1 星を持たない物語

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1 星を持たない物語

「世界から文字というものがなくなってから長い時間が経ちました。どれくらい経ったのかも、僕たちには分かりません。記録がありませんから。  代わりに使われているのが、あれ。そう、エフェメラです。語りかけたことを全て覚えるそうですが、これも僕たちには扱えません。エフェメラを使って、物事を記録して蓄えることができるのは、あの方たちだけですから。  でも、言われたことを覚えて、そのまま繰り返すことができる……そんなエフェメラたちに物語を吹き込んだものを、ここでは貸し出しています。新しく何かを覚えることはできないようにしてあって、ただ物語を語るだけですが、僕たち人間にも渡してもらえるんですよ」  そういうことを、初めてこの図書館を訪れる人に教えるのも、トウに与えられた務めだった。  列に並んだ人々が、1人づつ布の間に腕を差し入れていく。そうして、布の向こう側にいる1体の手を握り、連れ出していく。  人の娘に似た姿のそれを、エフェメラと呼ぶ。顔立ちや背格好は、人がそうであるように二つと同じものはないが、いずれも目鼻立ちは整っており、肌は絹織物の様に滑らか。その場にいる人間たちは質素な配給品を身に着けているのに対し、エフェメラはそれぞれ意匠が異なる麗しい衣を(まと)っている。  その日の務めを終えた人々は1体づつそれを持ち帰り、そして鈴の様な声で語られる物語を楽しみとしているのだ。 「星4つ!」  歓声が上がった。1人の女性が手を高く掲げ、周りに見せ付けている。彼女に握られているエフェメラの手。その爪には、星を象ったものだという形が描かれていた。人差し指から小指まで4つ。 「エフェメラには、覚えられる物語の長さや面白さによって、爪に星の印が付けられているんですよ」  トウは説明を続ける。 「順番が来たら、布の間から手を入れます。向こう側は見えないようになっていますが、エフェメラたちが待っています。手か衣を掴んで、引き出してください。そっとでいいです。選ばれたと感じれば、自分で歩いて出て来ますから」  説明を受けている女性はチラリとトウを見上げて、少しだけ不思議そうな顔をした。大柄でいかにも無骨そうなトウが、娘子の様なエフェメラの手をそっと握るところが想像し難かったのだろう。そして「ガ・チャってことね」と言った。 「そうです。どんなエフェメラを借りられるか、ガ・チャで決めるんです。ああ……爪を触っても星の数は分かりませんよ」  偶然に任せて物事を決めることをガ・チャと呼んでいる。偶然に任せるということは即ち、天の導きを受けるということだ。 「でも、面白いと感じるかは人それぞれですから。星1つのエフェメラが、とても楽しい話を聴かせてくれることもありますよ」  多分……と心の中で付け加えた。トウも"街住み"となってから日は浅い。  そうして説明をする間にも列は進み、星が幾つ付いたものを引き当てたかで、人々は一喜一憂していた。語られる物語だけでなく、このガ・チャと呼ばれる手順のそれ自体も、エフェメラを借りる楽しみとされているのだろう。  やがて、訪れた者たちが皆、エフェメラを連れて帰って行くと、ようやくトウも一息ついた。今日は「他人より先に選ばせてほしい」とか言い出す者も、布の向こうに顔を突っ込む者もいなかった。  仕切り布の前で働いていた男が、自分もエフェメラを引き出し、歩いて来た。 「チッ……星2つかよ。まあガキのお()りにはいいか」  すぐにエフェメラの手を離し、呟きながら歩いて来た彼は、トウより前からこの図書館で使われてきた先輩だ。 「先にあがるぞ。後よろしく、な」  自分より頭ひとつくらいは背の高いトウの肩をバンバンと叩き、歩いて行く。その後を静かにエフェメラが付いて行く。 「あ、はい……お疲れ様でした」  妻と子供たちが待つ家へと帰って行く彼を、頭を下げて見送った。 「さて、僕も……」  トウ自身も、自分が今日、借りていくエフェメラを決めなければならない。(にぎ)やかさの去った図書館の、豪奢な仕切り布の前に立ち、向こうの部屋へ手を差し入れる。 「星、幾つかな……」  なんだかんだいっても、引き当てるエフェメラの星の数は自分の運の向きを表しているような気にはなる。星が多ければ、他にも良いことがあるのではないかと思うものだ。 「あれ? ……あれっ?」  いつもならば、すぐに手か衣が指に触れる。残る数が少なくなっても、エフェメラたちは自分から入口の近くに寄って手を差し出すようになっているそうだ。  しかし今日は、手を大きく動かして探ってみても、空を切るばかりだった。 「なんじゃ? どうした?」 「はっ……ケラエノ様!」  声が聴こえてきたので、彼は反射的に手を引っ込めて姿勢を正した。  図書館の中を歩み寄って来たのは、彼らを"使っている"存在だ。  銀色の髪に、真っ赤な瞳。娘というより童女の様な外見と声をしているが、そもそもが人ではない。エフェメラと同じ、どこでどうやって作っているのか分からない、キラキラしてヒラヒラした不思議な衣を纏っている。 「は……はい、あの、自分の分のエフェメラを借りようと、したのですが……」  彼女たち(よみ)は、絶対的なこの世界の支配者である。トウも、この詠に使われている存在に過ぎない。機嫌を損ねれば、いや、彼自身が何もしなくとも、機嫌が悪い時に目の前にいたというだけで、今の暮らしは終わってしまうかもしれない。詠のすることに人は理由も説明も求めることはできない。ただ、生かされているだけだ。 「……見付からなくて」 「ふぅん? どれ」  ケラエノは無造作に布の向こうに首を突き入れ、すぐに顔を出した。 「いや、おるようじゃぞ。もう一度、入れてみ」  言われるがままにもう一度腕を差し入れると、今度はすぐに滑らかな手と握り合うことができた。そのままそっと引き出す。  色白の肌と、微かに茶色みがかった黒い髪と瞳を持つエフェメラが、無表情で歩み出て来た。  トウはその手を握ったまま、爪に視線を向ける。 「あ、あれ?」  両手を取って、爪を上向きに差し出させてみる。どの爪にも、星の印は無かった。
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