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佐藤たちの佐伯くんに対する攻撃は止まらなかった。初めは、後ろの席から消しゴムのカスを投げるような陰湿なもの。それで佐伯くんが何も言ってこないとわかると、今度は筆箱をごみ箱に捨てたりする。佐伯くんは、それでも毅然とした態度を崩さなかった。
僕はと言えば、結局何もすることはできなかった。ただ佐伯くんが攻撃されているのを見ているだけしかできない。僕は、僕の弱さを心の底から恥じた。
しかしある日、佐藤が停学になった。魔王が封印されて、学校に一時の平穏が訪れたのだった。だが、僕はそれを素直に喜ぶことはできなかった。佐伯くんも停学になったのだ。佐藤との二度目の乱闘によって。
その夜、僕は家に帰った後、スマートフォンを手に取って、ラインの佐伯くんのトークルームを開いた。僕は「会話文」のひとつもない画面を見つめ、しばらくぼうっとしていた。しかし、やがて覚悟を決め、僕は佐伯くんにラインを送った。
『こんにちは。佐伯くん、元気ですか? 佐伯くんには初めてラインを送るので、少し緊張しています。僕は、佐伯くんが学校に来られないことをいつも寂しく思っています。
ところで、この前言っていた小説が書けました。また見せられる日を楽しみにしています。』
僕なりに腹を括った文章だった。書いては消し、直しては文章を変え、を繰り返していたら大分時間が経っていた。自意識過剰と言われてしまうのかもしれないけれど、僕の方から歩み寄ることが上から目線な行為に感じてしまったのだ。あるいは、それは僕が自分の小説を誰かに読んでもらいたいという、単なる自己満足かもしれないとも思った。ときどき、僕は「まっすぐ」に人と接することのできない自分が嫌になる。
思いの外、佐伯くんからのラインはすぐに返ってきた。中身も彼らしい「まっすぐ」なものだった。
『敬語w
じゃあ、今度の土曜か日曜、暇?』
僕は途端に恥ずかしくなり、ベッドの上で頭をかきむしった。たしかに、佐伯くんの言う通りだ。僕はどうして同級生に敬語なんか使ってしまったのだろう。文章だと急にかしこまってしまうのが、僕の悪い癖だ。
その反省点を生かし、僕は推敲に推敲を重ね、堅苦しくならないように細心の注意を払って返信した。
『土曜』
佐伯くんからの返事は、またまたすぐに返ってきた。
『了解www
学校の近くのカフェでいいか?』
僕が『いいよ』と返すと、佐伯くんはスタンプを送ってきた。軽快で現代的なラインの返信だな、と僕は思った。いや、僕も一応は現代を生きる若者なのだけれど、いわゆる「若者っぽい」ものが苦手なのだ。たとえば、スタンプとか、「笑い」を意味する「w」や「了解」を略した「りょ」とか。「りょ」まで打ったら予測変換で「了解」って出てくるんじゃないだろうか、と僕はいつも思ってしまう。友達のラインよりも小説の文章を読みすぎているせいかもしれない。
土曜日まではたった数日だけれど、僕にはそれが何ヶ月もあるかのように感じられた。それまでには毎日の退屈な授業を終えなければならない。一時間、一時間、……ようやく昼休み。午後の眠たい授業の後に、ついにホームルーム。一日が終わる。夜に眠れば、明日が目を覚まして「おはよう」と呼びかける。
「佐伯くん、久しぶり」
どうせすることもなかったから時間よりも早く来たのだが、佐伯くんはすでに席に腰掛けて本を読んでいた。僕が飲み物を買って声をかけると、佐伯くんは驚いたように目を丸くした。
「吉川……お前、早すぎだろ。まだ三十分前だぞ」
そんな僕よりも先に来た人に言われれば、苦笑するしかない。佐伯くんは肩をすくめ、本をバッグの中にしまった。
「あーあ。まだ三行目までしか読んでねえよ」
