ヘブンリーブルー [ Story of yuuna ]

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ヘブンリーブルー [ Story of yuuna ]

ある8月の猛暑。 ばかみたいに晴れ渡った空を見上げながら 遅延連絡のかかった中央線・吉祥寺駅のホームで 私はため息をついた。 しっかりしてよ、JR中央線。 電気系当の故障って、なんだかもう 定番化しつつあるじゃないの。 けれど、人身事故ではないことに まったくの他人ながら、どこか安堵しているのは 昔からの中央線ユーザーの ささやかな平和を思う気持ちだ。 ホームを通り抜ける熱風を身に受けながら 自分の斜め前に立つ乗客を静かに見やる。 若い男だ。 年齢は20代前半、学生といったところか。 白いポロシャツにベージュのチノパン。 真っ青な帆布のトートバッグを下げている。 彼は随分と代謝が良いらしく こまめにスポーツタオルで拭っている額には 絶え間なく大粒の汗が滲んでいた。 あまり汗をかかない私は 背中に一筋流れていった汗を 熱風で乾かしているところ。 その差について考えたくもないけれど 若さとか、細胞レベルの違いを思う。 そもそも私は母に似て 特に顔にはほとんど汗をかかないところから 人からよく『涼しげだ』といわれるけれど 元来の肌の白さや、顔の造形 ……特に、目の大きさや アーモンドアイのせいもあって 『暑さに怒ってるんでしょ』とか 『夏なのに雰囲気が暗い』などと 根拠のない、いちゃもんを向けられることもある。 いつだって他人は言いたいことを言う。 別にそれでも構わないと思っている。 とりとめのない思考を浮かべていると 目の前にいる若い男の様子がおかしいことに気がついた。 あわててトートバッグをあさる手に 血液が流れた跡がある。 怪我……? いや、これは鼻血だ。 片方の手で鼻をおさえている。 この暑さの中、電車を待つ間に 彼はのぼせてしまったらしい。 どうやらティッシュを探しているらしいけれど 見つからないのか、持っていないのか。 私は自分のバッグから 未開封のポケットティッシュを取り出すと 後ろから、彼に向かって 「あの、良かったら。これ使って」 トートバッグを提げた、彼の二の腕に つん、と触れさせた。 「あ、ああっ!!すびばてん……」 鼻を摘まんで、突然の流血をおさえている彼が それでも盛大な鼻声で返事をする様子に 私は小さく笑いながら ポケットティッシュのミシン目を破り 一枚取り出して、とにかくこれを、と 彼へ差し出す。 彼は申し訳なさそうにそれを受け取って 摘まんでいる手を外し、鼻の穴へ込めようとする。 「あ、詰めない方がいいよ。血管を刺激しないで、まずは鼻の穴をそっと押さえる感じで」 「は、はい……」 他人である私の指示に 意外と素直に応じるところから きっと育ちの良い子なのだろう、などと 余計なアナライズをかける。 「今日も暑いから。のぼせてしまいますよね」 私は声をかけながら バッグから汗拭きシートを取り出して これで手の血を拭いて、と差し出すと またしても素直に受け取った。 「何から何まで、ありがとうございます。おねーさんは医療関係者とか、学校の先生とかですか?冷静で処置が手早いですね」 鼻をおさえて、血を拭き取りながら 背後にいたアラフォー女に 『おねーさん』という機転が利く若者を見返す。 長身だ。180近い。 体躯はほっそりとしていて、 色素の薄い茶髪は地毛のように見える。 なつっこいのに頭の良い子だな。 何だか、誰かを思い出す。 「いいえ、両方ちがいますよ。」 さらりと答えながら 彼のトートバッグには柄があって 同じ色の糸で刺繍された 朝顔であることに気が付いた。 「……素敵なトートバッグだね。朝顔なんて、男の子なのに風情ある」 「あ、ありがとうございます!これ、自分で作ったんすよ!僕、デザイン系の専門行ってる学生で…」 「へえ。そうなんだ。良い色。ヘブンリーブルーってやつ?鼻血が付かなくてよかったね」 なんの気なしに自分の口から出た ヘブンリーブルーという言葉に 学生の彼は『え、そうです!色の事よく知ってますね!』と 心から感心するような声で答えた。 そして、血をきれいに拭き終える頃 遅れてやって来る電車の到着アナウンスが鳴る。 私とは行き先違いの電車に彼は乗り込むと ドア前に立って、何度もお辞儀をする。 私はそれを見送って、 次の電車を待ちながら ヘブンリーブルー……ある夏の日の朝顔を思い浮かべた。
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