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雪弥
月曜の朝である。
俺は寝起きの頭で呆然と駅の改札口に立ち尽くしていた。週初めなだけあって、出勤途中らしき人達が多い。スーツ姿のサラリーマンや制服姿の学生達が通り過ぎるのをしばらく眺めた後、俺は自分の着ている服を見下ろした。
黒い七分袖のTシャツと少し太めのジーンズ。カーキ色のミリタリージャケット。なるべく目立たない地味なものを選んできたつもりだが、一般的に見れば遊びに行く格好だ。
今年十八歳になった俺は、学年で考えると高校三年生の年齢にあたる。だがそれも学校に通っていればの話で、二年の夏に高校を中退した身の俺は、世間でいう立派なニートだった。
四捨五入すれば二十歳とはいっても、十八歳は子どもに違いない。学校にも行かず親の脛をかじって日々気ままに生きられていいじゃないか、と元・同級生らは言う。だけどそれも普通の家庭で育っていたならの話で、俺の場合は羨ましがられる要素なんて何一つなかった。
まず俺には親というものがいない。小学校の頃に二人とも事故で死んでしまった。
会社経営をしていた父親のおかげで、割と裕福な部類に入る家だったと思う。両親は厳しくも優しく、一人っ子の俺に惜しみない愛情を注いでくれていた。勉強を頑張れば欲しい物は買ってもらえたし、好きなことはある程度何でもやらせてもらえていた。
……そんな幸せな暮しも、俺が小学二年の時に終わってしまった。会社へ行く途中だった両親の車が居眠り運転のトラックに激突され、なんの前触れもなく父と母の人生は奪われてしまったのだ。
両親の死を聞かされた時のことよりも、葬式の風景よりも、その後に目にした大人たちの恐ろしさの方が強烈に印象に残っている。
葬儀が済んだ後、会社を興す時に金を貸したという遠い親戚や父の友人と名乗る大人達が大勢家に来て、家にある値打ち物の家具や金になりそうな物を根こそぎ持って行ってしまった。俺のゲーム機や漫画本までも、だ。数枚の紙切れを手にして言い争う大人達を、幼い俺は床に座り込んで他人事のように眺めていた。
俺が相続したはずの財産は、俺を引き取ることになった母方の兄夫婦が住む家のリフォームや、俺より四つ年上の従兄弟の学習塾代や受験、入学費用その他として活用された。
残ったのは、何も持たない俺だけである。
「新しい両親」のお情けで高校に通わせてもらっていた俺だが、結局は二年ともたなかった。その頃にはいろんな不満が溜まりに溜まりまくっていて、感情が爆発するのは時間の問題というところまできていた。
きっかけは些細なことだった。
ある昼休みにクラスメイトと言い合いになり、やがて取っ組み合いになり、結果、俺は相手を意識不明の重体にまで追いやってしまった。壁の角に思いきり相手の頭を叩き付けた瞬間の感触は、一年以上経った今でも手に残っている。
「あいつが軽い調子で『そのうち親ぶっ殺す』と言っていたのがどうしても許せなかった」。教師と警察に本音を言った俺は、結局退学になってしまった。
幸いにもその生徒は翌日意識を取り戻し、ぎりぎり鑑別所に行かずに済んだものの……義理の父親となった母の兄から、それこそ意識を失うほどに殴られた。以来俺の飯は一日一回になり、四つ年上の兄とは会話を禁止され、家族の誰も俺と口をきいてくれなくなった。バイトで稼いだ給料はもちろん全て取りあげられ、まるで絵に描いたような悲惨な生活を強いられるようになった。
だから、脱出。
家族が寝静まった深夜三時、俺は唯一持つことを許されていたスマホだけをポケットに、家を飛び出した。
『それじゃ朝九時、××駅の改札で』。
数時間前に届いたメールをもう一度読み返し、俺は切符売り場の壁にもたれて男が来るのを待っていた。男専用の出会い系サイト──それも多くの場合は援助交際を目的としたいかがわしい掲示板で知り合った男だ。
『雑誌、映像モデル募集。十代優遇、住み込み可能』。
という書き込みに、俺は一も二もなく飛び付いた。何しろ住む場所がないのだから、とにかく金を稼がなければならない。初めは他の利用者と同様に援助交際でもして現金を手に入れようと思っていたが、どうせやるなら一度でがっつりと稼ぎたい。
恐らく仕事内容はエロい格好で写真を撮られたりするAVのようなものだと思う。が、俺には失う物なんて何もない訳だから、汚れた仕事でもある程度はできるつもりでいた。
『軽く面接するから、今日は予定大丈夫?』。
遊隆と名乗ったその男の顔は分からない。向こうから声をかけると言っていたからこうして待っているのだが、九時十分になってもそれらしき男は一向に現れない。
ひやかされたのかもしれないと思ったが、他に予定もないのでそのまま俺はぼんやりと男を待ち続けた。
そして時計の針が九時三十分を回った頃。突然、真横から肩を叩かれた。
「あ……」
「メールの子?」
「は、はい」
「悪い。九時からだったっけ。勘違いしてた、申し訳ない」
「いえ、別に……」
俺は思わず姿勢を正した。握っていたスマホをジーンズのポケットに入れ、ついでに手の汗をシャツで拭う。心臓は高鳴っていた。
仕事の内容が内容だからどんな変態男が来るのかと思いきや、現れた男は予想よりもずっと若かった。それどころか、かなりのいい男に分類されるであろうルックスだ。
見上げるほどに背が高く、腰の位置が高く、体付きも逞しい。シベリアンハスキーのように吊りあがった大きな目はくっきりとした二重瞼で、鼻も高い。口角の上がった唇の端には金色のピアスが付いている。
見ようによってはただのチャラ男だが、俺にとっては息を飲むほど完成された、モデルのような出で立ちだった。それでいて髪は金色で肌は小麦色に日焼けしているといういかつさが、只者でない雰囲気を醸し出している。
「よろしく。俺、遊隆」
雰囲気にぴったりの低い声。どれをとっても男らしく、とても卑猥な仕事なんてやるような奴には見えなかった。
「大丈夫か?」
「……あ、はい」
「じゃ、行くか」
俺はその男──遊隆の後を小走りでついて行った。
ひょっとしたら俺はかなりツイているのかもしれない。素直にそう思った。
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