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無辜丸は刀を鞘ごと腰から抜くと、地面に置いた。菫をはじめとする四人の忍びたちは驚いた。ここまであっさり刀を差し出す者など、いないからだ。刀は武士の魂である。見るからに浪人だろうが、刀を他人に簡単に渡すことなど、考えられぬことだった。
「聞き分けが良くて助かる。これは貰っておこう」
一人の忍びがその刀の鞘に触れた瞬間、雷に打たれたように体を跳ねさせると、心の臓から引きずり出したような悲鳴を上げた。無辜丸はそれを確認すると刀を拾い上げた。
「その刀は人間には触れない。諦めろ」
忍びたちは無辜丸から距離を取ると、木の上で唖然としている菫に合図を仰いだ。
「やるしかない、行くよ!」
忍びたちは菫の号令で無辜丸に斬りかかった。が、刀を鞘に入れたまま三人の刀を弾くと、みぞおちに突き入れた。それを三回繰り返し、忍びたちは気を失った。超人的な身体能力を持つ彼らであったが、無辜丸の前に簡単に打ち倒された。菫は抜刀したまま震えた。普段の忍びの仕事なら、迷いもなく逃げる局面である。しかし――。こちらはこちらで事情がある。逃げられない、事情が。
菫は十字手裏剣を投げると、それを追うように走り、刀を薙いだ。手裏剣を投げることにより、少しの隙が生まれる。が、またも鞘で手裏剣と刀を弾かれると、みぞおちを蹴られた。
「くそ」
菫は朦朧とする意識の中で、無辜丸を見た。――強い。動きがこちらより数段速い。何者なんだ。
「終いじゃ。菫、お主らはここまでじゃったな」
山の上から男の声が聞こえ、すぐさまその声の主は現れた。杖を持った百姓の格好をしていたが、彼も忍びだろうと容易に理解出来た。
「あー、旅人さん、すみませんでしたね。よく生き残れたものだ。これ、賞金です。ここであったことはどうぞ、ご内密に」
顔の大きさほどの、かなり重い麻袋を渡された無辜丸は、そのまま去った。
「菫、約束通りこいつらは……」
「やめて! お願い!」
菫の悲痛な叫びが、山中にこだました。
「馬鹿野郎、忍びが情を持ってどうする。このガキらは所詮下人。死んだところでなんにもならんよ」
百姓姿の忍びは杖を捻ると、カチッと何か外れた音がし、杖から刀身が現れた。仕込み杖である。これから、何が行われるか。……誰でもわかるであろう。
「やめてくれ、お願いだ!」
音もなく、下人たちの首が跳ねとんだ。忍びは道具である。使えなければ殺すだけ。それが忍びの考えであった。
「菫、やはりお主はまだ師にはなれぬ。お前はこれまで通り、与えられた役目を果たせ。死体は隠しておけよ」
百姓の格好をした忍びは、一瞬で去っていった。菫は力なく立ち上がると、飛んだ頭を拾い、抱いて泣き崩れた。後ろから人の気配がして、振り向くと、先程の少年がなんの感情も読み取れぬ目をして、涙を流している菫を見ていた。
「なんだい。情ならかけるな。これは、私の問題だ」
「聞かせて欲しい」
菫は少年を見上げた。
「ここまで見せられて、はいそうですかって去れないよ」
二人で死体を埋め終わると、菫は口を開いた。
「私たちは忍び。雇い主の依頼通りの仕事をして、銭を稼ぐのが生業。私は自慢じゃないけど衆の中でも腕利きでね、下人の一部隊の筆頭を任せられているんだ。その腕を見込まれて、師範代としてこの三人を任せられたんだけど……」
菫は一瞬言葉につまり、咳払いをした。
「障害を持っているの。この子たち。一人は目が見えなくて、一人は耳が聞こえなくて、一人は片腕がないの。忍びにはなれない。絶対に。でも、忍びとして使えなければ、ゴミとして殺される。その方が飯代が浮くと言って」
菫は再び泣き出した。
「私が小さい頃に生まれて、一緒に育ってきた。障害がある時点で殺されることは確定していた。でも、この子たちも人間なんだから、いっぱしの忍びにはなれると本気で思って、幼い頃から死にかけながら訓練してきて、ようやく動けるようになってきたの。今日がその試験だった。本来はもっと違うものだったのだけど、いきなりあなたを襲え、と。いやらしいわよね。剣士の実力なんて一目見ればわかるわ。私たちがあなたに敵わないことくらい、わかっていた……。でも……」
言葉が詰まると、その代わりに涙が溢れる。弟のような存在を、一緒に鍛錬してきた仲間を、簡単に殺されたのだ。
「じゃが、忍びは群体。個人はあまり優先されず、邪魔者であれば簡単に殺すと聞いたことがあるが……お主は違うようじゃな」
菫は頷いた。
「ええ……異端児よ。私は仲間に情を持ってしまった。忍び失格ね……」
「それで、お主これからどうするのじゃ。忍びとして活動するのか?」
「ええ。私は里に戻る。またどこかで会いましょう。じゃあね」
菫はそう言って瞬く間に去っていった。無辜丸はどうにも引っかかって、後を追った。
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