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家に帰ってから、あのお坊さんのことを詳しく調べてみた。あのお坊さんは、托鉢僧というらしい。雲水衣に網代笠を被り草鞋をはいて、手には頭鉢と鈴を持っている…なるほど、写真と照らし合わせるとあのお坊さんの服装と確かに一致する。何でも、禅宗のお坊さんは、修行の一貫で托鉢をするらしい。目的は、生活の糧を集めること、そしてお布施をする人に徳を積ませることで自分も徳を積むのだとか。そっか…じゃあ、私も何か徳を積めただろうか。だったら嬉しいな。やっと貰えた少ないお給料やお給料に反して多すぎる残業も、これも徳を積むための修行なのかもしれない。最近職場で増えた、誰も触ってないのに物がいきなり床に落ちたり、誰もいない会議室から物音がしたりする不気味な事件も何かの試練なのかも。少なくとも、来るかわからないお布施をくれる人を待って大雨の中に立っているよりは恵まれてるだろうし。よし、頑張らないと。肩がよく凝るし、体が重いし、よくわからない悪寒がするし、変な耳鳴りが聞こえるけど多分気のせいだ! 今日は雨こそ降らなかったけど、いいお天気とは言い難い日だった。ずっと空が鉛色の雲に覆われて、太陽は少しも顔を見せなかった。ま、時期が時期だから仕方ないか。それに、日焼けしにくいと考えればいいはずだ。夜になった今でも、星空は見えず相変わらず雲ばかり。石橋に着くと、車や人通りは先日と違い雨じゃないせいか疎らだった。川の流れも緩やかになり、辺りは静かだ。少し湿った弱い風と、濡れた土と草の臭いを感じながらまた家を目指して橋を渡る。 すると、また中間地点にあのお坊さんが立っていた。眼鏡は曇ってないし、はっきり見える。今日はずぶ濡れじゃない様子に、何となく安心した。…でも、暑そうかも。今はただでさえ空気がムシムシしているし。 「こんにちは、今日は蒸し暑いですよね。」 近づいてそう挨拶すると、彼がこちらを向いた。そして、軽く会釈してきた。顔は相変わらずわからないし、何も話してくれないけど。昨日とは違ったはっきりした反応に、何となくちょっと照れ臭くて、えへへと笑って誤魔化す。 「えっと、よければどうぞ。」 私は、またなけなしの小銭をお布施した。蒸し暑い中、その着物で頑張っているお坊さんの徳になるように。私は自己満足を終えると、ではこれで…と橋の向こうへ足を向ける。…が、その前に彼が待ったと言わんばかりに手を伸ばした仕草をする。 「?」 何だ何だと私がお坊さんを見ると、彼が徐に鞄を下ろして中から何かを掴み、そのまま拳を私の目の前に差し出した。…これを渡したいのだろうか。私は戸惑いつつも、掌を出すと彼がその上に何かを乗せる。見ると…鈴のようだ。金色で、小さくて、紅白の紐が結びつけてある。恐る恐る彼の様子を窺うと、彼は静かに頷いた。 「あ、ありがとうございます…!」 多分、もらっていいってことだよね?私は鈴を受けとると、一先ず鞄にしまった。それを見届けたお坊さんは、会釈をしてチリンと鈴を鳴らすと昨日と同じように車道の方に向き直った。私も軽く頭を下げると、橋の向こうへ歩き出した。無くすと嫌だから、鈴は家に着いてから鞄につけよう。
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