花菖蒲の咲く庭で

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「ただいま」  僕は家に帰ると、平坦なトーンで挨拶をする。お母さんはテーブルに座って何かの雑誌を眺めていたが、僕の方を見て「お帰りなさい」と微笑んだ。 「学校はどうだった?」 「……普通」 「普通って、何よ」 「普通って言ったら、普通だよ」  お母さんは小さく乾いた笑い声を上げる。 「おかしい子」  僕はいつも、自分が「いじめられている」とは思わないことにしていた。そう思った瞬間に、お母さんに自分の痛みのすべてを吐露してしまうことが怖かったのだ。別に、それで心配をかけるから、みたいな格好良いことを言うつもりはない。単に、自分の身を案じてその先のことを想像してしまうからだ。きっと、お母さんが学校に何かを言って、それで学校が対応策とか何とか言っていじめのアンケートを取ったり、「いじめをなくすには?」みたいな不毛な議論をすれば、きっとますます目を付けられてしまうだろうと思ったからだ。「おい、お前チクっただろ。罰ゲェム!」なんて、腐ったうんこみたいな顔をしたやつらのおもちゃにされてしまうのが嫌なのだ。  僕は自分の部屋に閉じこもると、いつもみたいに言の葉のベッドに沈む。僕のベッドは特別性だ。きめ細やかな活字が編み込まれており、ふかふかと僕の体を包み込んでくれる。柔らかな文体の毛布を頭まで被り、日本語の美しさを体感する。  「花菖蒲(はなしょうぶ)」という言葉が、心に滲んだ梅雨だった。それは言葉じゃなくて、花の名前じゃないか、と言う人もいるかもしれない。だけど、僕は「花菖蒲」という漢字の字面が、とても美しいと思った。オリバーが二番目の魔王を倒しに行く途中、荒廃した村に咲いていたのがその花だ。僕は「はなしょうぶ」という日本語の音が頭に引っかかり、調べてみる内に、なぜかその花に心惹かれたのだ。「杜若(かきつばた)」も好きだった。二つの花は見分けがつかないくらいに似ているけれど、花弁の模様に繊細な違いがあるらしい。「花」という文字の散った「菖蒲(あやめ)」は、「花菖蒲」とは違う花であるらしい。  からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ  在原業平という人が読んだ、有名な和歌らしい。意味はまったくわからないけれど、「五・七・五・七・七」のリズムの冒頭を取ると、「かきつばた」になるらしい。僕はこの歌の持つメロディーが、なぜかとても好きだった。今日は特別大サービス。みんなに小説が好きになるコツを教えてあげよう。小説を好きになるには、この「なぜか」を大切にすることだ。  桜は散る。梅はこぼれる。椿は落ちる。牡丹は崩れる。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。花は綺麗だ。鼻はちょっと違うけれど、華は綺麗だ。綺麗という漢字もとても綺麗だ。日本語は美しい。僕は「花」をテーマにした小説を、なぜか唐突に何か書きたいと思った。
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