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あの赤が、今も目に焼き付いている。
後藤伊月には密かなこだわりがあった。
体育はサボらない。
制汗スプレーはシトラス一択。
火曜のランチには野菜ジュースをつける。
私だけが知ってるそれらはきっと彼女にとって何の価値もなくて、毎週火曜に高校の屋上で二人きりのランチを摂るときに、紙パックの野菜ジュースをすする彼女を眺めながら私が優越感を覚えている、なんて思いもしないのだろう。
四時限目終了のチャイムが鳴ってカバンから弁当箱をいそいそと出すとき、いつも斜め前に座る伊月の背中を盗み見る。
男子よりも華奢で、女子よりも引き締まった背中。
すらりと伸びた首の上には柔らかそうなショートヘアが揺れていて、奥まで指を滑り込ませたくなる。
見られているとも知らずに隣りの女子にきらきらとした笑みを振りまいている伊月は、その中性的な名前が象徴する通り、煩わしい性別から解放されていた。
早く屋上に行きたい。
初夏の太陽は割れたガラスのように鋭利で、私は日陰に身を寄せた。
後ろから、陽を浴びた伊月が無敵の笑顔で日向に座る。
私たちのあいだには光と影の境界線が横たわっているけれど、隅々まで照らされた彼女を見るのは嫌じゃない。
長い足で胡坐をかいて、プリーツスカートをぎりぎりのラインにまでたくし上げる。
コンビニのビニール袋から野菜ジュースが登場して、私は頬が緩んだ。
「好きだよね、それ」
「あん? っていうか、身体のため?」
サンドイッチを頬張る口がもごもごと返す。
三回目となるこのやり取りだが、いつも答えは同じだ。
なんだかこのまま屋上で暮らしたくなる。
「……ねえ、次の授業サボろっか」
この質問は初めてだけれど、私は伊月が絶対にうんと言わないことを知っている。
次は体育だから。
体育は、伊月にとって息継ぎの時間だから。
「また今度な。動いてないと死んじゃうんだ、私」
くっきりとした目鼻立ちの伊月が、カツサンドを咀嚼しながらグラウンドの方を見やる。
「回遊魚か」
弁当の卵焼きを箸でつまみながら笑う。
「どっちかってと魚より鳥になりたいかな。空飛べるし」
「小学生か。女子高生の発言じゃないよそれ」
「ほーん、それなら瑠梨は女子高生代表として何になりたいわけ?」
「お嫁さん」
「小学生か」
伊月が弾けるように身体を揺らして、艶めく髪が光を振り撒いた。
幾筋かの毛束が汗ばんだ頬に張り付いている。
第二ボタンまで開けた白いカッターシャツが眩しかった。
布一枚で隔てられたその奥で、初夏の熱が籠っている。
この熱には逃げ場がない。
多分、私も。
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