壱ノ夢

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壱ノ夢

こそに火柱を見た。紅く立ち上る炎は黒い人影の形を軸に轟々とひたすらに燃え盛っていた。 それはある夏の夜の事だった。 夜中に目が覚めて再び眠りにつくには、あまりにも寝苦しい夜。 太郎はふとした思いつきで散歩に出掛けることにした。 夜の住宅地。しかも時刻は丑三つ時を回っている。 歩いている人の気配などなく、遠くで犬の遠吠えが響く。 外に出れば風も吹く。身体に溜まる鬱屈した熱を冷ましながら、彼はひたすら歩いた。アスファルトの大地が裸足に履いた靴に固い。 ざり、とした踏み出す音がやけに大きく響くのを聞きながら、灯りのともらない家々を眺めて歩いた。 いつしか住宅街を外れ、河川敷に出た。 そこで目にしたのが………火柱だった。 燃え盛る赤い炎。 夢を見ているのだ、と彼は自分に言い聞かせた。 自分は散歩になど行かず、そもそも目覚める事などなかった。ずっと眠り続けている。そしてこんな酷い夢を見ている最中なのだ、と。 (夢にしてはリアルだな) こんなに遠くにいるのに空気を通し伝わってくる熱と光。己の鼓膜を震わせるこの轟々とした音はなんなのだろう、とぼんやり夢に浸った。 「!!」 火柱が先程より大きくなった。どんどん大きくなっている。 (いや、違う) 近付いて来ているのだ。赤い炎とその中心の黒い人影が鮮明に映るまで、ソレは足早にこちらへ歩いて来ている。 (熱いな) 黒い人影は大きく手を広げて近付いてくる。めらめらと纏う火はまるで赤と朱の衣のようだ、と太郎は思った。 (やはりこれは夢だ) そう確信したのはすぐ目の前に火柱が立ち塞がった時。 確かに熱いし眩しいが彼の髪や肌、服の一部ですら燃え上がる事はなかったのがその理由だった。 『手』を伸ばしてきた。 指の先まで炎に包まれ、やはり黒い影にしか見えない。 太郎は迷わず自らの手を差し伸べた。 何故そうしたか。彼自身もよく分からない。ただこの手を取りたい、それだけだったのだろう。 「!!」 その一瞬大きな風が河川敷に吹き渡り、火柱を吹き飛ばした。 例えて言うならば蝋燭の炎を吹いて消してしまうように、先程まで赤々と燃えて聳えていた炎は刹那にして消滅してしまったのだ。 残されたのは、一人の少年。背格好や年は太郎と同じ頃か。 華奢な体躯のその少年の髪は燃えるように赤毛であった。 太郎に手を取られたまま、少年は髪と同じく紅い瞳を細めて笑うのだった。 「………綺麗だ」 彼が極めて素直にそう口に出していた。なんの意図も思惑もない。ただ言葉が口から零れた。 少年はその瞬間、驚いた顔をしてまたすぐに微笑んだ。 「君も……なんて良い男なんだ」 揶揄うような声色で紡がれた言葉を、何処か遠くで聞きながら太郎の意識は徐々に薄れて落ちていくのだった。
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