5 誰かのための物語

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 仕事場に着くと、先輩であるゲンが挨拶もそこそこに話し始めた。 「おい、なんか顔色が良くないところに悪いがよ……」  ゲンは、1人の将校の名前を口にした。コチョウを助けて家まで送ってくれたあの将校のことだった。 「アイツの家に最近、そのな……お前んとこの嫁さんが出入りしてるって聞いてな」 「ああ……先日、彼女がちょっと困ったところを助けていただいたんです……家にもお世話になったそうで。最近、僕とはその、ちょっとゆっくり話せていないんですが……お礼をしに行ったんじゃないですか……」 「うちの女房が配給を(もら)いに行く時に見て、気になったんだとよ。嫁さんが1人で、幾度も……なんだが」  ゲンの家族とはトウもコチョウも会っており、お互い顔は知っている。 「あっちの奥さんと仲良くなったんじゃないですか……」  共同生活をする宿舎でなく家に住んでいるということは、身の回りの世話をする連れ合いがいるということだ。家に泊めてもらった時に、将校の妻にも世話になったことだろう。しかし、幾度も遊びに行くような友人ができたのに、それでも自分と離れて村に帰りたいのか……とトウはまた胸が痛んだ。 「あのな……驚くかもしれないが、俺は伝えるだけだからな、俺を恨むなよ。あの将校は独り身だ」 「え……」 「だいぶ前に連れ合いを亡くしてるんだよ。ただ、そのまま近くの老夫婦に家の中の世話をしてもらってるらしい。だから……家持ちだけど、そこにはアイツしか住んでねえはずなんだ」 「だって……え……」  足の様子を見ている内に日が落ちてきてしまったので、大事をとってそのまま泊まったと言っていた。しかし、翌朝には普通に歩けたのだ。エフェメラを蹴り飛ばしさえした。男が1人で暮らしている家に泊まるくらいなら、若い娘は少し無理をしてでも暗くなる前に帰路に着くのではないか。少なくとも、トウはそれが普通だと思っていた。結婚しても1か月の間は"同居してみるだけ"という風習を持つ村で、彼もコチョウも育ったのだ。 「将校って、俺たちと違って毎日朝から夕方まで使われるわけじゃねえだろ? 何かあれば何日もぶっ続けで使われる時もあるが、昼間に家に居る日もある。昼間にお前んとこの嫁さんが、アイツの家に入って行く姿と、その……仲良さそうにしている声もだな、うちの嫁が確かめたって言うんだ。それも一度じゃねぇ」 「あぁ……」  そういうことだったのか……呆然と目を見開いて、トウはただ(うなず)いた。 「あの、ゲンさん……もし街に、本人が(よみ)に選ばれたわけじゃないのに独り身の女がいたら、その将校はその人を……連れ合いにできるんですか」 「ああ、できる。詠に使われている側が亡くなっちまった後、連れ合いの側が故郷に帰らずに、独りでいる他のヤツの連れ合いになるってことはあるからな。いや、でもお前らは新婚だろ。いきなり話が飛び過ぎじゃねぇか?」 「いえ、僕たちはまだ……」  トウは半月婚(はんげつこん)の話をした。ゲンの故郷の村には無いことのようで、驚かれた。 「1か月の間は同じ所に住んでるだけ……その間はどちらからでも結婚を取り止められる……?」  まるでトウの代わりにそうするように、ゲンは呻いて頭を抱えた。  その後は、ゲンはおそらくわざと、トウを仕事に追い立てた。  昼食には握り飯を1つ分けてくれたが、食べていると嗚咽(おえつ)が出てしまいそうだった。  そうして夕方。仕事帰りの者たちへの対応が終わって、図書館が静けさに包まれる頃。  騒々しく扉を開け放ち、入って来た者たちがいた。  彼等の持つ長い棒は、街の中で何か事を起こした者を取り締まるための物。その中にはあの将校がいた。 「こちらで使われているトウという者が、人の身でありながら禁を冒して行いを記したという疑いがある!」
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