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エピローグ
中央自然公園にはたくさんの植物が生い茂っている。その姿は季節ごとに大きく変化し、やってくる人々を飽きさせない。けれどその景色は、あの出会いから六年たった今でもちっとも変わらない。一見矛盾しているようでしていないのが面白いところである。
矛盾しているようでしていないといえば、あの頃の彼女の態度も該当する。僕が閲覧室で陳謝した後、「あの時私が吹っ飛ばした奥歯と今回の土下座でチャラにしてあげる」と晴れて僕を許してくれ、意外とあっさりしてるのかと思いきや手が触れたり僕の視線に気がついたりすると「気持ち悪いわこの変態!」と罵倒してきた。プレゼンが成功した時には喜んでハイタッチしたりその後打ち上げと称して二人でファミレスに行ったりしたのに、僕から休日にどこかへ行こうと誘うと「は?」と白い目で見られた。他にも、服を褒めたらどんなところを見てるのよと引くくせに褒めなかったら拗ねて僕の脇腹に強烈な一撃をかまして来たり。夏休みに、ネットで評判の恋愛映画を見ようと誘ったら嫌だと一蹴したくせに他を当たると言ったら連れていきなさいよと腕を掴んだり。挙げ始めたらきりがない。
極めつけは彼女に告白をしたときだった。それは、秋分の日も過ぎて残暑もなくなった頃のこと。例の教養科目が終わった後も僕らは何だかんだ付き合いがあり、積極的に遊びや食事に誘った成果もあってか良い友達といえる仲にまで進展していた。生憎彼女の口の悪さと凶暴さは健在だったが。あの頃の僕は本当に良く頑張ったと思う。過去の自分を手放しに褒め称えたい。
ここまで来れたならもう大丈夫だろう、そろそろ勝負に出る時だと僕はいつになく意気込んでいた。そして一か月半掛けて計画を立て、実行する日も悩みぬいた末に一番いい日を決めた。忘れもしない、大学一年の十一月二十二日。「いい夫婦の日」である。この日はちょうど二人とも全休で、日付も合わさって想いを伝えるには最適だと思った。昼過ぎに大学の最寄り駅に集合し、今僕がいる場所――中央自然公園に向かった。同じ市内と言えどもそれなりに距離はあり、また駅から離れているということもあって到着したのは二時ごろ。園内の小さなレストランで軽食を取った後は他愛無い話をしながら広大な敷地を散策し、見晴らしが良くてフォトスポットとして人気の丘に向かった。そして、夕景をバックに告白した。彼女は顔だけでなく耳まで赤らめて、けどそれを誤魔化すように顔をしかめながら小さく頷いた。だが、舞い上がった僕が抱き着いた途端、彼女の過去最高火力の蹴りが僕の急所を突いた。僕は意識を手放した。視界が暗転するその瞬間「好きなのに蹴り入れないでしょ普通……」と悲しくなっていたのは言うまでもない。けれど同時に、彼女を僕一人だけのものにできるという幸福感も噛み締めていた。今はもう味わうことのできないそれは、とても甘い味がした。
あの出来事以降、彼女はかなり極端なツンデレなのだと解釈した。普段は恥ずかしがって素を出さないで、けど気を許した者の前ではふとした瞬間に可愛らしい素の姿を見せるのだ。その事実にたどり着いたとき、愛おしすぎて僕は一晩中悶えていた。 付き合う前も、付き合い始めた後も、彼女はたくさんの掛け替えのないものを僕にくれた。僕が一生かかっても返しきれないくらいに色々なことをしてくれた。
彼女の様々な姿も見た。彼女は僕以外と付き合ったことが無いゆえに、僕しか見得ない表情も数え切れないくらい見た。中でも一番のお気に入りは、やはり告白した時に見せてくれたあの表情だ。とても可愛らしかった。
失敗だらけの不格好なお弁当。照れているのを誤魔化しているしかめっ面。彼女は僕だけのものであるという優越感。これらは全てもう手の届かないところに行ってしまった。それだけではない。あのツンデレな彼女にももう会うことはできない。
いつまでも過去を引きずることはよくないとわかってはいるが、どうしても過去を愛おしく思ってしまう。どうか、もう一度だけ触れたい……。
「あ、やっぱりここにいた」
六年前に告白した丘で街を眺めつつ過去を振り返っていると背後から声がした。この公園で一目惚れしてからずっと愛し続けてきた、眩しい笑顔が素敵な女性の声が。
「目を離したらすぐどこか行っちゃうんだから。メールくらいちゃんと見てよ」
「ごめん。大学の頃を思い出してた」
「あー、もしかしてまた『あの頃みたいにツンツンしないかなぁ』とか思ってたんでしょ」
「よくわかったね」
「そりゃあ、あなたの愛する妻ですから!」
「なら、僕が今食べたいものもわかる?」
「お弁当は美味しく綺麗に作るわよ。お漬物も抜きね」
「えー」
「えー、じゃないわよ! もうすぐこの子も生まれるんだから、パパにもちゃんとしたもの食べてもらわないと」
「はーい。――愛してるよ。今までも、これからも」
「――私も、ずっとずっと愛しています」
FIN
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