エインヘリャルは傘を差すか?

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 ふと志津香は、持っていた原稿用紙を折り畳み、ジャケットの胸ポケットにしまった。そして目線を前に向け、目の前にいる出席者を眺めるように再び話し始めた。  「……ですが、去年末の茨城の一件が起きる数週間前、兄は戦闘機パイロットを引退する考えを私に明かしていました」  隊長がパイロットを辞める?――志津香の思いもよらない言葉に、飛菜美は驚きを隠せなかった。多村は38歳で戦闘機パイロットとしては高齢だったが、知力や体力など戦闘機パイロットとしてのスキルは20代後半の面々に匹敵していたからだ。かつての殉職した仲間達も、40歳を超えても現場で戦闘機パイロットを続けるだろうと皆が思っていた。  「……私にその事を伝えた頃には軍の上層部にもその意思を伝えていたらしく、ほぼ同時期に戦力軍に所属する同期入隊の友人から戦闘機パイロット教育課程の教官としてオファーされ、兄はそれを快諾しました……ですが、教官への着任を控えた2018年12月16日の午前、突如として茨城の一件が起きました……」  タイミングを見計らったかの如くポツポツと雨粒が上空から落ち、サーサーと音を立てて白いテントを叩く緩やかな雨へと変化していった。  「……その当時、私は名古屋の実家にいました。しかしながら、テレビで報道される茨城での深刻度を増す惨状を見て居ても立っても居られず、家を飛び出して車で関東の方へ向かいました……千葉県内の病院で再会した兄は、呼吸が浅く、心拍が低下し、意識朦朧の状態で、全身が赤い血で濡れた包帯に包まれていました……」  隊長は墜落後も、少しの間だけ生きていたのか?――飛菜美はその事実を知らず、その驚きからかじっと志津香を見つめ続けた。
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