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鈴を鞄につけて、もう一度お坊さんのことを調べてみた。どうやら、托鉢はお坊さんが通行者からお布施をもらうだけではなく、お坊さんのほうからお礼の品を渡すことがあるようだ。なるほど、だからあのときはくれたのか。どういうものになるかはお坊さん次第らしいけど。でも、少なくともこの鈴はもしかしたらいいものじゃないかと思う。この鈴を身につけてから、何だか頭が冴え渡って、肩こりや耳鳴り、体の重さや悪寒が嘘みたいにすっかりなくなったし、職場の不気味な現象もピタリと止んだのだから。鈴がチリチリ鳴るたび、よくない空気のようなものが離れていっている気がした。…気がするだけかもだけど。正直、もうすぐある親戚の集まりや職場の宴会、そして毅さんとの食事会を前にこんな調子でどうしようかと思ってたけど、これもあの鈴のおかげだ。親戚たちは家庭の遺産や家族問題に関して私を頼りにしているし、職場の上司や先輩はギャグへの私のリアクションを期待しているからしっかりしないと。あ、でも食事会は楽しみたいな。婚約者の毅さんはとても優しくて面白くていい人だから。もう、時が来ればすぐ結婚してもいいのかもしれない…多分。 鈴に勇気をもらって、気合いを入れつつ、今日も帰路である橋を歩いていく。今日は土砂降りではないけど、霧雨がしとしとと降っていた。すぐにずぶ濡れにはならないけど、空色の傘で水滴が上から纏わりつくのを防ぐ。一昨日は突然降りだして、コンビニでいまいち頼りない傘を慌てて買ってしまったけど、今回は事前にバッチリ対策したのだ。そして予備の折り畳み傘もある。人は学習するのである。夜だけど、靄みたいに周りが白い。人や車は行き交っているけど、視界が悪いせいか疎らだ。眼鏡が曇らないように、コンタクトにするべきだったかな…まあ、いっか、今更だ。 今日も橋の中間にあの托鉢僧さんがいた。気持ち的に足がささっと速くなって、もうすぐ目の前まで近づく。チリチリと鞄の鈴が、私の歩調に合わせて鳴った。 「こんにちは、今日も雨の中お疲れ様です。」 私が挨拶をすると、もう慣れた様子で振り向きペコリと頭を軽く下げてくれた。リンと鳴らした鈴が、どこか機嫌が良さそうに聴こえる。チリと私も返事をするように、鞄の鈴を鳴らした。もう顔がわからないのも、喋ってくれないのもこの際気にしない。だって、コミュニケーションは取れているのだから。 「昨日は鈴をありがとうございました。よければ傘を…」 そう言いながら鞄を探ったが、また待ったと言いたげに掌を出された。 「…そうですか。そうですよね、修行なのに邪魔しちゃ駄目ですよね。」 …本当は持ってきた折り畳み傘を渡そうかと思ったけど、確かに修行なら苦行の末お布施をいただいた方が意味があるのかもしれない。よく見たら、今日はそんなに濡れてるわけでもなさそうだし、余計なお世話だったかもしれないな…反省。そう言うと、お坊さんは納得したように手を下ろした。 「では、代わりにこれを。」 今度は財布を取り出して、また僅かな小銭をお布施した。お坊さんは有り難そうに会釈すると、昨日と同じようにまた鞄から何かを差し出した。うーん、鈴のお礼の気持ちでお布施したのに、またお礼をもらっちゃうなんてなあ…まあ、いいや。 「またいただいてしまって…ありがとうございます。」 もらったものを確認すると、今度はお守りだった。鋏?の模様なのかな。兎に角、この模様の刺繍がされた白い綺麗な布と、赤い飾り紐でできている。これも、昨日の鈴と同じく何かのご利益があるものだろうか。ワクワクするなあ。昨日と全く同じで、お坊さんは会釈をするとチリンと鈴を鳴らして車道に向き直った。そして私も軽く頭を下げる。またね、という挨拶だ。私は連日の残業明けにも関わらず、意気揚々と立ち去った。
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