチーは変わった。 人を大事にすることを迷わなくなったし 自分を大きく偽らなくなった。 だから、彼女から離れたときは また昔のように、どこか捨て身で 人を信じない彼に戻ってしまうのかと 私は内心、不安になっていたけれど 彼は彼女の打っていった 過去の扉を開ける楔を抜くことなく 一皮剥けて逞しくなった感じがした。 本当の“ いい男 ”になったんだ。 こんなことをわざわざ 私に言われたくないだろうし 私だって顔を見て言うのは照れくさいから 心の中で…思うだけにする。 「ねえ、ウッチー。いつかこのお店にさ、小嶋さんを連れてきてあげられたらいいね」 ブランデーとはちみつを足した 甘いホットレモネードを飲む私に 「……だね、近い未来にそういうのも悪くないな。ってかとりあえず近所仲間で飲むか?年明けてから週末あたり、新年会として。エリコもポンちゃんも呼んでさ。ここならどんなに酔っ払っても全員歩いて帰れるもんな」 そう言ってウッチーは 手の中にあるグラスをくるくる回しながら スマホを取り出し 画面をコツコツコツ、と操った。 エリコさんにメッセージを送ると すぐに返事が来て 『何よぉぉ! 今夜だって声かけてくれたら 私、行ったのに!!』 というおこおことしたスタンプが届いた。 それを見て二人で笑う。 「今夜…ジュリちゃんと話せてよかった。ようやく心が決まってスッキリしたよ。ありがとう」 「ううん。私も話してくれて嬉しかった」 えへへ、っと笑う私にウッチーは 「ずっと悲しませてたもんな……心配掛けてごめんね。」 やさしい声で言った。 『ありがとう』と『ごめんね』。 私を見て語る彼の本音、その数々の言葉は 時折、今は亡き人へも 向けられているように思える。 ウッチーと私が 兄妹に間違われる理由は 私に彼の…亡きお母様の面影がある事だけではなく 悲しみや苦しみへの向き合い方や 譲れないもの、許せないもの、 掴みたいもの…自分を差し替えても守りたいもの そういう心の描く模様とか思いの流れが 二人、似ているからではないかと コウは言った。 心の在り方が似ていることで、 言葉がなくても分かり合えるとしたら。 もしも昔の…傷付いていた私と同じように 雨に打たれているウッチーに 傘を差しかけてくれるひとが現れたら かつてウッチーが私を見守っていてくれたように 私も、静かに送り出してあげなくちゃ、と そう思っていることも …そう思っているけれど ほんのひとときでもいい…一人でいて 思い出を忘れないでほしいと願っていたことも きっと分かっているのだろう。 去っていった大切な人たちへ ごめんと謝りたい気持ちは 今はありがとうの感謝に変わっていることを いつか……遠くで見守る人たちに 伝えられたら、と思いながら 私はその思いごと、 今は胸にしまうことにした。 彼がその肩に背負ったものはたくさんある。 迷って、見つけて、失って……また探して。 そうやって今夜見つけた答えだって 彼をどこへ連れて行くのか、誰も分からない。 それでも………それでも。 彼がこれから歩いていく道が 今夜の笑顔のように もう一度、花であふれていくことを その肩に降る雨が 彼の彷徨った足跡を 凍えるような涙を やさしく隠してくれることを 私は静かに祈った。 【 肩越しの雨音 end. 】
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