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第二章 江戸へ
「無辜丸、江戸に行ってみない?」
無辜丸は少しばかりの沈黙の後、「江戸?」と首を傾げた。
「江戸だよ。日本の中心。私行ったことないんだよね」
菫は目を輝かせながら無辜丸を見つめた。無辜丸は勢いに乗せられ、頷くしかなかった。どうせあてのない旅だ。
「ここから江戸だったらね、一日中歩いて二日かな」
「結構近いんだな」
「そのかわり、休まず歩くけどね」
驚くことに、江戸時代の旅人は現代では考えられぬ量を歩く。一日で十里(約四十キロ)歩いたという記録もあり、いかに現代が便利なのかわかる。
無辜丸と菫はできるだけ町伝いに江戸を目指した。一日中歩き、江戸へ真っ直ぐ進んでいったが、途中、山道を通らなくてはならないようだった。
「出そうだな」
「お化けみたいに言わないでよ」
その頃は夕暮れになっていたため、いったん宿に泊まることにした。菫は少しばかりの不安を抱いていた。自分の居場所があちらに見えていても、おかしくはない。忍びをやめる時は死ぬ時――。加地衆のみならず、忍者の世界全体がそのような風潮だった。
「大丈夫。無辜丸もいるし、そうとも限らない。大丈夫大丈夫」
菫は心を落ち着かせながら、布団を頭に被った。
山道に足を踏み入れた時、ただならぬ予感がして一瞬体を固めた。やはり、来ているのか。
「どうした」
無辜丸が相変わらずの無表情で菫に抑揚なく訊いてくる。菫は口角を強引に上げると、「何でもないよ。それより、ほら、急ごう」と無辜丸の背中を叩いた。
季節は秋に差し掛かっており、山は燃えるように赤く、所々に混ざっている緑や黄色がさらに山に彩りを与えていた。あいにく二人は山の中なのでその姿を見ながら登山は出来ないが、頭上や零れ落ちてくる陽の光が、どの季節にもない優雅さで、思わず上を向いて歩いてしまっていた。
「綺麗だなー。もうそんな季節か。無辜丸、これを紅葉って言ってね。モミジとかヤマボウシとかが赤くなったり、イチョウなんかが黄色くなることだよ。もう少しで冬か……」
「へえ」
菫は無辜丸の方を見ると、目を輝かせながら紅葉を見ていた。初めて紅葉を見る子供のように感動していて、なんだか菫も嬉しくなって微笑んだ。
と、後頭部に冷たい気配を感じ、とっさに身を横に投げた。菫には馴染み深い、棒手裏剣である。
「無辜丸! 気をつけて」
その言葉を聞く前に無辜丸は抜刀していた。なんの仕業かは、想像に容易い。
「忍び。ここで来るか。夜に来るかと思ったんだけど」
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