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四
翌日の早朝、雨は止んでいた。
昨日の水たまりが嘘のように乾き端を流れる水が朝日を浴びて排水口に落ちていく。
「一体、これはどういうーーーー」
相川凛は開かれた排水溝に溜まった淀んだ血を見下ろしていた。
「昨日の内に通報があって遺体は回収されてしまったんでしょうね」
そう言って後ろから声をかけたのは言怪しの倒理だった。
「で、でもこんなことになるなんて」
「そいつは色々あってな」
倒理のさらに後ろから物書きの怜悧が姿を見せる。二人とも整った制服姿だった。
「此奴こいつーーーー。平原一は十年前に人を殺めてたんや」
倒理が続ける。
「きっかけは一人の女子生徒。名前は前田花子です」
前田花子、この怪の依頼人がその名前に反応した。
「平原は前田花子が生徒であると知っていながら近づき強引に肉体関係を持ってしまったのです。そんな時前田花子の異変に気付いたとある男子生徒と前田花子は付き合うことになり平原に別れることを要求した。それに納得できなかった平原は進路相談に来た前田花子が尿意を感じて女子トイレにいるところを子供ごとーーーー。」
殺した。凛はそう繋げる。倒理と怜悧は頷いた。
凛は自分で依頼しておきながら平原という男が恐ろしいと思った。
この男は懲りずにいや、その罪を背負いながら十年間も生きてきたのか。
そんなことが人間にできるのか。
「人は城なんや」
澄み切った綺麗な声が聞こえた。
そして凛の正面に白塗りの前田花子ーーーー否、それに扮した蜃気楼の藍が立っていた。
「人の心は閉ざせば堅固な城、その想いを封印すれば硬い牢、にもなりますゆえ」
「しかし気付こうと思えば気づけたはずや」
あの時ーーーー。屋上、雨の教室、進路相談室、そう幾らでも何処からでも。
怜悧は土を蹴った。僅かな砂が血泥水の上から降りかかる。
「それはきっと無理だよ」
倒理はじっと排水溝を見たままそう言った。
「彼はその感覚、温もり、謂わば殺しの感覚を好いてしまったんだ。その感情が彼女への愛なのだと思って、その全てが欲しくて、卒業までなんて待てなくて、ね。」
「倒理さんいつ頃から気付いてはったん」
藍の問いに応えるように倒理はポケットから小さな数珠を取り出した。
「最初ーーーー。平原に会った時彼は教室の中にいた」
「人殺し。いや、人外みたいな目だったよ。まるで雨が早く止んでくれなければこの愛の疼きを抑えられないと言っているようなその目を見て分かった。多分、己の身体では背負いきれない程の業を持った人間なんだって」
凛は息を飲んだ。
最初はただ少し変だと思っただけだった。授業中も外もやたらと自分にだけ気を入れる。
たまについてきているような素振りを見せることがある気がした。
もしかしたらーーーーそう思い依頼したのだ。そして凛は言われた通り怜悧の彼氏を装う演技をしただけ。
凛は振り返り倒理と怜悧の顔を見た。
「一体どういう仕掛けだったんですか?」
それはね、倒理が応える。
「最初から僕は十年前の前田花子と同じようにした。彼女が十年前そうしたように教室に行き、同じ風、同じ仕草、そして同じように進路相談をお願いした」
「ワイと凛さんの芝居も十年前と同じだったってことや。平原は十年前屋上で別れ話を持ちかけられたんやろうな」
じゃあ、進路相談の時の妙な平原の異変もーーーー。
「そうそこが一番の難点だった。まあ端的に言えば紙コップの水に一杯盛ったんだけどサ」
「彼がその水の中身をよく見れば何かが入っていることは気づけたはずなんだ。
だけど、その時の彼は正常じゃなかった。しかし今考えてみればそれはそうだろう。全てが十年前と全く同じような展開、景色、状況、だったからね。」
「こいつは前田花子を殺した後嬲って三階の窓から捨てたそうや。それでろくに調べもせず自殺と判断された。前田花子には親がいなかったからとやかくいう人もおらなんだ。
なんてェかちゃらんぽらんな話やけど。平原も結局は同じ死を選んだわけやな」
怜悧の説明に静かに頷いていた倒理は泥混じりの淀んだ血を掬った。
そして小さな瓶に泥水ごと血を入れた。
トイレにーーーー。
否、前田花子に引きずり込まれたのは平原の殺人の衝動と錯綜した愛。
それがずっとずっと彼の脳裏に刻まれていたのだろう。
赤いスカート。血で染まればあながちわからないでもない。
「さ、帰るカエルや」
それとな。凛さん。そう言って怜悧は一枚の小さな紙を取り出した。
平ヶ丘高校オカルト研究部。
筆文字でただそれだけが書いてある。
「また何か気になったことがあれば依頼してくれや」
「嬢ちゃん一年生やろう?かわええから今回はサービスやお金はとらんよて」
はんなりとした関西弁で藍は笑んだ。そして二人は排水溝に背を向けた。
しかし倒理だけが凛の方、その奥を見つめて右手を前に出した。
倒理の右手の数珠についていた鈴がしゃん、しゃん、と鳴る。
久しぶりに雲一つない今日が始まろうとしていた。
「ただの人というに、南無三南無三ーーーー。」
そう言って倒理は目を瞑ってしばらく祈ってから凛に尋ねた。
「さて、と。どうしますか凛さん私達はこれで引き上げます。真実を人に話すも話さないも
自由です。恐らく事が割れれば凛さんにも事尋きが行われるでしょう」
わかってますよーーーー。
凛は笑った。倒理がそうしたように。
いや、それよりも前に前田花子がそうしたように邪気のない、天真爛漫な、笑顔で。
「きっと魅入られたんです。だからトイレの花子さんの所為。それでいいでしょう?」
「そうですね。コン、コン、コン、花子さん出ておいでーーーーってね」
倒理はそう言うと背を向けて他の二人と同じく教室の方へと向かった。
ああ、それから、もし興味があるなら放課後進路相談室前で待っててください。
倒理は背中を向けたまま凛にそう言って、にこやかに笑った。
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