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一
都立平ヶ丘高校国語科教員平原一は雨止みを待っていた。
早く止んでくれ。少しでも、早く、早くーーーー。
だが。
雨は止むどころか風を巻き込んでより一層仄暗い教室の窓に当たった。
ギィ、バタン、ギィ、ギィ、バタン、
やめてくれ。
平原はずり落ちた眼鏡をかけ直し白髪混じりの頭を二往復程掻いた。
恐らく雨は止まない。職員室で他の教員が深夜になるまでこの雨は止まないだろうとぼやいていたのを思い出す。
ざぁ、ざぁ、ざぁ、
ここは一階、玄関前の教室、雨の音が上の職員室より聞こえてくる。
ざぁ、ざぁ、ギィ、バタン、コン、コン、
やめろ、その音は二度とーーーー。
平原がもう一度髪に手を伸ばそうとした。
その刹那ーーーー。
「雨、止みそうにないですね」
不意に後ろで声がした。振り返ってみると制服姿の青年が立っている。見ない顔だ。
「そう、怖い顔しないでくださいよ。文学部、三年生の相葉です。相葉倒理あいばとうりーーーー」
ああ、平原は思い出した。あの静かな生徒か。
平原は毎年一年生の担当である。しかし進路指導科を務める柄もあって三年生の中には顔を知ってる者も少なからずいた。
彼はーーーー。相葉倒理はとても静かな生徒だった。平原の知る限り彼が進路相談に顔を出したのは一度だけでその時も進路相談に来たにも関わらず行きたい学科も言わずにただ平原の説明をうん、うん、と聞いているだけであった。
「もう下校時刻は過ぎてるだろう」
「少し用事がありまして延長届けは出しています」
そうか。
それだけ言って外を見た。相も変わらず、ずっと、雨が降ってーーーー。
いや、少しだけ止んだ。
先程よりも雨脚がいくらか遅くなったように見える。校庭の水たまりの律動が前よりもいくらか静かなように見えた。
行くなら今だ。今しかない。
「もうこの教室は閉めるから。用事があるなら早く済ませて帰りなさい」
「先生」
相葉倒理は平原をーーーー否、その先の窓を見ていた。
「雨、強いですね」
さあ、さあ、
沈黙が教室に滲んで行く。
さぁ、ざぁ、ざぁ、バタン、ギィ、
感触が蘇る。ぬるい。気持ちの悪い。
煩うるさい。黙れ。黙れ。
「そうだな」
平原は右手を頭に起き教室の外へ出た。それに合わせて相葉倒理も外へ出た。
「先生」
「何だ」
少し苛立ちの顔を浮かべる。早く、早く、してくれ。
「また進路相談やってもらってもいいですか?」
いつ。と聞く前に相葉倒理は不敵に、笑った。
「明日の放課後お願いします」
平原は黙って頷く。すると相葉倒理は普段そうするであろう邪気のない笑顔になった。
「ではまた明日ですね」
そう言って深くお辞儀をして廊下の奥へと消えていった。
その後ろ姿を見ながら平原はずっと髪を掻いていた。
否、掻き毟っていた。
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