「暇だったから、僕も早めに来て本でも読んで待ってようと思ったんだ」そう言いながら、僕は佐伯くんの向かい側に腰掛ける。「僕よりも早かっただなんて、驚きだよ」
「俺は、吉川以上に暇だったからな。おかげで、読書が捗るよ」
そう言って、佐伯くんは快活そうに歯を見せて笑った。
「それで、最近学校はどうだ? 平和だろ、あいつがいなくなった教室は」
何とも答えにくい言葉に、「そうだね……」と僕は曖昧に答えを濁した。しかし、佐伯くんの次の言葉に、僕は思わず笑ってしまう。
「感謝しろよ。俺がメガンテ使ってぶっ飛ばしてやったんだから」
「ザオリクが使えないのが申し訳ないな」
「へえ、吉川もゲームやるんだ」と佐伯くんは会話を広げた。
「ほとんどやらないけどね。有名なゲームなら、ちょっとだけ」
佐伯くんは、僕の大切な友達だ。僕は佐伯くんと話すようになってから「友達」について考えるようになった。
「この曲を聴いてから、『DREAD ROCK』にハマってさ。ほら、吉川も聴いてみろよ」
「すごい激しい曲だね」
「この、地の底から悪魔が雄叫びを上げているみたいなグロウルが好きなんだ」
「でも、サビのとこでメロディーがしっかりしてるよね」
「それそれ! そこなんだよ。よくわかってるなあ、さすが吉川!」
僕はロックバンドの激しい音楽にはあまり興味がなかったけれど、佐伯くんの影響で聴くようになった。逆に、佐伯くんは純文学にはほとんど興味がなかったけれど、僕の影響で挑戦し始めているらしい。
不思議だな。
だけど、この関係こそが「友達」なのかもしれないと僕は思った。
僕たちは本来の目的を忘れ、夢中でどうでもいいような話を続けた。そんな「どうでもいいような」話の流れで、「そういえば……」と本来の目的が唐突に現れた。
「そういえば、吉川、小説ができたんだろ? 見せてくれよ」
「あ……うん……」
少し恥ずかしい感じはしたけれど、それよりも誰かに読んでもらいたい気持ちが強すぎて、僕は体の奥底から湧き上がる熱を感じながら、バッグから原稿用紙を取り出した。
佐伯くんは嬉しそうに破顔し、原稿用紙を受け取った。
「すげえ! マジで作家みたい!」
体温がさらに上がる。わざと言っているのかと思って、僕は肩をすぼめる。
「やめてくれよ。恥ずかしいから」
「だって、『マジ』だもん」
「あぁ! もう! やっぱり返して!」
「嫌だ!」
僕が手を伸ばすと、佐伯くんはひょいと奥へ逃れる。僕は諦め、肩を落としてため息を吐いた。佐伯くんは、悪戯っぽく「にしし」と笑った。
「じゃあ、家に帰ったらゆっくり読むわ」
「……うん」
「次回作も楽しみにしてるぜ」
「まずは、それを読んでから言ってよ」
「だって、『マジ』だもん」
「『マジ』って、何だよ」
「『マジ』は『マジ』だよ。あぁ、でも、マジでかっけえわ。これって、吉川が初めて書いたやつ?」
「うん」と僕は小さく頷いた。「いわゆる、『処女作』ってやつ」
「は? 処女?」
「初めて書いた作品ってことだよ!」
「びっくりしたあ。吉川が急に下ネタに走ったかと思った」
「冗談なのか本気なのかわからないところが、佐伯くんの嫌なところだね」
「いや、だから『マジ』だって言ってんじゃん」
佐伯くんは声に出して笑った。
「なあ、吉川って、チャリで来てるんだろ?」
「どうしてわかったの?」
「どうしても何も、お前がいつもチャリで学校に来てるの見てたからさ、このカフェのすぐそばが学校じゃん。だから、チャリで来てるんだろうなって思って」
そういえば、帰り道が反対だからあまり気にしたことはなかったけれど、佐伯くんも自転車で登下校をしていたはずだった。たしかに、と相槌を打っていると、佐伯くんは続ける。
「今からさ、エオン行かね? どうせ暇だろ」
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