ⅩⅨ

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ⅩⅨ

教会には保護者の他に近所の人々も集まり、椅子に掛けて子供聖歌隊の合唱に耳を傾けていた。 「俺んちキリスト教じゃねーのにここにいていいのか?」 「僕たち全員そうでしょ。あんまり関係ないっぽいよ」 「すげー、ほんとに聖書持ってる人とかいるぞ」 「はじめて見たな、こういうの」 「…あれがキリストの親父か。意外にふつうのジジイだな。もっとジェームスブラウンみたいなのを想像してたぞ」 「それは映画の話でしょ」 「…サラよくついてけるね」 冬休みを目前に控えた7人は、ハルヒコからパーティーのことを聞いた天音の「ご馳走が食べられる」という誘いによって、ボランティア兼ゲストとして隣町の教会を訪れていた。飾り付けは午前中に終わっており、彼らが担うのは子供たちの遊び相手と食事の支度の手伝い、そしてパーティー後の片付けである。 賛美歌の途中でおそるおそる扉を開けると、飯田の父である牧師は悠然と手招きをし、青年たちを空いている席へと促してくれた。天音はなぜ教会の人間と知り合いなのか問われたが、「悪魔祓いの相談に行ったから」と冗談半分で答えると、あの一連のトラブルがあったせいか、皆は悪魔に対しては半信半疑ながらもすんなりと納得した。「で、悪魔はやっつけたのか?」と耀介に聞かれたので、「結局悪魔のせいじゃなかったけど頭は治った」と笑い、また発病するのではないかとヒヤヒヤしていた皆をようやく少しは安心させることができた。 あれほどの災難に見舞われたにもかかわらず、過ぎ去ってしまえばやはり神も仏も悪魔も空想上の存在である。すぐに災難を忘れ油断することが人間の愚かしい部分でもあるが、いつも悪魔や災いを恐れているようでもダメだと飯田は言っていた。要はポジティブに清く正しく生きることが、悪魔を呼び寄せないための最善策なのだ。 礼拝はいつもどおりに行われ、聖書の朗読と牧師による説教、主の祈りを経て、西陽の差すころに教会を出ると、青年たちは保育園や近所の子供たちを集め、晩餐まで遊ぶことにした。運動部組と天音は体育館でバスケの相手をしてやり、サラと珠希は絵本を読み聞かせたりカードやテーブルゲームを教えたりした。 ハルヒコはそのどちらにも交わらず、ひとり礼拝堂でぼんやりと十字架を眺めていた。しばらくは先週のことを思い起こしていたが、やがてずっと過去のことにも思いを巡らせ、そして柄にもなく未来のことまで考えたりした。 先週の日曜、新居を訪れた飯田の父に一連の騒動についていろいろと話も聞かれたが、悪しき気配が忽然と消え急な収束を迎えたことには、彼も首を傾げていた。彼は悪魔は実在するものと捉えているが、ハルヒコはそれを「現実に漏れ出た悪夢」として自分なりの決着をつけている。天音が芳賀と関係を持ったことも悪夢の一環であり、もっと言えば兄があのようなことになったのも、ろくでもない親のもとに生まれたことも、たびたび訪れた災難はすべてそれのせいで、もはやほとんど共存してきたとも言えるかもしれない。 その悪夢も、とうとう自分の脳内から去ったのだろうか。あの土曜からずっと考えている。 しかしもし本当に取り払われたのだとしても、同時に何か大事なものも一緒に奪われてしまったような気がして、その引っかかりがいやに胸をざわめかせてならないのだ。まるで荒野に垂れ込めた曇天のごとく、重く淀んですっきりしない気分だ。 ー「みんなのところに行かないのかい」 背後から声をかけられ、ハルヒコは振り向かずに「今はいい」とだけ返した。スーツの上に白い祭服を羽織り、十字架が縫われた緑色のストールを掛けた、いかにもな聖職者の姿をした牧師…飯田の父が、そっとハルヒコのとなりに腰掛ける。 「今ちょうど相談の時間が終わったところだ。君ももし悩んでいることがあれば、なんでも聞こう」 「別にない。俺は何も悩んじゃいない」 「それはけっこう。…あれからどうだった。学校生活は楽しんでいるかい」 「そんなもの一度も楽しんだことはない。…だが楽しさを求めてもない」 「聞くところによると、星崎くんと君は少し遅れて入学したようだね。…息子も似たようなものだった。高校は辞めて認定試験だけ受けたが、今の会社に勤めるまではずいぶん苦労したようだ。しかしすっかりあるべき軌道に戻ったように、今は仕事も順調で穏やかな日々を過ごしているよ。…君たちだって立派だ。順当に再生への道を歩んでいる」 「アイツはそうだろうが俺は別に順当な人生などにこだわってない。単に育てのジジイの方針でここに来ただけだ」 「なるほど。…君を生んだご家族は?」 「親はいないも同然だ。生きてはいるが今後二度と顔を合わせることはないだろう。なぜならその必要がないからだ」 「そうか。…では兄弟はいるかい」 「兄貴がいる。疎遠だったが夏に久しぶりにツラを拝んだ。…先月も会った」 「お兄さんとは良好というわけだね。それならいい。人を愛する心を失わずにいられる」 「なあ、俺は悪魔を信じちゃいないが、人知を超えたものの存在はほんの少しだけなら信じている」 「人知など取るに足らないことだ。目に見えぬものはいくらでも存在しているだろう。悪魔以外にも無数に存在する」 「…俺はずっと悪い夢にさいなまれ振り回され続けてきた。あの悪魔騒動も俺に降りかかる災難も、すべて悪夢の産物だと思っている。…それで、こないだはアンタに話さなかったが、その悪夢をきれいに取り払った何かがいるような気がしてならんのだ」 「君を守る精霊の類いかもしれない、ということだね」 「…さすが日々オカルトに触れているだけあるな。理解が早い」 「この手の相談は連日ある」 「なるほど…。しょーじきあんたは化け物が見えるのか?」 「いや。不自然な現象を目の当たりにすることはときどきあるが、実体を見たことはない。せいぜい気配を感じる程度だが、それも気のせいということがほとんどかもしれない。息子も同じくらいだろうな」 「…あんたら親子に確実な能力があったなら、今もあいつがいるかどうか確認してもらいたかった」 「あいつ?」 「梅雨ごろにな…俺には妙な出会いがあったんだ」 ハルヒコはこのとき初めて、暗闇のトンネルでのことを牧師に打ち明けることで、「少年について」の答えを導き出そうとした。あの夜から先週に至るまで、半年ほど自分のそばにいたであろう謎の少年、白丸。姿を見たことはほとんどないが、団地の駐車場で見たあの姿は鮮明に覚えている。まるで発光しているかのように真っ白だったせいかもしれない。彼はそれからたびたび夢の中に現れるようになり、自分は夢と現実の世界で彼の存在を認識するようになった。サイキックのような能力者なのか、あるいは… しかし彼のいぶきは、ある悪夢と共に途絶えて消え去った。いつもそばにいたあの感覚はきれいに無くなり、まるで初めから存在していなかったかのように、だんだんと彼への意識も薄れていく。このままでは忘れ去ってしまいそうだ。…彼はいったい、どこへ行ってしまったのだろう。彼はどこからやってきて、どこへ行こうとしていたのだろう。大事なことを何も知らぬままなのに、結ばれていたものが悪夢の中で断ち切れてしまったように感じた。
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